2話 絶叫!肝試し
まだ六月下旬だというのに突如始まってしまった肝試し大会。呼び出された面々は、否応なしに強制参加させられるのであった……
「幽霊なんてもんは見飽きているんだがな」
ぶつぶつと呟きながら、カンテラ片手に歩いていく九十九を南樹も追いかける。
六月だというのに耳元ではプィ〜〜ンというヤブ蚊の飛び回る音が聞こえていて、出がけに防虫剤を撒いてくれば良かったと南樹は内心舌打ちした。
いずこだか判らない公園は、すでに日が落ちて真っ暗だ。
説明役の話では、公園のあちこちに脅かし役がスタンバイしているという。
日頃悪霊退治を生業としている南樹だが、人為的なドッキリには慣れていない。
なので内心ビクビクしながら歩いていたのだが、そこを九十九にからかわれる。
「南樹、腰が退けているぞ?今更暗いのが怖いってわけでもあるまい」
「べ、別に真っ暗なのが怖いとは言ってないでしょ」
「なら怖いのは幽霊か?それこそ、ありえないよな」
そう、幽霊も暗闇も怖くない。怖いのは人間だ。
だが、それを言ったら九十九のこと、絶対南樹を驚かしにかかるに決まっている。
真面目に見えて彼は、あの源太と親友なのだ。
修業時代、何度彼らの飛ばす、さむいギャグに口の端を引きつらせたことか。
それにしても、ここは公園と聞かされているが、一面が藪に覆われている。
藪しかないと言っても過言ではない。
遊具の一つも置かなくて何が公園か。
不意にザワザワと藪が鳴り、さっそく脅かし役が来たのかと南樹は身構える。
が、何も出てこないところを見るに、風が草木を揺らしただけのようだ。
「この石を一番奥の墓石……平清盛と書かれた墓、だったか?そこに置いて戻ってくればいいんだったよな、確か」
前を行く九十九は一ミリも怖がっておらず、手元の石をポンポンと軽く投げて余裕綽々だ。
かと思えば、ぴしゃりと首筋を叩き、顔をしかめる。
「ここにずっといたんじゃ、ヤブ蚊に刺され放題だ。さっさと終わらせて、スイカでも食べよう」
『脅かされ役待合所』に置かれていたスイカを思い浮かべているのだろう。
南樹も九十九も他の参加者も、脅かされ役に回った全員が一旦そこに押し込められ、有無を言わせず浴衣に着替えさせられた。
こんな格好では蚊に刺されてしまうと南樹は危惧したのだが、すでに太股が痒くてたまらない。
「か、簡単にはいかないんじゃない?脅かし役がいるらしいし」
「その割には全然現れないようだが」
「そ……それは私達が、油断していないから」
「なら、油断したフリして誘い出してみるか?」
「いっ、いいよ、余計な真似しないで!」
言い方が、多少必死になっていたかもしれない。
九十九には怪訝に眉をひそめられ、南樹は照れ隠しも含めて言い直した。
「は、早く行こう?脅かし役が出てくる前に終わらせちゃえばいいんだし」
だから最初から、そう言っているじゃないか。
九十九は、そう思ったのだが、あえて反論せずに先を歩く南樹の後を追う。
先ほどから彼女はビクビクオドオドしていて、おかしいったらありゃしない。
脅かし役などといったって所詮は仮装した人間だ。何を怖がる必要がある。
また藪が鳴った。
今度は、そよとも風が吹いていないのに、だ。
いよいよ、やってきたのか。脅かし役が。
どんなのが出て来るかワクワクしていると、べったり南樹が寄り添ってきたもんだから、九十九は驚いた。
恋人宣言したとはいえ、南樹と九十九の交流が友達から進展したかというと、そんな事は全くなく、友達のまま、ずるずると日々を過ごしている。
なので、彼女が自分に抱きついてくるとは思ってもみなかった。
「う〜らめ〜しやぁ〜!」
「ぎゃああぁぁぁっっ!!!!!!!!」
がさっと藪を飛び出してきたオバケ役、その声をかき消すぐらいの大音量の悲鳴が九十九の耳を劈いた。
耳元で絶叫したのが誰かなんてのは、言うまでもない。
オーバーすぎるリアクションにはオバケ役も一瞬ぽかーんとしていたが、すぐに相手は我に返ると、南樹の側でウロウロする。
「うらめぃしやぁ〜」
「ぎゃあああああ!!」
「うらうらめしやぁ〜♪」
「ぎゃああーーーー!ああああー!!」
端で見ていると、まるでコントのようだ。
オバケ役は頭からシーツをかぶった適当な仮装、且つ可愛い声なので、怖くも何ともないのだが、南樹は両目をつぶって絶叫し続けていて、逆に何が怖いのか聞いてみたくなる。
なおも「うらめしや」を連呼して南樹の周りをウロウロするオバケ役を、一応九十九は止めておいた。
このまま放っておいても面白そうだが、それは後で南樹から恨まれそうな気もしたので。
「あー……その辺にしといてやってくれ」
「うふふ、判りましたぁ。それにしても、こんなに驚いてくれた人は初めてですぅ」
「あぁ、俺も驚いた」
「大人になっても子供心を忘れないのは、素晴らしいですの☆」
子供心なのだろうか。
単に、ものすごい恐がりなだけでは?
オバケ役が脅かすのをやめた今も、南樹は目を堅くつぶって、ガタガタと震えている。
「おい南樹、南樹。先に進むぞ」
「ひぃぃぃぃ」
「南樹……あぁ、君は他の奴を脅かしに行ってくれ。オバケがいたんじゃ、こいつも動けないだろうからな」
「は〜い♪」
オバケ役の子が去り、九十九がポンポンと肩を叩いても、南樹は頑なにしゃがみ込んで動こうとしない。
浴衣の裾がはしたなくめくれて、太股がさらけ出されている。
普段、彼女の太股を見ることのない九十九は、どきりとした。
見ては失礼と思いつつも、目は彼女の太股に釘付けだ。
本人は乱れた浴衣に気を配る余裕もないのか、ガクブルと体を震わせてばかりいる。
南樹の太股は思ったよりも細くて、白い。
ぽつんと赤い点があるのは、蚊に刺されたのか。
なおもじっくり眺めていると、ベソをかいて目元を赤くした南樹と視線がかちあった。
彼女は太股をガン見していた九十九を怒るでもなく、声を震わせ手を伸ばしてくる。
「うえぇぇ……腰、抜けたぁぁ」
「はいはい、怖かったな。良かったら俺に掴まれ」
「十和田くん、十和田くぅぅんっ」
「なんだ?」
「しっかり掴まえててよぉ、怖いんだからぁぁっ」
なんと、もはやオバケが怖いというのを隠そうともしていない。
ぎゅぅっと九十九に掴みかかり、抱きついてくる。
これも普段クールな彼女からは考えられないぐらいの腰抜けっぷりである。
肩を貸してやりながら、九十九は、それとなく南樹に尋ねた。
「子供の頃、こういう遊びはしなかったのか?」
「す、するわけないじゃない、怖いもん」
「一体何が怖いんだ?幽霊なら見飽きているだろ」
「幽霊じゃないもん、実体があるから怖いんだもん」
「そんなもんかね」
「そうだよ、幽霊なら祓えるから怖くないけど、人間は無理だし!」
中身が人間だと判っているなら、怖くなかろう。
それに第一、シーツオバケが出ると同時に絶叫していたではないか。
あれじゃ相手が何でも怖いと言っているようなものだ。
或いは人間や幽霊といった対象物自体が怖いのではなく、怖いと感じる事が怖いのか。
だんだん訳が判らなくなってきたので、九十九は考えるのをやめた。
ふと、顔をあげて正面を見る。
何かがガサッと音を立てたような気がしたのだ。
いつの間に現れたのか、真正面の藪の中には大きな人影がある。
そいつは頭に三角の布をつけ、手に柄杓を持っていた。
よく判らない格好だ。
「柄杓を寄こせぇ〜」
「ひぎゃああぁぁぁぁぁ!!!!」
オバケが第一声を発すると同時に、またしても南樹の絶叫が辺りに響きまくり、調子に乗ったオバケ役が藪を乗り越え、彼女の耳元でなおも囁く。
「柄杓を寄こせぇ〜」
「ぎゃあああああああーーーー!!」
「柄杓を寄こせぇ〜」
「持っているじゃないか、柄杓」
「あ、ホントだ」
九十九のツッコミに、オバケ役も自分の手の中を見つめてボケる。
南樹は、というと二人の会話にも加わらず絶叫し続けていた。
「柄杓を寄こせって、なんの仮装なんだ?」
「えーと、船幽霊って知ってます?」
「知らん。けど名前からして陸の物の怪じゃないだろ、それ」
「そうなんですけど、控え室に柄杓があったもんで」
恐らくオバケ役の地元では、有名な物の怪なのかもしれない。
しかし元ネタを知らないこちらとしては、どこで怖がればいいのか判らない。
柄杓オバケ曰く、柄杓を見た瞬間、まんが日本昔ばなしを思い出したとのこと。
「漫画日本昔話とは何だ?」
「え、あれ、知りませんか?夕方ぐらいにやっていたアニメなんですけど」
「いや」
「そうですか……とにかく、それで見たことのある妖怪が船幽霊だったんですよ。それで船幽霊やろうかなって思って」
「なるほど。で?」
「で、って?」
「船幽霊に襲われた場合、こちらは、どう反応すれば良かったんだ」
「えーとですね、柄杓を渡さないで逃げるといいそうです」
「逃げられるのか。なんだ、意外と諦めのいい物の怪なんだな」
「そうですね……まぁ、柄杓を渡されたら沈めるんですけどね、船」
ともあれ、いつまでもヤブ蚊がブンブン飛び交う草むらで妖怪談義に花を咲かせている場合でもない。
またしても腰を抜かしてビャンビャン泣きじゃくる南樹の肩を叩いて、九十九は先を促した。
「南樹、次にいくぞ。あぁ、次に何か出たら一気に走って逃げるとしよう。このペースで進んでいたら、夜が明けちまう」
「うえぁぁぁあぁぁぁー、怖いよぅ、怖いよぅぅ、おかーさーんっ!」
「……なんか可愛いッスね。カノジョさんですか?」
「カノジョっていうか……まぁ、そんなところだ」
「えぅえぅえぅ」
「俺も調子乗って脅かしすぎちゃって、すいません。大丈夫ですか?」
「あうぅっ?」
死ぬほど驚いた後に顔を上げて間近に見たのが三角巾をかぶった逆光の大男だとしたら、そいつは、どんな行動を取るだろうか。
――考えるまでもない。
公園は、みたび南樹の絶叫で包まれた。
「ぴぎゃあぁぁぁぁ!!!!」
「あぁっ、すいません、すいませんっ!」
「もういいから、ここは俺に任せて、お前は誰か別の奴を脅かしてこいっ」
「はい、すいませんっ!」
ぴぎゃぴぎゃ大騒ぎの南樹に半ば押し倒されるようにして、九十九は頭から藪に倒れ込む。
勢いで後頭部を固い地面にぶつけたが、痛がっている暇はない。
びっとり抱きついた南樹に、のし掛かられている。
無意識なのか柔らかな太股もすり寄せられて、下手なオバケより、よっぽどドキドキしてくる。
「南樹……おい、南樹。オバケは退散したぞ、柄杓を渡さなかったからな」
「うぇぇぇ、怖いよぅ〜〜」
「もう大丈夫だ。次に何か出ても、俺が全部撃退してやるから」
冷静を装って宥めてやるが、南樹は鼻をすすって泣きじゃくるばかりで全然聞いちゃいない。
おまけに南樹が、もぞもぞと動くたびに彼女の膝が九十九の股間をぐりぐりしてくるもんだから、たまらない。
こんな草むらで困った状況になるのだけは勘弁だ。
しかし南樹は、短期間では収まりそうもないぐらいに取り乱している。
両目をつぶって自分にしがみついている彼女を見ながら、九十九は思いきった手を取ることにした。
南樹の前髪をかきあげ、ちゅっとおでこに口づける。
はっとなって瞼を開いた彼女が見たものは、少しばかり照れ臭そうで、それでいて頼りがいのある九十九の笑顔であった。
「怖いの怖いの飛んでけ〜、ってな」
「……!」
「さぁ、そろそろ起き上がって先に進むぞ。いつまでも、こんなトコに寝転がっていたんじゃ痒くない場所がなくなるぐらいヤブ蚊に刺されまくっちまう」
それには答えず、改めて南樹は九十九を眺める。
恐怖に怯える間は、じっくり見るどころではなかったのだが、彼も青の浴衣を着ていて、それがまた黒衣とは違った味を出していて、簡単に言うと似合っていて格好いい。
九十九には外来着より着物のほうが似合うと、南樹は常日頃から思っていたりするのだが、彼自身が外来着を好んで着るため、なかなか言い出せずにいた。
自分が滅茶苦茶しがみついたせいで襟が広がってしまい、胸元もチラリ見えていた。
背が高いのですらりとしているように見えるが、九十九は軟弱ヤセノッポではない。
着物の下が無駄なく引き締まった肉体なのは、夏場に源太と水浴びしているのを見たことがあるので知っている。
彼のことは、初めて道場で出会った時から気になっていた。
熱血漢の正義感、顔よし体格よし性格よしで非の打ち所がない。
晴れて恋人になれた今、彼とイチャイチャしてみたいと南樹は考えているのだが、こちらから手を出すのは至難の業だ。
時々軽口も叩いてくるが、基本は堅物なのだ。九十九という男は。
じっと見つめていると、九十九が居心地悪そうに、もぞもぞと身動きする。
そういや先ほどから膝小僧に何か生暖かいものが当たっていて、そいつは彼の動きに併せて堅さを増しているような……
それが何なのか目線で辿り、悟った瞬間、南樹は慌てて九十九の上から飛び退いた。
「ごめんっ!なんか、その、ごめんっ!」
「い、いや、いい……とにかく、奥まで一気に走り抜けるぞ。そして石を置いたら、速やかに走って戻る。いいな?」
「う、うん」
「……じゃ、いくぞ」
九十九が差し出した手を握り、南樹も微笑んだ。
そして、せーので息を併せると、その場を脱兎の如く走り抜ける。
途中の藪で誰かがゴソゴソしようと飛び出そうと、一切お構いなしに。