3話 野生の女

空は快晴、雲一つない。
その青空に、この世のものとは思えない絶叫が響き渡る。
声は風に乗り、暗黒海賊団の船を追いかけていた南国パイレーツにも届いていた。
――この声は、フッチ?
彼らは最初、耳を疑った。
あのフッチが、絶叫を?
暗黒海賊団と恐れられ自らも大将軍と名乗るキャプテン・フッチ。
ワールドプリズの海という海を冒険し、幾多の戦いの末に失った片腕には銃を嵌め、数々の同業や商業の船を沈めてきた大悪党フッチ。
その極悪非道な海賊のボスが、到底あげない悲鳴をあげた。
信じられない。
だが、声は確かに彼のものに違いない。
船が動く前、フッチは誰かと戦っていた。
とするとフッチに絶叫をあげさせたのは、そいつの仕業なわけだが――
「キャプテン、前方に暗黒海賊団の黒船を発見!どうしますか、乗り込みますか!?」
双眼鏡が食い込むのではないかと思うほど目に押し当てて、狙撃手マルコが叫ぶ。
ティカは間髪入れず、答えていた。
「ティカ、乗り込む!フッチ倒した勝者に戦い、挑んでくる!」
言うが早いか、するするするっとマストに登ってゆく。
その身のこなし、まるで猿が如し素早さで。
立ち止まる暇もなく、ひょいっとマストからマストに向かって飛び移った。
数メートル先とはいえ、目もくらむような高さのマストとマストの間を。
人間業ではない。
いや、やろうと思えばできるのかもしれないが、まともな神経の人間なら、やろうなどとは思わないだろう。
そうして南国の船から暗黒の船に乗り移った彼女は、大声で下に呼びかけた。
「南国パイレーツ・キャプテン、ティカ!次、挑戦者、ティカ!勝負する!!」

突如、凛とした声が頭上から降り注ぐ。
ヒスイとジェナックが頭上を振り仰ぐと、マストの遥か頂上に女性が仁王立ちしていた。
緩やかにカーブを描いた髪が日の光を浴びて目映いくらい金色に輝き、見事なスタイルは小さな布きれで適度に隠されていた。
少女といってもいい年頃にも見える彼女は、挑戦的な笑みで見下ろしている。
「あいつぁ……」
「知ってんのか?隊長」
眩しげに見上げるジェナックへ、ヒスイが問う。
ジェナックは頷き、答えた。
「南国パイレーツの女船長ティカだ」
「南国パイレーツ?」
オウム返しに繰り返した後、ヒスイは唾を吐く。
「ケッ、ふざけた名前つけやがって。名前もふざけてるがマークも最低だな」
くいっと親指で示した先には、暗黒の船に横付けされた小さな帆船が見える。
でかでかと帆に描かれたパイナップル頭の骸骨が、微かな風に揺れていた。
しばらく無言で馬鹿げた船を眺めた後、おもむろにヒスイが口を開く。
「で?」
「――で、とは?」
質問の意味が判らず聞き返すジェナックにヒスイは心底馬鹿にした笑みを浮かべ、「名前は判った。次は奴が誰に何の挑戦をして、それが一体どういう意味なのか。それを知りたいと思ってな、奴を知ってるらしい あんたに聞いたってわけだ」と矢継ぎ早に問いかける。
それについてジェナックが答えるよりも早く、当の本人が飛び降りてきて、こう叫んだのである。
「勝負に勝てば海の覇者!そこの剣士、ティカと勝負する!」


波しぶきを掻き分けて、小さなボートが進んでゆく。
ボートに乗っているのは数にして、四~五人といったところか。
どいつも皆、同じようなデザインをした水色のパーカーを着込んでいる。
海上警備隊の面々であった。
修理中の船は、工場から戻ってくるまでに時間がかかる。
仕方ないから救命用のボートを持ち出して、ここまで漕いで来た。
ボートには例の音波武器【ウェーブクラック】も積んである。
武器が何も積まれていないボートで、唯一と呼べる攻撃手段であった。
ボートの最先端にしがみつき、リッツは片手で双眼鏡を目に当てる。
「前方に黒船を発見しました。奴ら、停船しているようです。暗黒海賊団の近くに南国の船も浮かんでます!板は――渡していないようですが」
その頃には肉眼でも見えるようになっていたから、マリーナは漕ぎ手に命令を出した。
「ここから先は静かに漕いで。ゆっくり前進、黒船に近づく範囲ギリギリで停止」
あまり近づきすぎては危険だ。
魔砲を一発でも撃ち込まれたら、こんなボートの一つや二つ、軽く海の藻屑となろう。
黒船の近くには南国パイレーツの船も浮かんでいる。
彼らが、こちらに攻撃してこないとは限らないのだ。
何故なら、彼らも海賊だから。
「停止して、その後は?」
どうやって戦うんですか、とでも問いたげにリッツの目がマリーナを捉える。
そもそも、副隊長はどういうつもりで暗黒の船を追いかけようなどと言い出したのか。
海賊との戦いに使えそうな船は今、手元に一艘もないというのに。
お粗末な救命ボートなどで追いかけたところで、こちらには打つ手がない。
一応【ウェーブクラック】を持ち出してきたものの、こいつを使える奴はいるのか?
臆病なリッツには、何もかもが空回りしているように感じた。
だが実際、空回りしていると考えていたのはリッツだけではない。
追撃案を持ち出した当のマリーナでさえも、その憤りは感じていたのだった。
なにしろ、近づくだけで終わりではない。
ジェナックの安否を確かめた上で、海賊を一人残らず捕まえなくてはいけないのだ。
攻撃手段は音波武器が一つと、あとは隊員の腕っぷし任せ。
ただでさえ心細いところに、敵は暗黒だけじゃないときた。
暗黒海賊団と南国パイレーツ。
ダレーシア二大海賊を前に、この戦力でどれだけ戦うことができるだろうか――?
「……妙だと思いませんか?副隊長」
船を見つめていたレナが不意に、マリーナを振り仰いだ。
「妙って?」
マリーナの代わりにリッツが割り込み、レナは耳を傾ける仕草をしながら応える。
「音が、何も聞こえてきません。戦っているにしては、静かすぎませんか?」
言われて皆も耳を傾ける。
確かに、海賊が戦っているとは思えないぐらい周辺は静かであった。
南国パイレーツの甲板には人影が見えるが、戦いにはなっていない。
「どういうことだ?南国と暗黒は手を結んでるのか?それに、隊長は?」
双眼鏡を手に他の隊員も騒ぎ始め、それらを手で制してマリーナが指示を出す。
「いいから静かにして。ゆっくり前進、リッツはウェーブクラックのセットをお願い」
「えっ、セットって……でも俺、こいつの使い方は」
焦るリッツの手に、分厚いマニュアルを手渡した。
「これを見れば大体は判るから。悪いわね、ぶっつけ本番で」
マリーナ自身はパーカーを脱ぎ捨て、軽く準備運動を始めている。
振り返り、心配顔で見つめるレナにも命令を下した。
「あぁ、レナ。そこの縄を縛ってちょうだい。そうそう、輪を作るようにね。それが済んだら、縄をアレンに渡して。ギリギリの範囲まで近づいたらアレン、あなたが縄を暗黒の船めがけて投げるのよ。いいわね?」
アレンと呼ばれた隊員は生真面目な顔で頷いた。
マリーナが何をやろうとしているのかを、大体把握したからだ。
彼女は、ジェナックがいつもやっていることを真似するつもりなのだ。
「縄を投げるのは、ウェーブクラックで一回威嚇してからでいいわ。向こうが動揺している隙を狙っての奇襲ですからね」
隊員達が真面目に聞き入る中、リッツだけは慣れぬ機械の調整に四苦八苦していた。


獣のような身軽さで飛び降りてきた少女、ティカ。
その彼女を上から下まで無遠慮に眺め回した後、ヒスイは鼻で笑い飛ばした。
「オレとやり合おうってのか?命知らずな女だぜ」
口元には笑みを浮かべている。
ジェナックが不快だと思った、皮肉のかたちに口元を歪めた冷笑だ。
「ティカ、強い奴好き!強い奴、倒すと有名になれる!オマエ、フッチ倒した!フッチ、この海域の強者。そのフッチ倒したオマエ、強者!だからティカと勝負!」
ヒスイの嫌味ったらしい微笑も何のその、ティカは元気よく手を挙げて応える。
実をいうとジェナックは、この女海賊のことが、それほど嫌いではない。
南国パイレーツが商船を襲ったという話は一度も聞いたことがないし、彼らが獲物を狙う理由も明確になっている。
何でも、力試しが目的だというではないか。
力試しの為に海軍を目指していたジェナックが、ティカに好感を覚えるのも無理はない。
それに、彼女はフッチの次に強い海賊だと噂されていた。
フッチ亡き今は、ティカがダレーシアNo1の海賊といってもいいだろう。
彼女は武器を使わない。全身が武器なのだ。
素早い動作で敵を惑わせ、しなやかな脚から繰り出されるのは鞭のように鋭い蹴り。
両手の爪と噛みつき攻撃の組み合わせは、野生の虎も顔負けの凶暴さだと言う。
一度は、彼女と戦ってみたい。
常々ジェナックは思っていたのだが、なかなか出会うチャンスが回ってこなかった。
商船を獲物にしている暗黒海賊団や他の海賊とは違い、南国パイレーツの獲物は各地に渡って点在している。
故に、彼らの行動範囲は広い。
港町周辺の警備を常としている海上警備隊では、彼らを追いかけることもままならない。
だが、そのチャンスが今こうして回ってきた。
ジェナックはフッチを倒せなかった自分を、この時ほど悔やんだことはなかった。
別に、彼女を倒して有名になりたいわけではない。
力自慢は誰しも、噂の強者と戦いたいという願望を持っているものなのだ。
では、コハク――いや、ヒスイはどうだろうか。
彼もまた、強者と戦いたいという願望を持っているのであろうか?
黒服の青年はティカを睨みつけて唾を吐いた。
「素っ裸同然のアホ丸出しな格好で来やがって……まぁ、いい。三秒で血の海に沈めてやるから、かかってきな」
完全に相手をナメきっている。
片手に長剣を持ち替え、肩に担いで余裕のポーズだ。
その仕草にかちんときたか、南国の甲板から怒声が轟いてきた。
「うちのキャプテンをナメてんじゃねーぞ、このガキがァ!」
振り仰げば、白衣を着込んだ女性が船の縁に足をかけ、中指を押っ立てている。
怒鳴っているのは、一人だけじゃない。
白衣のお姉さんの傍らで見守っていた小柄な少年もだ。
「キャプテン・ティカはホントに強いんだぞ!フッチなんかと一緒にすんなッ!お前なんか、始まった直後ボロ雑巾になるのがオチさ!」
次々と声が飛んでくる。
「やっちゃえ、ティカ!ンな優男ァ、五秒でK.Oしたれェェェ!!」
「キャプテンしっかり!いつもの調子で戦えば剣士なんざ敵じゃありませんよッ」
なかなか血気盛んな奴らである。
さすがは海賊というべきか。
一方的な熱気の中、気がつけばジェナックも一緒になってティカを応援していた。
「ティカ!そいつの鼻っ柱をへし折ってやれ!」
ティカは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔で受け応える。
「ティカ、負けない!剣士倒したら次、ジェナックと戦う!」
そのやりとりを冷ややかに眺め、首を二、三度振ってからヒスイはせせら笑った。
「いいのかよ?警備隊が海賊風情を応援して」
ジェナックは彼を完全に無視し、ティカに更なるアドバイスまで送る。
「剣の間合いに気をつけさえすれば、やられなどしない。頑張れよ」
「ウン!ジェナック、見てて!素手でも剣と互角に戦えるとこ、見せる!」
ヒスイはもう一度、甲板に唾を吐いた。
「茶番劇かよ……まぁいい。南国の海賊風情、その力を試させてもらうぜ」


海原に浮かぶ、暗黒海賊団の船と南国パイレーツの船。
そこへ、そろそろと近づいているのは海上警備隊のボートだけではなかった。
暗黒の黒船よりは一回り小さな船が、ゆるゆると音もなく近づいてくる。
船の接近に気づいたものは、まだ一人もいない。
南国クルーは皆ヒスイとティカの一戦を見守っていたし、海上警備隊は南国の連中に気づかれないようにすることで頭が一杯であった。
この小型船、何を隠そう首都ファーレンから回されてきた軍隊の船である。
正式名称はファーレン海上保安第五軍隊。
保安と名が付くとはいえ、警備隊とは全く船のスタイルが異なる。
最も大きな違いといえば、ダレーシアにはない近代武器を山ほど積んでいる処だ。
違いは、そればかりではない。
マストにはためく旗はファーレンのものではなく、レイザース王国のものである。
ダレーシアの連中は与り知らぬことなのだが、首都ファーレンは、ここ数日の間に凄まじく変化を遂げていた。
レイザースの軍隊が乗り込んできて、不況にあえぐ首都を瞬く間に占領してしまったのだ。
物資不足と金銭不足で戦う力も残っていないファーレンを制圧するのは、よほど簡単だったのだろう。
死者の数は当初予想されていたものよりも少なかった。
ファーレンを制圧した将軍の名は、ダスト=ガーナストレイン。
かつて世界全土を巻き込んだ大戦争を引き起こした家系の末裔でもある。
その彼が手始めに行った行政が、ダレーシア海賊の粛正であった。
だが粛正をおこなうにあたり、一つだけ困ったことがあった。
それはファーレンの軍隊が、まだ再構成できるほど持ち直されていなかった点だ。
今回派遣されたファーレン海上保安第五軍隊とは、名前こそファーレンとつくものの、実際にはレイザース王国の軍隊だ。
それを裏付けるように、隊長含めて全ての乗組員がレイザース人で構成されている。
第五軍隊隊長ジュユは双眼鏡を覗き込んだ。
いいぞ、南国の船が こちらの接近に気づいた様子はまだない。
黒船の甲板にも動きはない。
こちらも気づいていないと見える。
敵を仕留めるには、油断しているところを奇襲するのが一番簡単だ。
二つの海賊を一気に沈めれば、二階級昇進も夢ではない。
天から降ってわいた幸運に、ジュユは笑顔を隠すことができなかった。


甲板を走る音も軽やかに、先に仕掛けたのはティカが先であった。
「単調な攻撃だぜ!」
真っ向からヒスイの懐に飛び込んでくるかと思いきや、ヒスイの剣は空を斬る。
剣の当たる直前、彼女が後ろに飛んだのだ。
再び体当たりをかましてくるティカをヒスイは間一髪、転がって避ける。
「チィッ」
体勢を立て直す暇もなくティカの両手が、正確には鋭く尖った爪がヒスイの顔を狙って振りまわされる。
ギリギリでかわすも、髪の毛が数本飛ばされた。
「どうしたぁ!押されてるぞ、へっぽこ剣士ィィ!」
南国の船からは容赦のない野次が飛んできた。
船の縁を蹴って爪の猛攻から逃れると、ヒスイは再び剣を構える。
だが、間合いを取ったぐらいではティカの攻撃から逃れることは出来ない。
瞬間的に甲板を蹴って方向転換すると、目にも留まらぬスピードでマストを駆け上がる。
再びマストのてっぺんまで登ったかと思うが早いか、ヒスイめがけて飛び降りてきた。
「空中戦かよ、狙い時だぜ!!」
捉えたと思った瞬間、ヒスイの剣は空を斬る。
なんとティカはヒスイの繰り出した剣をカタパルトに、再び空へ舞い上がったのだ。
振り回される剣の上に乗るなど、もはや人間業ではない。
ヒスイが人間離れした体術を誇るように、この少女も人間離れした技を持つというのか。
剣に飛び乗り大きく飛んだ彼女は、少し離れた場所に着地すると、すぐさま走り出す。
ヒスイのまわりをグルグルと回り出した。
素早い動きで攪乱させようというつもりか。
もちろんヒスイだって、ただボ~ッと動きを眺めていたわけではない。
ここだという場所に剣を繰り出しているのだが、ティカが寸前でかわしているのだ。
その動き、あまりにも目まぐるしく、ジェナックは既についていけていない。
恐らくは南国の連中も二人の動きには、ついていけていないのであろう。
その証拠に、先ほどまで散々飛んでいた野次が今では、ぴたりと静まりかえっている。
「ったく、チョロチョロチョロチョロと。もういい、テメェの動きは判ったよ」
突き刺すことは諦めたのか、戦いそのものを諦めたのか、不意に動きを止めたヒスイが剣を鞘に収める。
「ちっと本気を出してやるから覚悟しとけ」
威嚇するように、未だ走り続けるティカを鞘で示した。
「なっ、何言ってんだ!鞘でキャプテンが倒せると思ったら……」
甲板から再び飛んできた野次は、途中で凍り付いた。
ヒスイが初めて自分から動いたからだ。
ただ一歩踏み出して、走り回っていたティカを鞘で突く。
それだけのことなのに、ジェナック他全員が、その動きを目で捉えきれなかった。
無論、ただのひと突きではない。
腹を突かれただけなのにティカは体を折り曲げ、苦しそうに蹲る。
ヒスイの攻撃は、それだけで止むことはなかった。
蹲った彼女に容赦なく蹴りを入れ、鞘で腰、胴、頭と処構わず滅多打ちにする。
しまいには嘔吐するティカの顔面に柄を叩き込んだ。
血を吹き、のけぞり、ひっくり返る彼女へ唾を吐き、彼は嫌ぁな笑いを浮かべる。
「……ま、海賊風情にしちゃあ面白かったぜ?そろそろ死にな」
すらり、と鞘から剣を抜く。
日の光を受けた刃がキラリと光り――

「キャプテェェェン!!!」
「やめろッ、殺すな!!!」


ジェナックやマルコの叫びが木霊するのと、ほぼ同時だっただろうか。
黒船が横合いからの衝撃を受け、ぐらりと大きく傾いだのは。
「何!?」と、よろけながらもジェナックが被弾した方向に目をやれば、そこに浮かんでいたのは南国パイレーツの船でもなければ海上警備隊のボートでもない。
いつの間に接近していたのやら、見たこともない小型船の大砲が八連。
八つの大筒が全て、ジェナックの乗り込んだ黒船を狙っている。
小型船のマストにはレイザース王国の旗が風に煽られて、はためいていた。