act14.学院 親善大使
楽しい夏休みも終わり――新学期を迎える。
「わぁっつーん、おっはよー!」
バシーンと力いっぱい背中を叩かれて、倭月は二、三歩よろめいた。
「あ、あたぁ……も、もぉ~、元気よすぎだよぉ。朝から……」
「何言ってんの。新学期だよ?新学期。シャキッといかなきゃね~!」
叩いてきたのは、同級生にして親友の佐奈。
少し遅れて、智都が追いついてきた。
「ハァ……ハァ……さ、佐奈っち、走るの速い……っ」
ここまで全力疾走してきたのか、智都は肩で荒い息をついている。
「も~、ちっつん遅すぎ!新学期の始めぐらい、シャキッといこー!」
たかが新学期というだけで、張り切りすぎである。
元気なのは佐奈の良いところでもあるのだが。
「あ~……楽しかったねぇ、夏休み!」
「あ、うん……」
夏休みに、生徒会長から誘われて三泊四日の旅行に出た。
生まれて初めてのお泊まり旅行、行く前から期待と興奮でいっぱいだったのだが……
しかし病気で倒れた仲間が出て、付き添い兼保護者の先生が途中で帰ってしまい。
なんとなく盛り上がりの欠けたまま、お泊まり旅行は終了した。
もちろん、旅行から帰ってきた後だって遊びまくったのは言うまでもない。
佐奈や智都と一緒にプールへ行ったり、遊園地へ行ったり。
だが何をしても何処へ行っても物足りなさを感じたのは、本来ならばいるはずの、もう一人。
拓の姿が、どこにもなかったからではなかろうか?
旅行後、拓とは、なかなか連絡が取れず、ほとんど一緒にいられなかった。
長谷部先生にしたって、そうだ。
先生のお宅に兄がいないかと、思い切って訪問してみたけど無駄足だった。
先生も、家を留守にしていることが多かったのだ。
全ては旅行中に具合を悪くした、大守先輩がきっかけのような気がしてならない。
あくまでも、倭月の推測だけど。
「あれ~?わっつーん、元気なーい。面白くなかったの?」
「あ、うぅん。そんなことないよ、楽しかったね遊園地!」
「うんうん」と、智都も頷く。
「来年も一緒に遊ぼうね」
たちまち「もー、ちっつん気が早ァい」と佐奈には突っ込まれ、彼女も破顔した。
「一緒に遊べたら、いいよね~」
「絶対、遊ぼう」
そんな他愛のない話をしながら、三人は校門をくぐり抜けた。
体育館へ向かう廊下の途中で、拓が前を行く背中を呼び止める。
「はーせべセンセッ、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
振り向いてニッコリ笑う長谷部先生の隣に並ぶと、拓はヒソヒソと囁いた。
「今日から来るんでしょ?例の親善大使」
「あぁ。それと、もう一人」
「もう一人?」
「新しい教師だ。学長に話を通して、お前のクラスの担任と交代させるよう言ってある」
学長を動かすとなると、平の教師ではなくエクソシストとしての命令か。
THE・EMPEROR社員の誰かが派遣されてきたのだ。
「誰?」
好奇心に目を輝かせて尋ねてくる拓の耳元へ、口を寄せると。
長谷部は囁いた。
「局長だ」
「え……
え~~~っ!?」
「しぃっ!声が大きいっ!!」
慌てて周囲を見渡して皆の注目になっていると判るや否や、長谷部は拓から身を離す。
「とにかく津山くん、新学期もよろしくな」
「は……ハイ」
ポカンと呆ける拓を残し、長谷部先生に戻ったGENは早足に歩いていき。
「どうしたの?津山くん。保健の先生と何話していたの?」
ポンと佐竹に肩を叩かれて、拓は呆然と呟いた。
「マジかよ……そこまでの事態だったんだ」
八月の初め、生徒会長主催のお泊まり旅行で、悪魔を見つけた。
正確には悪魔じゃない。悪魔と融合した魂の持ち主だ。
社長が個人特定できなかった理由も、今なら判る。
GENが霊力を使うまで、大守 悦子は一般生徒と何ら変わりがない普通の生徒だった。
てっきり、寮に引きこもっている三人が怪しいとばかり思っていたのに。
体調不良と称して病院へ搬送された悦子は、さらに別の病院へ搬送されて治療を受けている。
エクソシスト公認の病院だ。親族や友人達にも、その旨は知らされていない。
彼女に取り憑いていた悪魔は、高魔力生命体第二種と認定される。
今は複数の優秀なエクソシストが治療に当たっていた。
悪魔は見つけたし、もう任務は終了じゃないのか?
未だ任務完了を告げないGENに疑問は残るものの、ティーガは大人しく先輩に従う事にした。
そして、新学期。
先ほどの話によれば、VOLTが新任教師として潜入してくるという。
局長ほどのベテランが投入されるという事は、GENはまだ、この学院に悪魔がいると踏んでいるのか。
任務は、まだ終わっていないのだ。気を引き締めて、かからなければいけない。
「そこまでの事態って、何が?」
ポカンとする佐竹を置き去りに、拓が廊下を歩き出す。
「あ……津山くん?待ってよ、お~い!」
追いかける声も拓の耳には入らず、彼は思案顔のまま二年四組の教室へと入っていった。
生徒達は校庭へ呼び出され、学期始めの朝礼が開かれる。
今日のメインは何といっても、夏休み前から噂になっていた『親善大使』の紹介だろう。
心なしか並んでいるどの生徒の顔も、ソワソワと落ち着きがない。
何しろ、西大陸の人間である。
稀に東で見かけることがあっても、大抵は旅行客だ。
それが三ヶ月間、ずっと同じ学院へ通うとなったら、わくわくしない方がおかしい。
「えー、静かに。では次、今日から皆と一緒に桜蘭へ通うことになる親善大使をご紹介します。ヨンダルニアより当学院へお越し下さった、ガルシア=ラレットさんです」
副学長の言葉に生徒達は静まるどころか、ざわめきが大きくなる。
ステップをあがり、台の上に立った人物が流暢な黒真境語で話し始めた。
「只今ご紹介にあがりました、ガルシア=ラレットです」
金色の髪の毛が、日の光を受けてキラキラと輝く。
女生徒が、ほぅっと感嘆の溜息を漏らした。
「これから三ヶ月間、皆さんと一緒に勉学、そして東大陸の文化を学んでいきたいと思っています。どうぞよろしく、お願いします」
そう言って、さわやかにウィンク。途端、何人かの女生徒がバタバタと倒れた。
「な、なんだ?」
周囲の男子は慌てるが、どうやら失神しただけのようだ。
女子の過激な反応には拓も驚いたが、それよりも驚くべきはガルシア某の容姿だ。
七三に分けた髪型といい、どこかニヤけた垂れ目といい、瓜二つではないか。
悪名高き悪魔の使い、デヴィット=ボーンに……!
ちらりと拓が長谷部を盗み見ると、先生もこちらを見ていて僅かに顎を引いた。
彼も確信したのだ、ガルシアはデヴィットに違いないと。
だが、他人のそら似という可能性もある。確かめるのであれば、慎重にかからねば。
「続いて、新任教師の紹介をします」
ガルシアが降りていくのと交代で、今度は黒いコートに黒いサングラスの男が台へあがる。
ずいぶんと背の高い男だ。
「
東野 令嗣先生です。先生には二年四組を担当してもらいます」
たちまち「え~?」だの「タノキンは、どうしたんだよー」といった声へ答えるべく、副学長の説明が重なる。
「田村先生はお父さんの危篤により、一時的に故郷へ帰郷なさいました。東野先生には田村先生が戻るまでの三ヶ月間、授業を受け持ってもらいます」
父、危篤。すぐ帰れ――とは、無茶な設定を用いたものだ。
本当に田村先生のお父さんが倒れた時には、どんな理由をつけて休ませるつもりやら。
不遜な笑みを浮かべながら、拓は台上の男を見つめる。
やっぱり、こんな時でも黒コートにサングラスは絶対外さないんだなぁ。
GENさんでさえ、先生になる時はバンダナを外したってのに。
「東野 令嗣だ」
渋い声が校庭に響く。
「これから三ヶ月間、世話になる。先の親善大使と同様、短い期間だが宜しく」
親善大使と同じ期間にしたのは、局長も親善大使がデヴィットだと疑っているのか。
「せんせーは、どうしてサングラスを外さないんですかぁ~?」
誰かの質問に、校庭中がドッと沸く。
東野はニコリともせずに淡々と答えた。
「そのほうが、格好いいからだ」
またまた笑いに沸いた生徒達を副学長が静めて。
「はい、静かに。これにて朝礼を終わります」
今学期最初の朝礼は、幕を閉じたのだった。
「へーんな先生だよねぇ~」
教室へゾロゾロと戻る途中、佐竹が話題を振ってきたので拓も乗ってやる。
「そのほうが、格好いいからだ」
ちょっと局長のモノマネをしてみたら、佐竹にはオオウケ。
膝を叩いて大笑いしている。
笑いすぎて浮かんだ涙を拭きながら、彼が言う。
「まさか教室でも、あの格好じゃないよね?」
「案外、あの格好かもよ?なんにしても、面白そうな先生で良かったじゃん」
実を言うと、VOLTが追加で潜入してくると聞いた時は拓も多少心配になった。
会社でも浮きまくりの彼が、この学院に馴染めるのか?
だが、心配は杞憂だったようだ。
佐竹の『変な先生』という印象。
それが桜蘭生徒の大多数が持ったイメージと言っても、過言ではない。
VOLT本人は心外かもしれないけれど。
――それに、親善大使。
変な先生のせいで印象は薄れてしまったが、女生徒が過剰反応した件を忘れてはいけない。
金髪が綺麗なのは、認めるとして。
彼がウィンクしただけで失神してしまうのは、どう考えても納得いかない。
絶対あの時、なにかやったんだ。
呪詛か何かをウィンクに乗せて飛ばしたんだ、と拓は考えた。
「……ガルシア=ラレットさん、かぁ」
ぽつん、と佐竹が呟く。
見ると佐竹の頬も、ほんのり赤らんでいるではないか。
「綺麗な人だよねぇ」
「何、おまえ。そーゆー趣味でも、あんの?」
思わず、ずささっと大袈裟に退いてみせれば、佐竹はハッと我に返って言い訳してくる。
「いっ!?ち、違うよ!そーゆーんじゃなくて!ただ、純粋に綺麗だなぁって、ほら、あの金髪が!」
「まぁ、確かに。よし、一本もらってこようぜ!」
拓のとんでもない提案には、佐竹が慌てて引き留める。
「ひ、引っこ抜くのぉ!?駄目だよ、そんなことしちゃ悪いって!それに授業、そろそろ始まるし!!」
「じゃあ、二時間目が終わった後に!」
「……どうしても引っこ抜く気満々なんだぁ……」
金髪を引っこ抜くのなんて、ただの口実だ。
親善大使が本当にデヴィットなのかを、早めに確かめておかないと――
気は焦るが佐竹の言うとおり、もうすぐ新学期最初の授業が始まる。
背を押されるようにして、拓は二年四組の教室へ戻った。
act14.組織 時限装置
いつの頃からだろう。
学生諸君が呼ぶ、"夏休み"が明けた時期ぐらいだっただろうか?
天都のあちこちで、奇妙な噂が飛び交うようになったのは。
ある者は『路地裏で血肉を頬張る女を見た』と言い、また、ある者は『包丁を振りかざす女に遭遇した』とも言う。
TVでも、今年の行方不明者の数が増えたと盛んに報道されていた。
少しずつ――
ほんの少しずつではあるが、平和な日常に僅かな陰が忍び寄りつつあった――
「それにしても、判らないのは」
そう切り出したのはBASILだ。
THE・EMPERORでは、ベテランのエクソシストである。
「ZENEXTの連中を襲った悪魔遣いだよ。奴は何故、エクソシストを見逃したんだ?目撃情報を持って帰られたら、一番困るのは自分だろうに」
「さぁねぇ」と気のない返事をして、同じくベテランのSHIMIZUは周囲の様子を探る。
町は一見、何事もなく平常通りに感じられた。
悪魔の気配がすれば、それと瞬時に判る。
「無名故の強み、じゃないのォ?どうせ報告されても自分は無名だから判りっこないって踏んでいるのよ」
「じゃあ、全くの無名がZENEXTのベテラン達をぶっ飛ばしたって思っているのか?」と、BASILも食い下がる。
「有り得ないぜ!俺達と一緒で、向こうだって年季の長い会社なのに」
二人の会話に、ZENONが割り込んでくる。
「こっちだってハゲ坊主が本気になりゃあ、同じ道を辿ったかもしんねーんだ」
「ハゲ坊主?」
「って、ラングリットのこと?」
ハモる二人へ頷くと、ZENONは視線を首都の方角へ向けた。
「奴ぁ、ここで何かを探しているらしいな……企みさえ判りゃあ、ぶっ潰してやれるんだが」
去り際に奴の放った一言を思い出し、BASILもSHIMIZUも首を傾げる。
奴は、確かに言っていた。
『今は貴様等と争っている暇はない。失せ物探しがあるのでな』――と。
悪魔遣いの求める"失せ物"とは、何だろう?
エクソシスト撲滅を避けてまで探すものだ。
ZENONの言うとおり、それが判るなら先に奪ってやりたい。
「私達の任務はラングリット=アルマーを探し出して倒すこと……で、いいのよね?」
「そうだな」
BASILが頷き、公道を振り返る。
「ラングリットが、この周辺にいるってのは判ったんだ。居場所を突き止めてやらなきゃあ、住民だって安心できないぜ」
ここは天都中央より西の地、天馬町。
思い返せば、ZENONが任務の折にデヴィット=ボーンを見かけた町でもある。
噂話だった頃は、あまり気にも留めていなかった。
だが今にして思うと、その頃から派遣しておけば良かったのか。
まぁ、今更終わったことを蒸し返しても仕方がないのだが……
「Yo,三人とも、こんなトコにいたのかYo?」
そこへやってきたのはDREADで、三人へ手招きする。
「バニラさんが呼んでるZe。ホテルに戻って作戦会議がしたいんだと」
EX・ZENEXTとの共同調査が断たれた後も、THE・EMPERORのエクソシストは西部での残留を余儀なくされた。
社長から連絡があり、ラングリットの行方を探せという追加命令が下されたのだ。
ホテルへ戻ると、さっそく作戦会議が開かれる。
「クソ坊主の隠れそうな場所だが……廃寺と旧豪邸、つまり空き家が各一つずつ。どちらも付近の住民は立ち寄らないエリア、D番地にあるようだね」
壁に地図を貼りだしてバニラが言うのへは、BASILが手を挙げる。
「D番地って、開発計画が途中でポシャッた廃エリアでしたよね。立ち入り許可は取れているんですか?」
「許可は明日役所に行って、取ってくるよ」
バニラは答えると、地図の北部――すなわち、今話題にあがったばかりのエリアを指さし続けて言った。
「許可証の効果は一日限りだからね、グループに分かれて一気に二箇所調べる」
途端に元気よくZENONが騒ぎ出す。
「ハイ!ハイ、ハイハイ!」
「なんだいZENON、うるさいよ!」
「俺は絶対バニラすぁんと一緒に行きますからね!誰が何といおうともッ!!」
バニラは無視して、全員の顔を見渡した。
「グループ分けは、あたしが決めるよ。いいね?廃寺方面への探索は、BASIL、DREAD、あたし!旧豪邸方面への探索は、SHIMIZU、ZENON、スザンヌ!以上ッ」
「ハイッ!」と威勢良く皆が返事する横では「そんなぁ~」と、すっかりしょぼくれるZENONの姿が。
「そんなにBASILさんと一緒が良かったんですか?」
スザンヌには、からかわられ。
「勘弁しろよ!」
「BASILなんざ視線の先にも入れてねぇ!!」
双方の先輩が同時にハモる。
「でも」
二人の怒りなど、どこ吹く風。
一番ルーキーのスザンヌはバニラを振り仰いだ。
「こんなことなら、オレじゃなくて局長を入れた方がよかったんじゃないですか?最初の予定通りに」
そうなのだ。最初の予定では、VOLTも西へ向かう予定だった。
それを急遽変更せざるを得なくなったのは、別件で天都へ降りていたGENから援護要請が入ったからだ。
なんでも、彼の受け持つ依頼で見つけた悪魔が第二級クラスで手に負えないとの話だった。
VOLTの代役として、SHIMIZUの一年後輩であるスザンヌが急遽、西へ向かうメンバーに入れられた。
「GENが手こずるほどの大物悪魔が首都に来ていたとはね」
BASILが嘆息すれば、即座にZENONの鼻息が返ってくる。
「ヘッ、GEN如きの甘チャンじゃあ三級でも手こずるだろうぜ。奴はルーキーのお守りで手一杯だからな!」
「な~に威張ってんだYo。本を正せば、お前がココでデヴィットを見っけた時、尾行しときゃ良かったんDa」
DREADまでもが混ぜ返してきて部屋は騒然となるが、バニラの「静かにしな、このバカチンども!」の一喝で静まりかえる。
「とにかく、明日は立ち入り区域の徹底捜索だ。さぁ、夕食を取ったら明日に備えて、さっさと寝るんだね」
彼女の一言で会議は締められ、さっさと踵を返したバニラへはZENONが付き添う。
「あ、バニラすぁん。お風呂へお入りの際には是非俺にお声をかけて下すぁいっ」
「なんで風呂入るのに、アイツに声をかけなきゃいけねーんだYo?」
ヒソヒソ声で尋ねてくるDREADには、ヒソヒソ声でBASILも返す。
「さーな、多分背中でも流したいんじゃねーの?ったく悪魔よりも命知らずだよな、あのバカは」
バニラの勘は正しかったのかもしれない。
夜遅く、廃寺の窓から薄紫の煙が一つの筋となり、風にたなびいて流れてゆく。
耳を澄ませば、聞こえるだろう。低く呟く男の声が。
床に腰を降ろして一心に呪詛を唱えているのは、禿頭の男。
黒衣を纏い、黒真境の人間のようにも見える。
しかし眉毛は金色を帯び、月明かりに輝いていた。
男の呪詛は次第に大きくなり、部屋の中央に置かれた香炉の煙が不自然に揺らめく。
やがて煙の中に黒い影が蠢いたかと思うと、実体を伴って部屋に現われた。
初めは、白い足が。すらりと細い体のラインが浮かび上がる。
女だ。猫のように爛々と瞳を輝かせ、しなやかな体を男の腕に滑り込ませた。
『お呼びですかニャ、ラングリット様』
童子の如き高い声で囁くと、女は瞳孔を細める。
「パーシェル、お前に役目を与える」
少女を腕に抱きかかえたまま、ラングリットが応えた。
「俺達は巫女の血を探さねばならなくなったわけだが、エイジが協力を拒む以上、俺とデヴィット、そしてバルロッサの三名でやり遂げねばならん」
『巫女の血?巫女の血を嗅ぎ当てればいいのニャ?』
女が首を傾げるたび、耳元の鈴がちりんと鳴る。
「そうだ。正しくは、巫女の血を引き継いだ者の匂いだ。お前になら、できるだろう」
『判りました。必ず探し当ててごらんにいれますニャァ』
パーシェルと呼ばれた少女は目を細め、ラングリットに顔を擦り付けると上目遣いに彼を見た。
『ご褒美は……極上の大ウナギでお願いしますニャ』
大ウナギといえば、黒真境では一握りの金持ちしか口にすることの出来ない幻の一品である。
当然値も張り、一般人では食べるどころか存在を知る者も少ない。
ラングリットは少々考える素振りを見せたが、すぐに頷いた。
「あぁ、完全一致したらウナギでも大トロでも何でも与えてやる」
『ニャォーン!だからラングリット様ァ、だぁーい好きっ』
ますますパーシェルは彼にスリスリと抱きつき、勢い余ってラングリットは嫌というほど床に頭をぶつけたのだが。
何事もなかったかのように起き上がると、やんわり少女を押しのけ真顔で命じた。
「じゃあ、いけ!この界隈で見つからなかったら、一旦戻ってこいよ」
『吉報をお楽しみに、ニャン♪』
ウィンク一つ残し、パーシェルの姿が闇に消える。
完全に気配まで消えたところで、ようやくラングリットはぶつけた頭に手をやった。
瘤になっている。
「まったく、あの甘えん坊め……まぁ巫女の血が手に入れば、多少はあいつの頭もよくなるか」
独りごちると、香炉に息を吹きかける。
一瞬にして廃寺には暗闇が訪れた。
各地で悪魔遣いが暗躍する中、首都でもデヴィット=ボーンが名を変え、とある私立学院へ潜伏しようとしていた。
親善大使の契約は、GENとティーガが派遣されるよりも前から西と東の間で取り決められたものだ。
だが本来来るはずだった親善大使は何の手違いか、悪魔遣いにとって替わられた。
否、手違いではない。
真実を知るのは、大使を手にかけた悪魔遣いだけだ。
「……おかしいな……」
デヴィットこと、今はガルシア=ラレットと名乗っている彼は、生徒宿舎に足を踏み入れた途端、眉を潜める。
「いち、にぃ、さん……三つしかないじゃないか。誰か死んだのか?」
いきなり物騒な呟きを漏らしたかと思えば、早足に廊下を歩き出す。
まるで最初から知っているかのように一度も迷わず大貫とネームプレートのかかった部屋を開くと、中へ上がり込んだ。
「大貫 達也、生きているか?」
ベッドで横たわる人影に呼びかけると、糸で引っ張られた人形のように奇妙な動きで大貫が起き上がる。
色の白い少年だ。紙よりも肌が白い。
色白なのではなく、病気による不健康な白さだ。
「デヴィットさ・・ま・・・」
パクパクとくちを動かし、干からびた言葉を紡ぐ。
ふむ、と頷いたデヴィットが部屋を見渡した。
「生きているか。じゃあ、他の三人に……おや?」
不意に何かに気づいたかして、しばらく目を瞑っていた彼は、ややあって集中を解き放つ。
「なるほど、いなくなったのは時限装置のほうだったか。大守 悦子を解放した奴がいるんだな」
再びベッドへ視線を向けると、デヴィットは尋ねた。
「他の二人は無事か?」
のろのろと口を動かし、大貫が答える。
「は・・・い・・部屋・・に・・」
「部屋にいる……ってことは、宿舎に乗り込んできたわけじゃないのか」
ふぅむ、とデヴィットは再び考え込む。
エクソシストが乗り込んでいたのには驚いたが、奴らが宿舎に手をつけていないのも意外に感じられた。
「潜り込んだ時期にも、よるのかな。ここ数ヶ月の間に、転校生や新しい教師が赴任して来なかったか?」
大貫が再び答える。
「ろ、六月・・に、二人」
「二人も?生徒か、それとも」
「せい・・と、と・・先生・・・」
「生徒と先生だって?」
片眉を跳ね上げ思わず動揺してしまったが、デヴィットはすぐに平静を取り戻す。
六月に入ってきた転校生と、新しい教師。
どちらかが悦子の魂を悪魔から解放したエクソシストで、間違いあるまい。
そういえばデヴィットが大使として挨拶した日にも、新しい教師の紹介があった。
非常勤務だと紹介されていたので、その時は気にしていなかったのだが、考えてみれば不自然な男であった。
学校へ勤めようというのに、黒コートにサングラスは不釣り合いすぎる。
百歩譲って服装センスを問わなかったとしても、朝礼以降の行動も思い起こせば怪しいものがあった。
奴は、やたらとデヴィットへ話しかけてきた。
親善大使が物珍しいのかと思ったが、そうではなかったのかもしれない。
「東野 令嗣、か……」
恐らくは、偽名だろう。
エクソシストらしき霊力の波動を感じられなかったが、奴らは、その気になれば霊力を抑えることができる。
「面倒なことにならなきゃいいけど……いざとなったら、時限装置を一つ作動してみるか」
時限装置――
魂に悪魔を融合させた生徒は、あと三人残っている。
彼らは学院宿舎にいながら、"いない存在"として扱われている。
平凡な教師には、けして見つけることの出来ない空間で。
すなわちデヴィットの造りあげた結界の中で、細々と生き長らえていた。
もちろん死んだわけではないから戸籍上は存在が残っているし、肉親や友達の中には彼らを覚えている者もいよう。
覚えているが、しかし、けして会うことはできない。
そういう風に、暗示をかけてあるからだ。
ちらりと大貫を一瞥し、デヴィットは冷たく命じた。
「寝ろ」
途端に糸の切れた操り人形の如く、大貫がベッドへ倒れ込む。
すやすやと規則正しい寝息を立てて眠りに落ちた少年の寝顔へ軽く口づけると、デヴィットは身を離した。
「達也、君は囮に使わないよ。君はアーシュラの正体を一目で見破った、記念すべき凡人だからね」
悪魔など、一部の人間しか知り得ない生き物のはずだった。
その悪魔を、彼は一目で言い当てた。
ただの凡人、霊力を欠片も持っていない一般人であるはずの彼が。
何かが、恐ろしくゆっくりとした時間の中で、変わりつつあるのかもしれない。
自分が東へ渡ったからなのか、それとも単なる偶然なのかまではデヴィットにも判りかねたが、一つだけ判っていることがある。
己が仕掛けておいたトラップの中へ、まんまと入り込んできたエクソシストの存在だ。
「巫女の血をおびき寄せるだけのつもりだったのに、思わぬ収穫があったな」
口元を歪に歪ませると、デヴィットは音もなく暗闇へ消えた。