クレイダムクレイゾンへ行くには乗り合い馬車を使うのが一般的だが、今は首都が襲われて混乱のさなか、当然のことながら定期便が機能していない。
各地を奇襲した輩が通るのは、街道に限った話ではない。
しかし、どの経路を通ろうと最終的には首都跡地で合流するのは想像に難くない。
斬とソウマとタオはアルの背中に乗って一路クレイダムクレイゾンを目指し、残りの亜人や傭兵は黒騎士団長アレックスの指揮下で街道の警備に就かされた。
『襲撃されたのは、クレイダムクレイゾン、カンサー、クラウツハーケン、ファーレンですか。うち二つは傭兵による虐殺、と。しかし反逆者に味方する傭兵が出てくるなんて……お心当たりありますか?大佐』
通信機越しの雑談に、ハリィも地図を見ながら答え返す。
彼が配置されたのは東の街道、話題を振ってきたカズスンとは真逆の方角にあたる。
「報酬が弾めば悪党の護衛だってやってのけるのが傭兵稼業だ。ジェスターに与する傭兵が出てきたって驚かんよ」
ただ、と空を見上げて付け足した。
「一人で大量虐殺をやってのける剣士傭兵には、心当たりが全くない」
カズスンも一時の沈黙を置いて、愚痴をこぼす。
『また無名の凄腕傭兵が現れたんですかねぇ。世界の危機には駆けつけないくせに』
「そう言ってやるな。悪党に加担する傭兵も懐事情は苦しいんだ」と苦笑いして、ハリィは通信を切る。
雑談している余裕はない。斬たちが無事に帰ってくるまでの間、魔族と傭兵を合流させては面倒なことになる。
同業者を切り捨てまわる傭兵に、どれだけ立ち向かえるかは判らない。
だが、こちらには亜人という頼もしい味方がいる。
魔術師と異なり、剣士傭兵は結界の呪文を使えないのが救いだ。
いざとなったら周辺を焼き野原にしたって構わない。要は、首都跡地に足を踏み入れさせなきゃいいのだ……
クレイダムクレイゾン上空を一、二度旋回して、アルが問う。
「どうする?入口は全て封鎖されているぞ。以前同様、街の中央へ降りたてば防衛の名目で警備隊に襲いかかられるかもしれぬ」
少し考え、斬は決断を下した。
「警備隊を脅かすのは得策じゃない。ネイトレット家に噂が伝われば、アルテルマを借り受けるのも難しくなろう……街から離れた場所へ着陸してくれ」
「けど、入口は封鎖されているんだろ?離れた場所へ降りて、どうするんだ」とのソウマの問いへは渋い顔で答える。
「忍び入るしかあるまい。アル、上空から眺めて警備の薄い入口は何処だ?」
アルは南と北、二つの入口を見比べた。
どちらにも厳重なバリケードが敷かれており、見張りの警備兵が四、五人で堅めている。
南の警備兵は手に銃を構えているが、北の警備兵の武器は剣だ。忍び込むなら、北が良かろう。
そう告げた後は斬の指示に任せて、街から少々離れた平地へと舞い降りる。
「――アルは、ここで待っていろ」
斬に命じられて、アルは大人しく頷いた。
「ウン。できるだけ早く帰ってきてネ?」
自分がついていったって狭い街の中、ドラゴンに変身しようものなら警備兵がすっ飛んでくる。
戦う事態へ持っていっては、いけないのだ。そっと忍び込んで家宝を借り受けてくるだけなのだから。
斬、タオ、ソウマの背中が遠ざかってゆくのを見届けて、少女は小さく溜息をついた。
レイザース本土は亜人の島と比べると、えらく広大だ。
だが見渡す限り一面の草っぱらが広がっているからといって、それが何なのか。
こんな場所はアルの気を引くものが何一つ見つかりそうにない。
アルは空を見上げて、もう一度溜息をつくと、斬が一刻も早く戻ってきて、さぁ帰ろうと促してくれるのを待った。
クレイダムクレイゾンの入口には何重もの垣根が設けられ、警備隊員が蟻の子一匹通すまいと頑張っていた。
どの顔にも不安が宿り、剣を構えてはいるものの頼りない印象を受ける。
襲撃されて日が経ってない上、騎士団の派遣も来ないのでは、警備隊が不安になるのも致し方ない。
いずれは、ここにも首都陥落の噂が届く。そうなれば、さらなる混乱が呼び起こされる。
そうなる前に秘宝を借りて、すみやかに街を去るしかない。
斬一行は見晴らしのよい草原を突っ切り、次第に早足が駆け足となり、入口付近まで近づく頃には全力疾走になっていたのだから、急接近してくる一団に見張りが気づかないはずがない。
「な、なんだ貴様ら――」と警備兵が剣を構えるよりも早く、勢いよくソウマが体当たりをかます。
「ぐわっ!」と叫んで跳ね飛ばされる見張りなど目にも入れず、走る勢いそのままに斬は叫んだ。
「散開!」
直前まで忍び込むと言っていたはずなのに、強行突破へ切り替わったのには訳があった。
草原を歩いている時に気づいたのだ。
何者かの気配が、つかず離れず一定の距離を保って後をつけてくる事に。
最初に気づいたのは斬で、横を歩く二人にそれとなく伝えると、作戦変更をも小声で告げる。
あとは一気に走り寄り、見張りをタックルでふっ飛ばした後は三人バラバラに散らばった。
正面突破されるとは、警備兵も予想していなかったのだろう。追跡までに数秒の間が空いた。
タオと斬は風のように走り去り、ソウマは少し考え、歩調を落とす。
散開しようと目指す場所は一箇所だ。誰か一人、ここに残っての足留め役が必要だ。
やがて「いたぞ、あそこだ!」と迫りくる大声に対し、ソウマは道のど真ん中に仁王立ちして待ち構える。
何人こようと警備隊員如きは彼の敵じゃない。
幸い襲撃者は、とっくの昔に立ち去ったようだし――
そこまで考えて、ソウマは「うぉっとぉ!?」と、その場を飛び退く。
寸前までいた場所で激しい爆発が起きたかと思うと、一斉に粉塵が舞い上がる。
「な、なんだ!?」と叫んで立ち止まった警備隊員は、次の瞬間「ぐっ!」と呻いて崩れ落ちた。
隣に立っていた警備隊員も頭から爪先まで真一文字に切り裂かれて、真っ赤な血飛沫を吹き出した。
断末魔を上げる暇もありゃしない。
次から次へと警備隊員が血まみれになって表通りは阿鼻叫喚、もっともソウマは最後まで彼らの死を見届けちゃいなかった。
「くぅっ!」
強い斬撃を真っ向から剣で受け止め、勢いよく後ろに弾き飛ばされる。
何が襲撃してきたのかは、すぐに判った。
剣士だ。
上から下まで黒一色に身を固めた男が薄く笑う。
「分散させて襲う予定だったが……自ら散開してくれるたぁ、手間が省けて助かるぜ」
ソウマは答えず、黙って男を睨みつける。
短めの黒髪に琥珀色の瞳は、あきらかにレイザース人ではない。
だが、何故メイツラグ人が反逆者に加担する?ジェスターがメイツラグに潜伏していたとも思えない。
体格はタオと同じか、それ以上の細身だ。
抜き身の剣をぶらさげて棒立ちに見えるが、その実、一分の隙もない。
なにより、男の全身から噴き出す殺意が只者ではない。
ただ睨み合っているだけだというのに、ともすれば足がすくみそうになる。
ソウマが傭兵になって以来、初めての事態だ。
これほどの実力者が何処に潜んでいたのだろうか。
メイツラグ人で有名な剣士なら過去に一人いたが、その人物は傭兵を引退して久しいし、なにより女性であった。
リズ=ダイナー。今は海軍に所属するとの噂だ。
「お前らが此処へ来た理由を当ててやる。アルテルマ――違うか?」
ピクリと反応したソウマを愉快そうに眺めて、男が剣を構える。
「やっぱりか。対巨大生物にゃ、もってこいだもんな」
「お前は」
ソウマがポツリと吐き出した。
「メイツラグ人だろ。何故、レイザースの反逆者に味方するんだ」
男が口の端を吊り上げて、嫌な笑みを浮かべた。
「メイツラグとレイザースの反逆者は無関係……そう言いたいのか。なら、こうも言い換えられるぜ。反逆者に味方するメイツラグ人がいたって、おかしくない。なにしろメイツラグは、常にレイザースの侵攻を恐れているんだからな」
祖国を守るためにジェスターへ加担したとでも言うつもりか。
しかし国一つを守るのに、たった一人の剣士に何が出来る?軍隊を引き連れてこないと無理であろう。
男の真意が見えてこず、ソウマは再び押し黙る。
こちらを睨みつける男の輪郭が不意にブレた。
直後、重たい斬撃を手元に受けて、ソウマは後ろに飛び退いた。
間髪入れずに間合いを詰めてきた二撃目を鼻先寸前で避けると、さらに後方へ飛んで間合いを外そうとするも相手を振り切れない。
否、斬りかかってくる剣を避けるので精一杯だ。
おまけに相手は此方の動きが読めるのか、逃げようとする方向へ先回りしてくる。
逃げるのは無理と判った直後、ソウマも反撃に出た。
剣を剣で弾いて斬りかかる。が、避けられて逆に斬りかかられる。その繰り返しだ。
共に走り回っての攻防、体勢が崩れている上に近すぎる間合いのせいで、どちらも当てられずにいるが、息の切れた時が、どちらかの敗北になろう。
そいつは男もソウマも判っている。判っていながら、足を止められない。
立ち止まったら、やられる。肌身で直感していた。
二人は実力伯仲、互角の腕前だ。逃げようとして逃げ切れる相手ではない。
だからこそ、たとえ一対一の勝負に水を差すことになろうとタオの乱入はソウマにとって一筋の光明となった。
ソウマを追いかける途中で「ぬぅっ」と唸った男が大きく横手に飛び退いて、充分な間合いが開ける。
ソウマの対面に現れたタオは、涼しい顔で黒服に話しかけた。
「お久しぶりですね。といっても、貴方は僕を覚えていないかもしれませんが……」
「覚えちゃいないが、知っている」と男が低く吐き捨てる。
「カンサーの剣士タオ。今度はレイザースに寝返ったのか?」
「今度は?」と聞き咎めるソウマの声など耳にも入らなかったかのように聞き流し、タオが答えた。
「これはこれは。光栄ですね、貴方のような有名人に名を知られていたとは」
「抜かせ。俺は無名だ」
ぼやく男を興味深げに眺めて、タオは肩をすくめてみせる。
「いいえ、一部では有名ですよ。ことメイツラグやダレーシアにおいては、ね」
傍目に何気ない雑談を交わしているようにしか見えなかろうと、タオには一切の隙がない。
男も同様だ。凄まじい殺気を四方に放ち続けている。
「貴方と剣を交える機会。ソウマさんだけに譲るのは惜しいですが……僕らも遊んでいられる時間がないですしね。それに」と、言葉を切ってタオが軽やかに横手へ跳んだ。
何事かと考える暇なく先ほどまでタオの居た場所にて轟々と爆炎が上がり、「ぬぉっ!?」とソウマが驚いている間に男がタオへ突進していき、タオは難なく追撃をも躱す。
「甘いですよ。魔術師との二段攻撃、見破れない僕だとお思いですか?」
突然の爆発は魔法だったのか。
先にソウマを襲ったのも魔法であれば、何処かに身を隠した魔術師がいるはずだ。
素早く周囲に視線を巡らせたソウマは、動く気配を遠方に見つける。
そこだ!と駆け出したまでは良かったが、黒服の剣士から一瞬でも視線を外したのは拙かった。
なにかに足を取られた感触があり、「うわっ!」と転んだ拍子に頭の上を剣が通り抜ける。
接近してきたタオに足払いを仕掛けられたのだと判る頃にはタオと黒服が斬りあっており、魔術師の気配は遠ざかってゆく。
魔術師を追いかけるか、タオに加勢して剣士を倒すか。
そんなのは考えるまでもない。
剣を構え直したソウマを見て、タオが微笑む。
「そうですか。ソウマさん、では」
とん、と軽く飛んだようにソウマには見えた。
実際には二人分の背丈を飛び越えての大跳躍であり、着地と共にスタートを切ったタオの逃げ足は早く、あっという間に建物の向こうへ消えていく。
無論、華麗なる跳躍をボーッと眺めていたソウマではない。
タオが飛ぶと同時に黒服へと斬りかかり、二人は再び向かい合う。
「いいのか?逃げそびれちまったんじゃないか」
煽ってくる男には、ソウマもニヤリと笑って受け流す。
「元々、俺が足留め役をするつもりだったんだ。魔術師が逃げて、そちらこそ劣勢になったんじゃないのか?」
「抜かせ。無名の三下雑魚が残ったって、俺にゃ足留めにすらなりゃしねぇ」と吐き捨てる男に、ソウマは名乗りを上げた。
「言ってくれるぜ。俺はソウマ=サキュラス、レイザースじゃ結構名の売れている剣士のつもりだがね」
「ソウマ……サキュラス?ふん、お前がサキュラス家の生き残りだってか」と呟き、男も名乗りを上げてくる。
「俺はヒスイ。コハクと呼ぶ奴もいるが……どうせ、お前は知らないだろ。なにしろ無名も無名、海賊相手の用心棒だ」