20話
「うおおぉぉーっ!」と、雄叫びをあげてソルトが屋敷の外階段を駆け上がる。ろくな準備も出来ないまま迎え撃つ黒服軍団の真っ直中へ、勢いよく突っ込んでいった。
仲間は彼を止めるでもなく、いやさ「ソルトに続けー!」とばかりに続けて突進。
飼い主達の勢いにつられたか、モンスターも後ろ足で立ち上がり、『グガァァァ!!』と威嚇するだけでも震えあがる黒服を次から次へと咥えては噛み砕いてやった。
モンスターと一口にいっても、形態は様々だ。
四つ足のものもいれば、二足歩行で巨大な羽根の生えたもの。
犬のように突き出た鼻先に、口元には鋭い牙が並んだもの。
頭には角を生やし、体は堅い鱗に覆われて、長い尻尾を生やしたもの。
ウネウネしてグニグニした気持ちの悪いもの等いて、普段街から出ない奴には免疫もあるまい。
逃げまどう黒服を、モンスターが追いかける。
それらは好きにさせて、ソルトは屋敷の中へ飛び込んだ。
どこだ。どこにいるんだ、しゅういちは!
不意に、外で誰かが叫んだ。
「鐘の音だ!」
ガランゴロン、とやかましい鐘の音がソルトの耳にも響いてくる。
バッと表に飛び出して見上げてみれば、奥の建物の屋根に吊り下がった鐘が風もないのに揺れていた。
「なんだ、あれ!」と叫んだソルトに、追いついたエリーが叫び返す。
「教会だ!?教会が、敷地内にあるんだッ。なんてぇセレブな屋敷なんだい、これが商家のマネーパワーってやつかい?」
そんなこたぁ、どうだっていい。
教会とは何かとソルトが尋ねると、すぐに明確な答えが返ってきた。
「結婚式を挙げる場所だよッ!てことは、なんだい?海賊に襲われているってのに、誰かが結婚式をやるってのか!」
結婚式とは、好き同士が夫婦になって一緒に暮らすための儀式だ。
同じく追いついたハルが、血相を変えて怒鳴った。
「マスターの貞操が、危ぬぁぁいッ!」
「ちょっと待ちなよ!まだマスターが結婚の相手だと決まったわけじゃあ」
止めるエリーの手も振り切って、ハルはドタバタ奥へ走っていく。
確たる証拠もなかったのだが、こんな状況下で式を挙げるというのも尋常ではない。
誰の結婚式なのか、確かめておいて損はなかろう。
万が一、ハルの予想が当たっていても困る。
行く手を阻む為に配置されたはずの黒服は、もっかモンスターと戦闘中で、こちらまで手が回りそうにない。
ソルトとエリー、それから他の仲間は黙って頷きあうと、ハルの背中を追いかけた。
「しゅういちィィィッ!」と叫んで教会へ飛び込んだソルトが見たものは、正面に大きなステンドグラス、そして教壇の前に立った、しゅういちであった。
マスターに関するハルの推理は、さすがという他ない。
だが、そんなことよりも。
飛び込んだ全員が、しゅういちの姿に釘付けとなる。
彼は純白のウェディングドレスを着ていた。
「ソ、ソルト……?」と振り返った頬には涙を光らせて。
ここで何があったのか。
そして、隣に立つタキシードの男は何者なのか。
聞きたいことは色々あったが、ソルトの口を割って出たのは「しゅういち……綺麗だ」という呟きであった。
初めて見た彼の女装に滑稽さは微塵もなく、ただ、美しい。
まるで一枚の絵のように、そこに存在していた。
この格好をさせたのが自分ではなく、隣の男であろうことに腹立ちを覚えるほどに。
腹が立つと同時に我にも返り、ソルトは怒鳴った。
「お前、なんなんだ!どうして、しゅういちを連れてったんだ!!」
初老の男は憎々しげに「フン」と鼻で笑い、横柄な言葉遣いで返してくる。
「貴様らがしゅういちと呼んでいる、この者は、元々私が目をつけた、私の所有物だ。幼い頃から世話をして、ようやく婚姻の出来る歳に成長した。故に今日、連れ戻せた祝いを兼ねて式を挙げる事にしたのだ。誰にも邪魔はさせんぞ」
「ふざけんな!」と間髪入れずに叫んだのは、いつの間にやら追いついていたイーだ。
「話の前後から察するに、あんた、そいつの親父だろ!?だったら所有物じゃなくて、家族だろうが!親なら息子の幸せを考えやがれ!!」
イーの正論にも、男はフンと鼻で笑っただけであった。
「この世界では、婚姻を結んでしまえば誰もが夫婦になるのだろう?男同士でも、女同士でも、異種族間だろうと、年の差があろうと、親子であろうとも!」
最後のカップルは、あまり例を見ないパターンだが、全くいないとも限らない。
それに――婚姻を結ぶのは、互いの承諾がなくても出来てしまう。
結婚式で、無理矢理にでも唇を奪って指輪を嵌めさせてしまえば。
よく見れば、男の頬や額には多数のひっかき傷がある。
しゅういちが抵抗して、引っ掻いたんだろうか。
泣いていた点からも、ありうる推測だ。
「てめぇ、よくもマスターを悲しませやがって!五体バラバラにしてサメの餌にしてやるッ」
ウェディングドレスに見とれていたのか大人しかったハルが、猛然と騒ぎ出す。
「ふふん、できるものなら、やってみろ」
男も平然と挑発し返してくる。
「もう、唇は奪った。あとは指輪を嵌めればお終いだ」とも言われ、ソルトの頭にカァッと血がのぼる。
どこの誰だか名前も知らない相手だが、俺のしゅういちへ勝手にチューするとは言語道断。
ハルの言うとおりバラバラに解体して鮫の餌にしてやらなきゃ、ソルトだって気が済まない。
「くっくっくっ、唇は奪った、だとォォ!?」
素っ頓狂に泣き喚くハルを見下す目線で睨みつけて、男が口の端を意地悪に歪める。
「貴様らは無欲だな?生きる芸術品、銀狼を仲間にしておきながら、手を出さないでいたとは」
「生きる芸術品だと!?俺達は一度だってマスターを、そんな目で見た覚えはねぇッ!」と、裏口から入ってきて怒鳴った声の主は誰であろう。
両足を折られてダウンしたとの報告を聞かされていた、ジャッキーではないか。
後ろには、海に突き落とされて消息不明になったはずのエドガーもいる。
二人とも包帯まみれで痛々しい格好だが、生きていたとは何よりだ。
裏口と表玄関、全ての出入口を海賊達に封鎖された形になっても、男は強気な態度を崩さない。
「ふん、貴様らが何を吼えようと、この指輪を嵌めてしまえば式は終了だ」
「い……嫌だっ」
震える足で逃げ出そうとしたしゅういちを、ぐいっと引っ張り抱き寄せる。
考えるよりも先に、ソルトは飛び出していた。
「やめろォッ、しゅういちを虐めるな!」
ソルトの拳が男の頬を殴り飛ばす直前、風の声が、どこからか凜と響いてくる。
「残念だったな。その指輪では、結婚式を挙げた事にはならん。その、偽の指輪では、なァッ!」
顔面を殴られて景気よくドシャアッと床に倒れ込みながらも、男がしたのはソルトへの反撃ではなく、「な、何だと!?」と泡を食って己の手にある指輪を確かめる事であった。
ない、ない。
裏面に彫ったはずの、"カイ&テラー 永遠の愛を誓う"の文字が、どこにもない。
結婚指輪が違っていたら、結婚式は成り立たない。
肌身離さず持っていたはずなのに、一体いつ、すり替えられたのだ!?
テラーはまず、ソルト達へ動揺した目を向ける。
こいつらじゃない。
こいつらは、たった今、ここへ来たばかりなのだから。
姿を見せずに、声が笑う。
「愛を誓う言葉がなければ婚姻も結べまい!偽の指輪を嵌めたところで、式は終われんぞッ」
「何者だ!姿を見せろッ!!」
半狂乱で叫んだ直後、テラーは「うっ」と小さく呻いて、前のめりに倒れ込む。
たちまち、どぼどぼと血が溢れてきて、床に血の海が広がった。
背中に突き刺さっているのは、漆黒の大鎌だ。
そいつが、どこからか飛んできて、テラーの身体を貫通する。
鎌は確実に心臓にも達し、彼の命を奪うには充分な攻撃だった。
五百人もの少年少女を死に追いやった男の、呆気ない最後であった。
血だまりに浸かる死体を見おろして、イーがボソリと呟く。
「なんか……すげェのが飛んできたけど、投げたの誰だよ?」
「声からして、たぶん、カゼじゃねーか?」と答えたのは、サンダーだ。
しかし当の風は姿を現さず、この男が何という名前だったのかも、死んでしまった今となっては判らない。
判るのはマスターを育てた親であったのと、マスターと結婚したがっていた点だけだ。
そいつを風が邪魔して、ついでに殺して、とっとと終わらせてしまった。
何が何だか、さっぱりだ。
唐突な幕切れで仲間が呆然と佇む中、ソルトはマスターの側へ駆け寄った。
「しゅういち、ごめん!助けるの、遅くなった」
「いや、大丈夫だ……充分間に合ったよ。ありがとう、ソルト」
「けど、あいつにはキスされたんだろ?嫌だっただろ、ごめん」
なおも謝るソルトは、しゅういちにぎゅっと抱きしめられて、頬を赤く染める。
遠目に見ても綺麗だったけど、近くで見ると、ますます綺麗だ。
それに、なんだか良い香りも漂ってくる。花の匂いに似た、甘い香りだ。
自分からも甘い匂いがしていると、しゅういちは言っていたが、こういう匂いだったらいいなとソルトは思った。
自分自身の匂いは、ソルトには感じられない。
シュガーも言っていた。調味料の匂いを感じられるのは、他人だけだと。
「ソルト……ありがとう。俺の心情を案じてくれた君の気持ちも、嬉しいよ」
何度も感謝を述べては、ぎゅぅっと抱きついてくるしゅういちにソルトがポッポコ赤くなっていると、音もなく歩いてきた風が二人に向かって小さな箱を差し出してきた。
「片方の名前は消した。ソルト、お前の名を刻めば式の指輪として使えるだろう」
さっき死んだ奴の探していた、本物の指輪か。
こんなものを貰って、どうしろと言うのか。
きょとんとする二人に、言葉が足りなかったかと気づいた風が続きを紡ぐ。
「ここで結婚式をしてみたらどうかと言っている。病める時も、健やかな時も、死が互いを分かつまで、永遠に愛を誓えばいい」
およそ恋愛を語りそうにもない相手のトンデモ発言に、仲間の誰もが仰天する。
普段はいるのかいないのか存在感が薄いくせに、でも戦いでは強くて無口でスカした野郎だと思っていたのに!
「え、えぇと、ソルト、その」
しゅういちの頬も上気が増してきて、じっとり額には汗が浮かんでくる。
ソルトは、すかさず「しよう、結婚!」と頷いて、しゅういちの唇にキスをかました。
「あっ――あーーーーッ!?」と、頭を抱えて絶叫するハルをBGMに、誓いの言葉も並べてやる。
「病める時も健やかな時も、ずっとずっと、しゅういち、お前が好きだ、大好きだ!だから、死ぬまで一緒にいよう。夫婦になって、これからもバリバリ海賊家業を頑張ろう!そして、いつか一緒に異世界を冒険するんだ。このメンバーを、全員つれていって!」
ソルトの無邪気な誓いにはイーもミトロンも、そして、しゅういちも顔が綻ぶ。
「そうだな、うん。そうだ、君の言うとおりだ。今のメンバー全員をつれていかなきゃ、本当の冒険とは言えないな。行こう、いつか異世界へ。全員一緒に。それと」
ソルトを抱き上げると、今度は、しゅういちからキスをする。
「しゅういち……」とテレる彼の耳元で、小さく囁いた。
「ありがとう。君が、この世界に来てくれて、俺の前に現れてくれて、本当に良かった――」
