8.捧げよ
休憩室でダグーが聞きだしたのは、昼食後の集会にて緊急報告があるとの噂であった。二人組は部屋へ戻っていき、ダグーとキエラは休憩室で計画を練る。
「このまま廊下をうろつくよかぁ、集会で探したほうが見つかるんじゃねぇか?」
手っ取り早い方法を優先したがるキエラと異なり、ダグーは慎重派だ。
「けど集会に出たら、きっと身動きが取れなくなるぞ。やっぱり地道に探したほうがいいんじゃないか」
消極的な相棒をキエラが宥めにかかる。
「集会ったって、どうせ教祖様のありがたい長話を聞くだけの集まりだろ。それに集会中でランカに話しかけろなんて無茶ぶり、俺もしちゃいねぇよ。ランカの部屋を調べるんだったら、尾行すんのが一番だ」
部屋が判った後は、ランカを連れて窓から脱出すればいい。
麓まで逃げるにしても人間の足では追いつかれる距離だろうと、空を飛んでしまえば追いつけまい。
集会までの時間潰しは食堂で飯を食べるのが一番だとキエラは気楽に笑い、廊下をうろついて信者に不審者扱いされるよりはマシかとダグーも納得する。
信者は皆、自由時間は修行に励んでいると西荻からは聞いていたのだが、昼前の食堂は意外と人がいて、皆が皆、瞑想ばかりしている毎日でもないらしい。
殆どの者がジュースや水で喉を潤し、他愛ない雑談をかわしている。
話す内容も大半がフェンリルと無関係な、誰かの恋話や可愛い女性信者、気になる相手の修行状況などの噂話だ。
「……意外と俗世にまみれてんな?こんな場所で隔離生活送ってる割には」
小声で囁くキエラへダグーも小声で返す。
「隔離されているってだけで、禁欲を強いられてはいないんじゃないかな」
「部屋に閉じこもって瞑想を強制されてんのに?」
「きっと強制じゃないんだよ。だってサボッているにしては皆、堂々としているし」
改めて食堂を見渡してみると、雑談に花を咲かせている連中は卑屈になることなく堂々と自由時間を堪能している。
瞑想は推奨されているだけで、必ずやらなきゃいけないものではなかったのか。
そう考えると、意外とゆるい修行生活である。
俗世と切り離された上、働かなくてもタダ飯できて、のんびりまったり暮らしていけるなら、脱走者も出まい。
ネットで話題がのぼらないのは、徹底した箝口令の他にも外へ情報を漏らす信者がいないおかげだろう。
ダグーとキエラもお茶を飲みながら、しばらく雑談で時間を潰す。
やがて昼時には人が増えてきて、飯後の流れに乗って集会へ参加した。
だだっ広い講堂に、ぎっちり信者がすし詰めとなっての集会が始まった。
壇上に立つのは教祖らしき金髪の男が一人と、背丈の低い少女が一人。
ダグーは声こそ出さずに、あっとなる。
少女はランカであった。
彼女にしては大人しく、直立の姿勢を貫いている。
教祖がマイクを通して話し始めた。
『皆の衆、喜ぶがいい!我らが悲願を乗り越えし戦士に、また一人、名を連ねる勇者が現れたことを』
教祖だなんだといったって、所詮は組織における上役である。
てっきり町内会での町長みたいに、どうでもいいお日柄の挨拶から始まるんだと予想していた。
いきなり芝居がかった演説口調で切り出されて、ダグーは目をパチクリさせる。
しかし驚いているのは自分一人ぐらいなもんで、周りの信者は微動だにせず聞き入っている。
教祖の後方に立っていたランカが音もなく一歩踏み出す。
途端に講堂は、わあぁぁっ……と歓声に包まれて、ダグーは二度驚かされる。
『この者が本部入りを果たした。昨日入信して間もなく、真理に目覚めたのだ!』
要は高い魔力を買われての抜擢と見て間違いなかろうが、昨日入ったばかりの新入りが選ばれることに周りの信者は疑いを持たないのであろうか。
左右を見渡した限りでは誰も疑問に思わなかったようで、どの顔も歓喜に頬を火照らせて拍手で歓迎の意を示している。
それに、ランカの様子も奇妙だ。
手放しで褒められているってのに、あの万年おしゃべりが黙したままでいるなんて。
『皆の衆、本部へ旅立つミミルに祝福を!』
教祖の叫びに併せて、信者が合唱する。
「捧げよ!ミミル!その心臓を、その魂を、その身体をフェンリルに捧げよ!」
講堂の壁という壁をビリビリ震わせる声量で何度も繰り返される合唱は、内容が物騒だ。
クチパクで合唱しているふりをしながら、ダグーはランカの様子を注意深く伺う。
彼女は虚ろな目で皆を見下ろしていたが、やがて片手をあげて宣誓する。
「ミミルは、皆の前で誓います。必ずや、この身を賭してフェンリルの降臨を果たして見せましょう!」
とても正気とは言い難い発言に、思わずダグーは彼女の本名を口走っていた。
「ランカ!どうしたんだ、一体。悪いものでも食べたのか!?」
ざわっと周りの信者に動揺が走る。
あちこちから懐疑の視線が突き刺さってこようとお構いなく、ダグーは一歩、また一歩と壇上へ歩み寄る。
「ランカ、探したんだぞ。一緒に帰ろう」
ランカは黙っている。
焦れたダグーは注目の集まる中、壇上に一歩、足をかけた。
「ランカ――」
ダグーとランカの視線が絡み合い、ようやく彼女は言葉を発した。
感情のこもらない機械じみた声で。
「どなたですか?」
「え……?」
「神聖なる集会を邪魔して、私をランカと呼ぶ貴方は何者かと問いています」
冷たい視線で射すくめられて、ダグーの背筋をゾッと悪寒が走り抜ける。
まさかと思うが、洗脳されたのか。人間より高い魔力を誇る魔族が?
ランカが入信したのは昨日だ。
たった一日で他人を完全にマインドコントロールできる洗脳など、聞いた覚えがない。
「私の身体はフェンリルに捧げる贄。帰る場所は貴方の側ではなく本部です」
周りの気配が、一瞬にして動揺から別のものに変わったとクローカーは気づく。
信者全員がダグーに向ける意識を殺意に切り替えた。
今のランカの一言で、だ。本人の意思ではない。
ランカを含めて信者は全員、何者かのコントロール下に置かれていると考えてよかろう。
これほどの広範囲に強力な催眠、人如きの魔力では到底安定できるものではない。
教祖からは人の気配しか感じられない。皆を操っているのは、こいつじゃない。
ここには彼とは別にもう一人、人ならざる何者かが潜んでいる。
巧妙に気配を隠しているせいか、クローカーにも正確な居場所が感知できない。
教祖が手を挙げ、一気に振り下ろす。
『ミミルを汚す異端者を排除せよ!異端者には、死を!』
号令と同時に、わぁっと信者に群がられ、力づくで壇上を引きずり降ろされたダグーは身動きが取れなくなった。
振り払った側から次の手が伸びてきて掴みかかってくるもんだから、逃げる暇もありゃしない。
どの顔にも殺気が灯っていて、魅了は効きそうにない。
何者かの強い催眠暗示で動かされているのか信者は全員が同じ言葉、「異端者に死を!」を繰り返し唱えてはダグーに掴みかかってくるのだ。
異常という他ない光景だ。
この暗示にランカもかかっているとなると、一筋縄では救出できそうにない。
キエラやクローカーは人の波に押し合いへし合い邪魔されて、ダグーに近づくのさえ困難だ。
いっそ魔力弾で全員吹き飛ばしてやろうかとキエラは早くも短気にキレかけたのだが、彼が行動に出るよりも先に更なる異変が講堂を襲う。
不意に信者の悲鳴や怒号にかき消されない大音量で、遠吠えが響き渡った。
かと思えば天窓が激しい音と共に砕け散って、黒い影が飛び降りてくる。
影は信者の頭上を大きく飛び越え、「なっ……!?」と驚くダグーの元へ降り立った。
パッと見で四つ足の獣だと判るそれは、茶色の毛並みが美しい狼であった。
だが何故、野生の狼が北海道にいる?
日本狼なら、とうの昔に絶滅したはずだ。
それに、この狼。何の用があって、神殿内に突入してきたのであろうか。
予期せぬ獣の登場に困惑するダグーは、狼に服を引っ張られて、たたらを踏む。
狼の瞳は背中に乗れ、そう語りかけているように感じたが、成人男性が乗れる広さでもない。
「異端者には死を!邪魔するのであれば獣、貴様も容赦せんっ」と伸ばしてきた信者の手にガブリと噛みつき、悲鳴を上げさせた狼が再度ダグーの服を咥えて引っ張ってくる。
ダグーは今一度、壇上をチラリと振り返った。
先ほどと同様、ランカは冷たい視線を放っており、ダグーの元へ駆け寄ってくる様子は微塵もない。
壇上へは二度と近づけそうにないし、ここは一旦退却したほうが良さそうだ。
ダグーは狼に向かってコクリと頷くと、手前を塞ぐ信者へ体当たりをかます。
「ぐわっ!」との悲鳴を背に受けながら、次から次へ襲いかかる信者は狼が噛みつきで蹴散らして、ダグーは勢いよく講堂を飛び出した。
もみくちゃの大騒動を強行突破で切り抜けたダグー一行は、空を飛んで追手を撒いた。
やっと一息つけたのは、街中まで戻ってからだ。
「もー、なんだって、あんな場所でランカに話しかけたんだよ、ダグーちゃん。作戦グダグダじゃん」
近場の公園でキエラが愚痴垂れるのを遮って、クォードが鋭い視線を狼へ向ける。
「それよりも、その狼は何なんだ?ダグー、お前の眷属か」
狼はダグーに抱きかかえられた格好で大人しくしていたのだが、地に降ろされるや否や二本の足で立ち上がる。
皆の見ている前で、茶色の毛だったものが人の肌へと変わってゆく。
「...眷属じゃない」
パッと見、十代と思わしき少女だ。
華奢な体つきながらも、青い瞳は強気な性格を覗かせている。
黒髪だが日本人ではない。
「君は人狼だったんだね」と話しかけるダグーへ頷き、ちらと少女が上目遣いに見つめ返してきた。
「あなたは...ダグー。で、あってる?」
「うん」
確認されずとも、キエラやクォードが散々ダグーと呼んだばかりだ。
だが、続けて放たれた少女の問いには全員がハッとなって彼女を見やる。
「間違っていたら、ごめんなさい...ダグーはアーティーウルフのダグー...なの?」
「え、なに、アーティウルフって人狼界隈じゃ有名だったりすんの?」と驚くキエラの横腹を肘でどついて黙らせると、クォードが口を挟む。
「その前に名乗ったら、どうなんだ。人狼にだって個別名称ぐらいあるんだろ」
クォードなど存在ごと無視しているのか、少女の視線はダグーに釘付けだ。
しばらく黙って見つめあう事、数十秒。
少女が、ぽつりと囁く。
「...ダグー。わたしを、覚えてない?」
人狼の知り合いは少ない。
ヴォルフの他にダグーが知るのは、たった一人だけ。
ただ一人知る名をダグーは口にした。
「……もしかして、シヅ?シヅなのかい?」
すると少女はパァァッと顔を輝かせて、ダグーに勢いよく抱き着いてくるではないか。
「ダグー、やっと会えた...ずっと、会いたかった...!」
しっかり抱き留め、ダグーはシヅの黒髪を何度も撫でてやった。
「シヅ……生きていたんだね、良かった」
感動の再会だというのに、空気を読まず「知っている人狼だったのか」と横入りするクォードには背中で答えた。
「うん。昔、同じ場所で育った妹分だ。この子も俺と同じ、アーティウルフなんだ」
21/08/14 Up