ある薬師の物語

その2 咎


この世界の死は咎であり、消失と同じだ。
罪を犯した者だけが死を迎える。
シェンフェンが俺の隣に越してくる前、工房にはラェイシェンがいた。
彼女はシェンフェンと同じ、薬師の役割を持つ者――いや、だった、というべきか。
彼女の犯した罪は、とてつもなく重い。
発掘所の地下深くまで潜り込んで、外へ続く扉を開けちまったんだからな。
掘師や衛士でも立ち入りが許されていない最深部に、ただの薬師が入ったとなれば、罪に問われないわけがない。
故に、彼女は無くなった。
大釜に放り込まれて一瓶の薬になった後は大金持ちの商人に買い取られて、今は世界の何処かで眠っている。
世にも貴重な霊薬として。
母親――といっていいのかどうかだが、シェンフェンが母親と認識している以上、ラェイシェンは彼の母親だったのだ――の消失した理由を、シェンフェンは知らない。
ただ、自分の番だというのは知っていた。
だから、引っ越してきた。あの工房へ。
前の代が生きているうちは、次の代は別の場所で保管されている。
俺だってそうだ。
俺の前の代、シェンフェンの言葉でいうなら、父親ということになろうか。
グァイユェンが消失したから、次の衛士として今の家に呼ばれた。
呼びに来たのは街の役人だ。
奴らも役人という役割で動いている。次の役割を呼ぶ役割だ。
この街で役割を持たない者は、いない。
ただ一種類、机器人を除いては。
机器人が、いつ現れたのかは誰も覚えていない。
だが机器人を生み出したのが坏人だというのを役人は知っていて、だから発掘所の最深部は立入禁止になった。
何故なら、その坏人は扉を開けて出てきた唯一の例外だった。
今、街で発現する坏人とは別物だ。
机器人の親である坏人には、自己意識があった。そして、役割がなかった。
ありえない。この世界で人の姿を持つ者は、必ず役割を持って生まれるはずなのに。
世界の理を乱すのも、咎だ。
危険な存在として処理された――と、役場の歴史には記されている。
しかし、本当に処理されたのかどうかを知る役人は一人もいない。
俺もそうだ。
衛士になって先輩諸氏に世界の理を叩き込まれたが、その坏人の晩年までは教えてもらえなかった。
問題の坏人は姿を消したが、机器人は残された。
消失はない。彼の死は停止と同意語だ。
過去には彼の家族――全て同じ容姿で同じ性格だったが――も多々いたのだが、それらは全て停止した。
今は一人しか残っていない、最後の机器人は今日も明日も重たいものを運ばされる。
重たいものを運ぶ役割を彼に与えたのは、冠士だ。
冠士は全ての役割を管理していて、管理するのが冠士の役割だ。
冠士でさえ、役割からは逃れられない。だが、それが当たり前なのだ。この世界では。
むしろ逃れてはいけない。
死を迎えたくなければ。
与えられた役割を守る限り、俺達に死はない。お隣のシェンフェンにだって。
ただし、死ななくても酷い目に遭うことはある。
俺が衛士になって以降、坏人に無体を働かれて使い物にならなくなった薬師や茶焙師を何人も見た。
坏人の役割は悪さを働くこと。
何故、奴らが存在するのかは誰にも判らない。
捕まえる役割の俺にだって判らないんだ。
だが坏人が悪いことをするから、衛士が捕まえる。そうした世界の理だ。
使い物にならなくなった薬師が、どういう結末を辿るかというと、消失せず、無に還される。
無とは、役割を失ったものを指す。
薬師の場合は、薬を作れなくなっちまうんだ。
何もしない、何も出来ない、家の片隅で毎日座って過ごす。永遠に。
シェンフェンには、そんな目に遭ってほしくない。
一応、忠告しておいたが心配だ。
薬師と茶焙師は身を守る術を持たないくせに、こちらの話を聞かない者が多いからな……
だから、坏人なんかに不覚を許すのだ。
少しは机器人を見習えってんだ。
あいつを襲った坏人が何人も無に還されたのを、俺は知っている。
坏人も無謀だ。いくら悪いことをする役割といったって、相手を見定めたほうがいい。
下手したら衛士より強いかもしれないんだぞ、机器人は。
普段は温厚でイイヤツなんだがな。ラーニンを食べないと動けなくなるし。
ラーニンは化石油の絞りかすで、机器人の食べ物になる。
化石油は他にも灯り用に燃やしたり、掘師の採掘道具へ注入したり、運人の脚具を磨いたりと使い道が多様にあって、この街の動力源とも言える。
高く取引されるってんで坏人にも狙われているが、今のところは流出を防げている。
さて。
今日はもう坏人が現れないようだし、家に帰るとするか。
帰宅後はシェンフェンにもらった薬を飲むのが、俺の日課になっている。
今のままでも充分美味しいのに、あいつ、最高級のお茶がどうとか叫んでいたな。
茶を淹れるのは本来、給仕の役割だろうに。
薬と茶葉を混ぜるのは誰が始めたんだったか、いつの間にか薬師の主流になった作り方だ。
ただの茶より薬のほうが美味しくなってしまって、しかも体にいいんで皆も茶より薬を好むようになって、街から給仕は失われた。
消失したんだ。薬師のせいで。
けれど、薬師は覚えていない。給仕が消失した原因を。
シェンフェンも知らないはずだ。
この世界の理、過去の歴史を知るのは衛士と冠士、そして役人だけなのだから。


🌒


営業時間を終いにして、僕は自分で作った薬を飲んで、ほぅっと溜息をついた。
今日も朝から晩まで薬を作って売る、充実した一日だったなぁ。
お客さんって、来ない時は全然来ないんだよね。
ここへ来たばかりの頃は一日を空振りで終わる日も珍しくなく、何日も自作の薬で食費を凌いだっけ。
僕にとって幸いだったのは、工房に幾ばくかの茶葉が残っていたことかな。
これがなかったら、きっと数日で無に還っていたね。
母親だった人は、僕が無名で始めるのを心配して残しておいてくれたに違いない。
或いは、自分がそうだったのかも。
自分が最初に苦労したから、次の役割が苦労しないよう、全部使い切らずに残しておいたんだ。
売上は茶葉代と食費で大体なくなる。
けど、それで充分なんだ。僕が生きていくには。
窓の外を見ると、お隣の家にも明かりが灯る。
ユェンシゥン、帰ってきたんだ。
彼は毎日、街を巡回している。坏人が悪さをしていないかどうか、見張るために。
毎日、広い街を歩いて見回りするんだ。大変だよね。
僕が衛士じゃなくてよかったと思うと同時に、衛士に生まれたユェンシゥンへの尊敬が止まらない。
僕が覚えている限りじゃ、彼、一日も見回りを休んだことがないんだ。
いつも大変だねって労ると、僕にもらった薬があるから大丈夫って返してくれて、デヘヘ。
彼の笑顔を思い出すと、僕はいつも顔が緩んでしまう。
ここに越してきてから、ずっと薬を作っては毎日渡している。
だって、坏人を倒せるのは衛士だけだ。
衛士あっての町だもんね。
まぁ、僕が彼に無料で薬をプレゼントする理由は、それだけじゃないんだけどさ……
うん。
好きだ、好きなんだ。彼が。
僕の気持ち、ユェンシゥンは知っているのか、いないのか。
告白したい気持ちは僕にもある。
けど薬師に告白されて彼が喜ぶかどうか、もし嫌がられたりしたら、それだけで無に還っちゃうよ。
どうしても告白する勇気がなくて、今日も妄想でイチャイチャするに留めておくのが僕の日課になっちゃった。
ユェンシゥンは僕が引っ越す前から、この街にいた。
好きな人、いるのかな。どうかな。
いませんように。いたとしたら、それは僕でありますように。
ドロドロした感情を心の中でグッチャングッチャンかき混ぜながら、僕は布団に潜り込んだ。


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