恋香の後日談
きたるべき文化祭当日――俺達一組の演し物、振り袖喫茶は開店と同時に大勢の男性客で満席になっちまった。
いやぁ、まんま高柳の狙い通りで喜びよりも驚きがデケェ。
よく見たら他校の制服も結構いるし、あのバカが呼び込んだんじゃねーだろうな?
まぁ、いいけどよ。繁盛、大いに結構だ。
「オムライス2、コーラ2、デザートにプリン2!」
おっと、厨房と客席との仕切り口で、まっつんが叫んでいらぁ。
ついさっき、チャーハンと烏龍茶のセットを持っていったばっかだと思ったのにな。
いつもおっとりした彼女からは考えられねぇほど、きびきび働いてんじゃねぇか。
や、彼女だけじゃねぇ。今日は殆どのダチが自作の振り袖を身にまとってのウェイトレス業だ。
一番呼びつけられてんのが、やっちんかな。
やっぱ一番かわいいもんな、うちのクラスで。
水色の地に白い水玉模様が舞う振り袖で、短い裾丈からは、すらっとした太腿が伸びていて、男子諸君の目を釘付けにしているんだ。
あの服が完成した時のお披露目では、俺も釘付けになったもんなァ。
ちっと裾が短すぎんじゃねーの?っつったら、やーだレンカってばオジサンみたい!って笑われちまったけどよ。
いやでも、やっぱ遠目に見たって裾丈短すぎだわ。
あの見えそうで見えない禁断のゾーンが見たくて来たんだろうな、鼻の下が伸びている野郎どもは。
あんな格好、スタイル抜群なやっちんにしか出来ないぜ……俺が着たら、見たやつ全員に爆笑されるぞ、きっと。
あー、よかった。真っ先に厨房担当を希望しといて、本当に良かった。
客席の様子をチラ見しつつ、俺は手を休めず卵を割った後は素早く溶いて、お次は焼きそば用の人参を細かく切り刻む。
厨房は俺の他に女子が五人、男子が四人の計十名でやってんだが、まだ午前中だってのに早くも注文の多さで目が回りそうだ。
佐藤さんや大弓さんは厨房にも客席にもいない。呼び込み担当だとかで、外に出たっきり帰ってきやしねぇ。
高柳たち男子も、殆どが呼び込みだのゴミ捨てだので出てったきりだ。うまいこと言って、サボられた感がハンパねぇぜ。
「やほー、坂下さん、遊びに来たよー!」
入口で騒いでいるのは誰だ?って、伊藤さんじゃねぇか。他に友達二人引き連れて、ご来店あざーっす!
午前中に入れるたぁ、いの一番に一組へ来てくれたってことか……へへ、嬉しいじゃねーの。
「坂下さんは厨房にいるんだよ」って、ゆーゆーに言われて三人とも驚いている。
「えー、調理場と店とで仕切ってある!本格的っ」って、驚きソコかよ。
まぁな、確かに最初は仕切らなくてもいいじゃんって意見が大半だったんだけど、どうせなら、お店っぽくやりたい!って、ほみほみ達が言い出して、教室を段ボールで大改装する大掛かりな喫茶店になっちまった。
客席の様子が見えないおかげで全員が料理に集中できて、結果的にはベスト案だったんだけどさ。
「今日は、いっぱい食べちゃお」なんて可愛いことを伊藤さんのダチが言っていて、よし、あとで名前教えてもらうかぁ。
「はーい三名様ごあんなーい!」
一つだけ空いたテーブルに案内されて、何を注文すんのかなーと覗き見していたら、すぐまた「追加注文入ったよー!カレーライス、テイクワンッ」って、あぁ全く忙しないったらないぜ。
使えるコンロは全部で十台あっけど、全員がコンロにつきっきりでいられるわけもねぇから、正直十人じゃ手が足りねぇにも程がある。
けど担当人数決める時、バカに大見得切っちまったんだよなぁ……十人で大丈夫だって。
全然大丈夫じゃねぇ、なんせ男子が揃いも揃って超足引っ張りだったんだからよ。
自分から希望しといて、じゃがいもの皮むき今日が初めてってフザケてんのかと思っちまったわ。
あー、こういう時、他組からの助っ人が呼べたら良かったのになー。
けど小野山は今日、一日中二組に引きこもってんだろ?
桜丘さんや月見里は何処見に行ったんだかも分かんねぇし、やっぱ俺達だけで何とかするっきゃねぇ。
手間のかかる料理は女子に任せて、洗い物と料理を盆に並べる作業を男子にやらせる。
俺?俺は下ごしらえ全般を担当だ。
任せろよ、昔っから皮むきと摩り下ろしのスピードには母ちゃんの定評があるんだぜ。
一応、休憩時間は午後の二時から三時の一時間きっかり取ってある。
全員一緒の時間に休むんじゃなくて、数人でグループを作り、時間をずらして休もうって算段だ。
俺がこの時間を選んだのは、午後は一番暇になるんじゃないかっつぅバカこと高柳の予想を信じたんだがよ。
でもよ、「すっごーい、廊下、長蛇の列だよぉ!」「ねね、プラカード作ったほうがよくない?あと何時間待ちってやつ」なんて客席側から聞こえる声を聞く限り、厨房の俺達は一日中休む暇がなくなりそうじゃねぇか?
不意に「休憩はいりまーす!」って叫んで、ふーみんが走って出ていくのが見えた。
さっきまで教室中を走り回っていたのに元気なこった。
朝から盛り上がっていたもんなぁ、やっちん達。休憩時間が来たら絶対二組の演し物を見に行くんだって。
「もー、さっきからカレーの注文多いー」
鍋とにらめっこしていた花月さんが愚痴り始めて、って、真っ赤じゃねぇか、頬!
「だ、大丈夫か?替わるか?」とピーラーを差し出したんだが、彼女は「え、いい、大丈夫。それより坂下さんこそ大丈夫?」なんて逆に俺を慮ってきやがった。
俺なら余裕で平気だぜ。下ごしらえと包丁さばきには自信あるんでな。
それよか、コンロにつきっきりってのは良くなかったな……どの子も熱さでダウンしそうになってんじゃねぇか。
しきりに屈伸している子もいる。ずっと立ち仕事だもんな、そりゃあ疲れるってもんだ。
まぁ、それ言ったらウェイトレス組だって立ち仕事なんだが、こっちは失敗が許されねぇ分、精神的にもヤバイ。
「ヤハ!喫茶店と聞いて、俺参上!助っ人必要な担当ありますかぁー」って今度は誰だ、うるせぇな!?
仕切り口から覗いてみたら、数人の男子グループが入口で騒いでやがる。
全員見たこともねぇ奴らだ。うちの学校の生徒でもねぇな、紺色のブレザー着てっし。
高柳が連中の隙間をぬって入ってきて、やっちんに「こいつらが手伝ってくれるってよ。厨房、どう?手は足りてる?」って尋ねているのが見えたから、俺は叫んでやった。
「急いで椅子を十個持ってこい!あと、冷えたタオルなんかがあると助かるぜッ」
きっとバカのダチか何かだな。あんなウェーイ軍団が厨房に入ってこられても困るんで、体よくツカイッパにしてやる。
「よっしゃー任せろィ!」だの何だの叫んで、賑やかな連中は一斉に走り去っていきやがった。
ふぅ、バカも一応サボリじゃなくて皆の負担を考えていたんだな。できりゃあアイツ自身がアシストして欲しいとこだがよ。
「厨房の休憩が始まったら、列を少しずつ解除してくれる?」と、やっちんに頼まれた高柳は「オッケー、あんま並ぶと隣の組に迷惑だって話も出てるしね」と、外での聞き込み情報を残して出ていった。
そっか、そうだよな。廊下で並んでんだ、当然二組や三組の前も行列が塞いじまう。
迷惑なんてもんじゃねぇ。適度に様子を見て列を解散させねぇと。
やっちんの気配りもさることながら、今日はバカも気配りが冴えている。これも演し物が喫茶店だから、なのか?
高柳と入れ違い気味に「ウェーイ!椅子持ってきたけど、どこに並べんの」って軍団が戻ってきやがったんで、厨房へ案内される前に皿洗い組を「お前ら、とってこい!」と取りに行かせた。
椅子を片っ端からコンロ組の後ろに置かせて、ついでに俺達の分も壁際に並べて、よっしゃ、これで多少は楽になるぜ。
「そっかー、椅子、助かるー」って今になって他の子らも俺の思惑に気づいたのか、腰をおろしてホッとした表情を見せた。
「皆、そろそろ休憩とったほうがいいんじゃねぇか?鍋は俺が見といてやるよ」
「え、いいの?それじゃ行ってくるね」と鍋組女子が全員いなくなって、さぁ、こっからが俺の腕の見せ所だ!
「厨房、休憩入った?じゃあヤナギー列捌き、お願いー!」
廊下へ響き渡る、やっちんの声を聞きながら、カレーをかき混ぜ野菜スープに具を追加、それからこっちの鍋は何だ?卵スープか、そういや最初っからスープの注文が、やたら多いんだよな。
逆に全然こないのがフレッシュジュースの注文だ。こいつぁ、ちっとスカしちまったか……
まぁいいや、残った果物は全部分けて持ち帰るって、やっちん達とも約束したし。
出来た分を盆に乗せるそばから次の注文が入ってきて、っかしーなー、列はけてんだろうに何で注文が減らねぇんだ?
「今から、お昼タイム始まりまーす!お昼以降の追加注文は、ご遠慮くださーい!」
よく通る声で、まっつんが叫んでいて、注文が減らない理由に納得だぜ。追加注文している奴がいるから、回転率も悪くなってんだな。
いい加減、包丁を握る手もダルくなってきた辺りで、やっと俺も休憩入りまぁぁす!
「バイトリーダー、お疲れさんっす!」との謎声援を背に受けながら、俺は足を引きずって教室を後にした。
俺のちょっと前に、やっちんも休憩に入っていたから、きっと今頃は二組でイックンがんばーとか叫んでいるんだろうなーとは思うんだ。
でも無理。もう一歩も歩きたくねー。
やー、厨房の立ち仕事ナメてたわ。こんなに足にキやがるたぁ……すっかりガクガクだ。
校庭の片隅に座り込んだ俺は疲れ切った足を伸ばして、校舎を眺める。
『第28回・表坂文化祭』とデカデカ描かれた看板が校舎のド真ん中正面に陣取り、周りを飾ってんのは紙製の花デコレーションだ。
屋上に飾られてんのは風船かな。赤青黄色と色とりどりで華やかじゃねぇの。
あのへんの飾りつけ、俺は関わってねぇけど誰がやったのかねぇ。二年か三年かな。
そういや二年や三年の演し物もあるんだっけな。
文化祭が始まる前までは休憩中に全部見て回ってやる!って思ってたんだが、いざ始まってみたら無理無謀だと判ったぜ。
隣のクラスすら見に行くファイトが沸かねーっての。
え?じゃあ、なんで隣を素通りして校庭まで出てきたんだ、って?
そりゃあ、お前……隣に入っちまったら、応援せざるを得なくなるじゃねーか……小野山をよ。
しかも立ち見で。足ガクガクだし、これ以上の立ちんぼは勘弁してくれや。
休憩が終わったら、また厨房に戻んなきゃなんねぇし。あー、もう明日は筋肉痛確定だよな。
「はーぁ」と思わず溜息を漏らした俺の前で、よく聞き覚えのある低い声が「坂下、ここにいたのか」と話しかけてきやがって、その声を聞いた途端、俺の脳裏に浮かんだのは歓声をあげるやっちんの姿で思わず「イックン!?」と叫んじまった。
「イックン?」
怪訝な顔で首を傾げているデカブツこそは、今日は二組で一日中ハッスルしているはずの小野山じゃねぇか!
「なんでもねぇ、いや、それよっかお前、なんでここに」
「お前が廊下を歩いていたと聞いて、探しに来たんだ」
「や、そうじゃなくて、いや、それも気になっけど、演し物抜けてきちまっていいのかよ?」
俺の問いには間髪入れず「今は休憩時間だ」と答えて、小野山が隣に腰を下ろす。
「なんだよ、なにも俺の隣で休まんでも」との俺の文句を遮って、「喫茶に行こうと思ったんだが、お前がいないんじゃ行っても無駄だと思ってな」などと小野山が言い出して、バカ、お前これをアレだよ、化粧おばけのアヤチンに聞かれたら、また一悶着起きちまうじゃねーか。
とりあえずケツでジリジリ動いて小野山との距離を離しつつ、俺はヒラヒラ手を振ってやった。
「じゃあ今日はもう行く暇ねぇな。俺ァこっから一時間は休憩すんだからよ。お前、その前に戻るんだろ?休憩、この一回で終わりなんだろ」
したら小野山のヤツがポツンと呟くもんだから、俺は腰を浮かしかける。
「……テイクアウトは、やっていないのか?」
テイクアウトだぁ?お持ち帰りなんざぁ、やっているわけねーだろ。
うちは弁当屋じゃねぇんだぞ。喫茶店、当日限りの飲み食いだっての。
けど、その顔は反則だろ。なんだよ、その下がり眉。めっちゃ悲しそうにしやがって……
やっちんが見ていたら、速攻で「テイクアウトが欲しいの?判った、レンカに頼んどくね!」ってなっていたとこだぞ。
「やってねぇ。お前が食いたいんだったら、文化祭が終わった後に作ってやるから泣くんじゃねぇよ」
そんな言葉がポロリと俺の口をこぼれ出て、一番驚いたのは俺自身だった。
なんだ、俺は何を言ってんだ?小野山なんかにサービスして、一体なんの得が俺にあるってんだ!
しかも、それを聞いた直後の小野山ときたら満面の笑顔になりやがって、まさか俺が折れるのまで計算済みだったってか?
チクショー、言っちまったからには仕方ねぇ。今度の休日あたりにコイツの好物でも作ってやっか。
「なんかリクエストあるか?好きなもんがあるんだったら、作ってやるよ」
ぶすくれた俺の顔を見て、しばし考え込んでいた小野山が「いや、お前の一番得意な料理が食べたい」なんて抜かすもんだから、なぁ。
もう、なんなんだよ、お前はー!リクエスト聞いてんだから素直に答えろっての!
もしかして、最初から俺の十八番料理が目当てだったのか?シェフのオススメを頼む、みたいな!?
ねぇよ!文化祭の喫茶店にシェフのオススメなんてねぇよ!!
こうなったらラーメンだ、お前に作ってやるのはラーメンにしてやる!後で文句言うなよ、小野山ァァァ!
ますます不機嫌になる俺の隣で小野山は、きっちり俺と一緒に一時間休んでから、教室へ戻っていきやがったのだった――