臨海学校・颯太と碧

小野山くんと坂下さんが喧嘩した大騒動後、僕と坂下さんは山倉先生に一部始終を話した。
解放される頃には同室の皆も、もう寝ちゃっていて、だから一人で風呂に行ったんだけど……
あんな遅い時間でも他に客が、ちらほらいた。
だから僕は隅っこで素早く頭を洗って、頭に手ぬぐいを巻いて入ったんだ。
出る時だって、前後に人がいないのを確認してから着替えた。
何を警戒しているのかと言われたら、そりゃもちろん――頭を誰にも見られないように、だ。
僕は幼少から髪の量が他の人よりも圧倒的に少なくて、中学にあがる頃には、つむじの辺りが特に薄くなってきていて、これを誰かに見られたらと思うと死にたくなる。
幸い、海外で住んでいた頃は他の子と風呂に入る機会そのものがなかったから秘密は守られたけれど、日本の学校は、やたら泊りがけの行事が多いと聞いている。
表坂も例に漏れず、宿泊行事は臨海学校で二度目だ。
合同修学だって寝る時間は最新の注意を払って、毛布をかぶって寝たんだ。
皆が起きる数十分前にスマホで目覚ましをセットした上で、自分にしか聴こえないようイヤホンをかけて、ね。
昨夜は皆が寝静まった後の部屋に忍び足で入り、窓際の隅っこで寝た。
もちろん、布団をすっぽりかぶった寝姿で。
暑いのなんのと言っていられない、誰かに頭を見られる惨事よりはマシだ。
今朝だって六時頃に起きた途端「おはよう」と声をかけられて、心臓が飛び出るかと思った。
もしや、頭のハゲ具合を見られた――?
慌てて身を起こすと、小野山くんと目が合う。
この部屋で、唯一僕よりも背の高い生徒……
六組では僕が一番背高だ。小野山くんと同じクラスでなくて良かったと言わざるを得ない。
さりげなさを装って、僕は立ち上がる。
「ふ、布団、布団は旅館の人が片付けてくれるから畳まなくていいのって楽でいいよね」
小野山くんもコクリと頷き立ち上がったので、僕は、すっとトイレへ入る。
ちょっと今のは露骨な動きだったかな……不自然になっていないといいんだけど。
扉の向こうで襖の開く音が聴こえた。
小野山くん、もう食堂へ行くのか。
僕に何も言わないで出ていくってのは、前日に誰かと約束していたのかな。
自分で取った態度だけど、なんだか寂しくなってしまい、僕は二度、三度首をふる。
駄目だ駄目だ、彼と一緒にいるのは僕のハゲを彼に目撃される機会を増やすようなもんじゃないか。
彼が他人のハゲを笑うような人じゃないと思っていても、やはり完全に気を許せない。
ごめんね、小野山くん。
いつか笑い話で言えるぐらい、君と仲良くなった時に打ち明けたいよ。


昨日たっぷり泳いだせいか、身体のあちこちが痛い。
今日は部屋で勉強しようっと。
朝食を終えて部屋に戻る途中、ロビーで話す声が不意に僕の耳へ飛び込んできた。
「――だよな、どこのオッサンかと思ったら若いでやんの!」
「あれって絶対、うちの生徒だよね。何組かなぁ?」
……オッサンかと思ったら若い?
うちの生徒で……?
ま、まさか、昨日、僕が頭を洗っていた時に誰かいたのか!?うちの生徒が!
カッ!と声の出どころを探ると、思いっきり太った子が一人、その隣に普通体型の子が二人座っていた。
三人は楽しそうに誰かの噂話で盛り上がっているようだ。
もっとよく聴いてみよう。ハゲや薄毛といった単語が出たら、僕のことで間違いない。
もし僕の薄毛を話題にしているのであれば、土下座してでも人前では話さないよう頼み込むしかない。
「オッサンに見えるっていやぁ、六組のアイツが怪しいけど」
「あぁ、矢島ってやつ?あいつなのかなー、やっぱ」
「他にいないっしょ、あんなモサモサ胸毛が生えている奴!」
む、胸毛……?
ハゲじゃなくて生えすぎなほう?
「いや〜、意表をついて二組の小野山かもよ?」とファットな子が言い、他の二人は手を振って否定。
「ないない、ないないない」
「そも小野山くんなら、下向いてても遠目でも気づくって」
「ね、矢島で決まりだよね」
矢島くんなら知っている。いや一歳年上だから、矢島さんと呼ぶべきかな。
僕と同じ六組で、二年に上がり損ねたらしい。本人が初日の自己紹介で言っていた。
なにをどうやれば留年するんだってクラスで持ちきりの話題になっていたけど、多分単位不足じゃないかな。
フケ顔みたいな言われようだけど、僕から見たら、それほど老けた顔でもない。
髭を剃れば新一年生だと言われても通用するだろう。日本の高校生は一年も二年も、そう大差ない。
「矢島さんとお呼びしろよォ、デコ助野郎っ」
ファットな子が調子づいて叫んだ直後、低い声が「矢島で結構だ」と割って入る。
誰かと思えば、矢島さん本人だった。
「やべ」と小さく毒づいて黙る三人をチラリと見やり、矢島さんは何事もなかったかのように去っていった。
海で泳ぐでもなければロビーで何をするでもなく、うろうろしているところを見るに、あまり行事を楽しめていないんだろうな。
仲の良かった人達は全員二年に上がっちゃっただろうし。
合同修学でも一人で浮いていたし、けど声をかけづらい雰囲気を始終漂わせていて誘えなかった。
クラスでのハブられ具合は、僕といい勝負の人だ。
六組は少人数で仲良くなって終わりってタイプのコミュ障ばかりが集うクラスだから、仕方ないのかもしれない。
僕は、たまたま坂下さん達と知り合えたおかげでボッチを脱したけど、矢島さんは、どうなんだろう。
他クラスで彼と仲良くしてくれる人がいれば、いいんだけど。
「碧、今日はどうする?」
矢島さんがいなくなった後、ソファーに腰掛けた子がファットな碧くんに話を振る。
碧くんは「海写真撮るのも飽きてきたし、今日はゲームコーナーにでも行ってくるわ」と答え、他二人が「あ、じゃあ今日は俺達泳いでくるね」と解散になったのを見届けた上で、僕も踵を返した。
あの三人が僕の頭を見たんじゃなくて良かった、本当に良かった……
あと六日この緊張が続くのかと考えると胃の辺りが痛いんだけど、ハゲとからかわれる暗黒高校生活を送りたくなかったら我慢するしかない。
がんばるぞー!
……ハァ。
部屋に戻った僕は胃の辺りを片手で抑えながら、ノートとスマホを取り出した。

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