∽番外∽ エクストラ三姉妹のバレンタイン
季節が二月に入った頃――
呼び止められ、U博士は振り返る。呼び止めたのはミグであった。
「どうかしましたか?」にこやかに尋ねるU博士へ、一ミリたりとも表情を変えずミグは聞く。
「ハルナ達が騒いでいました。バレンタインデーとは、何なのですか?」
「バレンタイン、ですか?」
「はい」
ふむ、と唸って、しばらく後。ようやくU博士は答えた。
「私は残念ながら、そのイベントに参加したことはありません。ただ……アメリカでは感謝の気持ちを込めて親しい人への祈りを捧げたり、日本の場合ですと、親しい方や愛しい方へ、お菓子を贈ったりするようですね」
「お菓子を、贈るのですか?」と言ってミグは首を傾げる。
「それはハロウィンとは、どう違うのですか?ハロウィンもお菓子を贈りますが」
「ハロウィンは」
笑みを絶やさずU博士が答える。
「子供の為のイベントですよね。子供が中心となって、大人が子供達へ お菓子を配ってあげるお祭りです。でも」
ちらっと廊下の先を見た。先ほどから甘ったるい匂いが、どこからか漂ってくる。
台所は今ごろ、女の子達に占領されているのかもしれない。
「バレンタインは違います。大人も子供も、一緒になってお祝いをするのですよ」
私はお祝いしませんでしたけどね、と言って締めくくった。
バレンタインデーの経験がないから、これ以上は深く語れない。という牽制のようだ。
しかしミグは気づいているのかいないのか、さらに質問を続けようとする。
「それで……お世話になった方へは結局、どうすればいいのですか?祈るだけでよいのですか?それとも、お菓子をお贈りした方がいいのですか?」
ちょうどいいタイミングで、エレベーターが開き、誰かが降りてきた。
コレ幸いとばかりにU博士は人影を指さし、ミグを促す。
「実際にイベントをお祝いする、女の子達に聞いてみてはいかがでしょうか?ほら、あそこに助スタッフの皆さんがいますよ」
エレベーターから降りてきたのは、秋子と瞳、それから恵子の三人だ。
手に何か小さな箱を持って、はしゃいでいる。
彼女達と話すのは気疲れするが、致し方ない。
ミグは博士に会釈をすると、三人のほうへ近づいていった。
「――というわけで。調査したところによりますと、バレンタインとは愛しい男性へ、女性が、感謝の気持ちを込めてチョコレートを渡す日、だそうです」
秋子達から情報を仕入れてすぐ、ミグは自室へ戻って報告した。
彼女の帰りを待ちわびていたミクとミカは、期待に満ちた瞳で報告に聞き入っていた。
全貌を知って、ミカは「それだけですか?つまらないのです」と正直な感想を述べる。
ミクは先ほどよりもキラキラした瞳でミグを見上げた。
「じゃあ、じゃあ、ミクはT博士にプレゼントいたしますわぁ!」
嬉しそうに叫ぶ妹へ、無言のOKを出すミグ。
「ミカは、どういたしますの?」
ミクに尋ねられ、ミカも無言で頷いた。
「T博士に、贈るのです。感謝の気持ちを込めるのです」
さっそく台所へ行こうとするミカとミグ、を引き留めたのはミクの呟きであった。
「あ、それと~。ブルーにも作ってあげましょうねぇ」
途端、ミカが露骨に嫌な顔をする。
「ミクは物好きですね。あんなのにあげるのは、材料がもったいないのです」
「あら、どうしてですの?さっき、お姉様はおっしゃいましたわ。愛しい男性へ感謝の気持ちを込めて、お贈りするのだと。だとしたら基地全体の皆々様方にも、お贈りしなくてはいけないのではなくて?」
ミクが言うところの愛しい男性は、随分と広範囲に渡るようだ。
まだ幼い彼女のこと、好感的な相手すなわち、それが愛しい男性だという判断だろう。
特にT博士は、エクストラ三姉妹にとっては父親代わりの男である。
愛しいどころか、この戦いに参加するにあたり、必要不可欠な存在でもあった。
「全員にあげる必要はない、とアキコ達は言っていましたよ」とは、ミグ。
秋子は他にも『義理チョコ』がどうのこうの、と話していたような気もする。
この辺の詳しい事情はミグにも よく判らない世界なので、二人の妹には伏せておくことにした。
「そうなのですか?残念ですぅ」
何がそんなに残念なのか、ミクは心底残念そうに呟くと。すぐに気持ちを切り替える。
「じゃあ、T博士とブルーのお二人に絞って、作ることに致しますわねぇ」
急ぎ、ミグとミカを追い抜くかたちで、ぱたぱたと走ってゆく。
背後でミカの声が、ぽつりと聞こえた。
「……ブルーは、外さないのですか。やっぱりミクは変わっているのです」
「ところで――」
いざ、作ろうという段階になって。エプロンに身を包んだミグは言った。
「チョコレートとは、どうやって作るものなのでしょう?」
三人がT博士から教わっているのは工学技術のみ。
普通の女の子らしい料理やなんかは、教えて貰った記憶がない。
台所では、まだ準備の終わっていない女の子が、ちらほら居ることは居る。
春名や雲母もいた。ミカは、さっそくちょこちょこと近づいて、春名を見上げた。
「ハルナ、ハルナ。ちょっといいですか?」
オーブンを熱心に眺めていた春名が振り返る。
「ん?なぁに、ミカちゃん」
「質問なのです。チョコレートとは、どうやって作るものですか?」
「え?どうやって、って」
答えかける春名を押しのけて、雲母が叫ぶ。
「手作りチョコっていうのはね、チョコレートを溶かして作るんだよぅ~。もちろん、ただ溶かすだけじゃなくてぇ、愛情とキモチを、たっくさん詰めるのっ」
口元に拳を押し当て、ふるふるっと身悶えしている。
そんな雲母にドン引きすることもなく、ミカは無表情に尋ねた。
「愛情?キモチ?どうやって、詰めるのですか」
「ミカちゃんなりの方法で!」
自信いっぱいだが、あまり答えになっていない答えだった。
考え込むミカの背後では、ミグとミクが自己流で調理を始めている。
「ミグお姉様、この本によりますとチョコレートとは、この物体の名称のようですわ」
ミクが手にしているのは、まごうことなきカレールー。
確かに色は似ているが、残念ながらハズレである。
しかしミグもミクも、これがチョコだと信じてしまったようだ。
なにしろチョコレートなど、生まれてこのかた食べたこともないのだから仕方ない。
「これを、どうするのですか?」とミグに促され「えぇと……」と幼い手がページをめくる。
「ゆ……で、溶かして、型に流し入れる、とありますわ」
「溶かして、もう一度固めるのですか?随分と無意味な事をするのですね」
ミグは怪訝な表情を浮かべ、周囲の様子をうかがう。
春名は四角い箱と睨めっこしながら、ミカと何か話しているようだ。
雲母は茶色い物体に、白い液体をベタベタと塗りつけている。
あの白いのは、きっとパテだ。ミグは、そう当たりをつけた。
一体何を作っているのだろう?台所にいるということは、あれも料理なんだろうけれど。
隅っこにいるのは、確か倖という名前の少女だったか。
彼女は茶色いドロドロした液体を、丸い椀の中で一生懸命にかき混ぜていた。
見た目最悪で、あれを誰かにあげるつもりだというのなら、彼女は猛者だとミグは考えた。
美恵、真喜子、有吉、優の姿は見えない。
廊下でもすれ違わなかったし、今ごろは誰かと会っているか、それとも作りもしなかったのか。
――まぁ、今はどうでもいい。それより当座の問題はチョコレートの作り方だ。
「湯で溶かすといいましたね。具体的には、どの道具で、どのようにするのですか?」
同じく、ぽーっと周囲を見渡していたのだろう。ミクは一度閉じてしまった本を慌てて開き直す。
もたもたとページをめくっていたが、やがて眉毛を八の字にしてミグを見上げた。
「えぇと……ふぇぇ~ん、お姉様ぁ。これ、なんて読むんですのぉ?」
妹の手から本を受け取ると、問題の箇所を目で追う。
湯煎(ゆせん)
鍋等に湯を沸かし、その中に一回り小さい容器を入れて、内側の容器中で食材を加熱する調理法のこと。
火で直接加熱するのではなく、湯を使い間接的に加熱を行う。
「つまり水を暖めた上で、その水の熱で溶かすのですね。やってみましょう」
手頃な鍋を探してくると、水をたっぷりと張って、火へかけた。
「ミク、しばらく見張っていて下さい」
「はぁい」
ミグの言いつけを守り、ミクは、じぃっと鍋を見つめている。
その間、ミグは調理台を離れてミカの元へ向かう。
彼女が春名から何を聞き出しているのか、尋ねてみようと思ったのだ。
チン、と小気味よい音がして、春名はオーブンの戸を開く。
取り出されたのは、丸い型に入った茶色の物体だ。型の中央には円柱らしきものが見える。
「ハルナの作ってる、ソレは何ですか?」
興味津々にミカが問えば、春名は嬉しそうに答えた。
「これ?これはね、シフォンケーキ。これにチョコを塗ったら完成!かな」
言いながら、逆さに持って瓶の上に突き立てた。
先ほどチラッと見た、円柱部分に瓶の先端が突き刺さっているらしい。見事なバランスだ。
「何かの、おまじないですか?」
どうにも解せないといった顔でミカが尋ねる。
「それに、チョコを塗るのですか?チョコは、溶かすものじゃなかったのですか」
「ん~。溶かしたものをね、表面に塗りつけるの。そして、これは」
逆さまになったものを指さし、「少し、冷ましてるトコ」と説明した。
「冷ます?」
「そっ。冷めてから取り出さないと、ぺしょんってなっちゃうからね」
ぺしょんとなったら、どうだというのだ。
春名の言っていることは、サッパリ意味が判らない。
とりあえず、彼女の作っている物は難しい。ということだけはミカにも、よーく判った。
向こうの調理台では、ミクが大騒ぎしている。
「おねえさまぁ~、お水が、ごぼごぼ言ってますわぁ~!」
ミカの元へ近づきかけていたミグは、急ぎUターンで戻ってきた。
えぇと、この次は、どうするんだったっけ?
――そうそう。一回り小さな鍋にチョコを入れて、ゆっくり溶かすんだった。
小さな鍋にカレールーを放り込むと、煮立った湯の中へ突っ込む。
その際、湯がはねてミグとミクの顔に飛沫が飛んだ。
「あつッ!」と叫んだのはミクだけで、ミグは、ぐいっと腕で飛沫をぬぐい取る。
「なんか、いーい匂いがするね?そろそろ お夕飯?」
なんてことを急に雲母が言い出し、春名もクンクンと鼻をひくつかせてみた。
甘ったるい匂いに紛れて、それとは明らかに違う匂いが一つある。
この匂いは……カレー?
もう夕飯の時間だったかなぁ、と慌てて時計を見ると、時刻はまだ午後の四時。
「気のせいじゃない?」
そう言ってみたが、雲母は眉間に皺を寄せて首を振る。
「気のせいじゃないっ。お夕飯っぽい匂い、してるよぉ~」
「うん、匂いはしてるけど、まだご飯の時間じゃないし」
その春名の袖を、くいくい、と遠慮がちに引っ張る者がいる。
振り向くと、俯きがちな倖が目に入った。
「水岩さん?どうかしたの」
彼女はモジモジしながら、部屋の角を指さした。
「あ、あれ…………だと思うよ、たぶん」
なんだろう、と雲母も春名につられて部屋の角を見て――あっ、と大きな悲鳴をあげた。
火にかけられた鍋からは、勢いよく湯が噴きだしている。
おそらく温度は九十以上。熱湯と言ってもいいぐらいの熱さのはずだ。
「お姉様、暑うございますわねぇ」
ポタポタと汗を垂らしてミクが呟く。
鍋からは、もうもうと煙だか湯気だかが立ちこめ、まともに中も見えない状態だ。
熱湯に浸かっているのは、小さな鍋。中にはカレールーだったものが入っている。
ぐちょぐちょのどろどろに溶けた上、少々焦げた匂いを立ち上らせていた。
「そろそろいいでしょうか」
汗一つ垂らさずミグは言い、火を止めた。
カレーの鍋を持ち上げると、用意してあった型へドロドロと流し込む。
「な、何作ってるのかな?というかアレ、何かを作ってるつもり、なのかなぁ?」
雲母に聞かれたところで、春名や倖に答えられるはずもない。
「かっ……カレーじゃないか、な?」
「カレーだったら、ご飯にかけないと……」
引きつった顔で春名は答え、倖がツッコミを入れる。ツッコミを入れる箇所が間違っている。
同じく動転しているのか、雲母は突っ込む代わりに倖の意見に同意した。
「だ、だよね、だよねっ。型に入れるカレーなんて、見たことないよ?」
もちろん春名だって見たことはない。でも材料から言うと、カレーにしか見えないのである。
単にカレールーを溶かしただけじゃないか、というツッコミは、さておいて。
そうこう言っている間にも、ミグは満足そうにカレーの入った型を冷凍庫に詰め込んだ。
「ど、どうしよう。間違ってるって教えてあげたほうが」
「じゃ、じゃあ大豪寺さん、お願いっ」
「え、えぇぇ~~っ!?」
倖はモジモジと俯いてしまうし、雲母は自分の料理の元へ逃げ帰ってしまうしで一人アワアワしていると、下から澄んだ声が春名に呼びかけてくる。
「ハルナ。ミグ達は、どこで間違いを犯してしまいましたか?」
ミカだった。
じっと見上げる彼女へ、即座に答える春名。
「最初から最後まで!全部間違ってるよっ」
慌てる春名と雲母らの態度を見た後、ミカは、そっと溜息をついた。
「ということは……最初から、やり直し、ですか」
「あ!だ、大豪寺さん、早く、早く止めないと!犠牲者が出ちゃうよ!」
再び自分の料理をほっぽり出し、雲母が駆け寄ってくる。
そんなに心配なら自分で止めればいいものを、何故か制止役は春名と決めているようだ。
だが彼女の指さす方向を見てみれば、ミグが意気揚々と固まったカレーを手に、どこかへ行こうとしているではないか!
誰にあげるつもりか知らないが、あれでは貰った人が可哀想だ。
春名は大声で彼女を呼び止めた。
「待って!待って、ミグさん……ミグッ!」
――が、しかし。
さして仲良くもない春名の制止などミグが聞いてくれるはずもなく、呆気にとられる三人とミカを残してミグとミクの二人は台所から去っていった。
そして、その夜。
夕飯は何故か、T博士主催によるカレーパーティーへ変更となったのであった。
End.