ビアノと長田のクリスマス
もうすぐ季節はクリスマスを迎える。今年も広瀬と二人で祝う予定だ。
長田は彼へのプレゼントを何にするかと考えながら、百貨店のドアをくぐる。
そんなタイミングだった。
突然、グイッと引っ張られる感触を背後に受けたのは。
「見つけたわ、チョーイケメン!あなたの雄っぱい、触らせてください!」
甲高くも素っ頓狂な声が真後ろから聞こえてきて、何事かと振り向いた長田の目に映ったのは、目にも鮮やかなピンク色の髪の毛をポニーテールに結んだ少女であった。
やたら背丈の低い子供だ。瞳が大きく、幼い顔つきでもある。
年の頃は十代はじめか、それ以下だろうか。
近くに親らしき人影もなし、迷子かな?と一瞬考えが浮かぶも、長田に尋ねる暇は与えられず。
「ジングルベール、ジングルベール♪クリスマスには好きなプレゼントが、もらえるんでしょう?ゼヒロから聞いたわ。だったら、あたしはイケメンのペットが欲しい!あなたなら条件に適っているわ。さぁ、あたしのモノになりなさい!」
成人男性をペットにしようだなんて、とても子供の考えつく発想ではない。
それもゼヒロとかいう奴の入れ知恵だろうか。
なんにせよ、まともにつきあっていたら面倒なことになりそうな相手だ。
「ごっこ遊びがしたいのかな?ごめんね、おじさん買い物を急がないといけないから」
人当たりの良い笑顔を浮かべて、やんわり切り抜けようとした長田は、後ろからグッと引っ張られる感覚に、たたらを踏む。
袖なり裾なりを少女に掴まれたのかと思ったら、違った。
自分の首に犬の首輪が嵌められており、そこに繋がった鎖を少女に引っ張られたのだ。
一体いつの間に。首輪をつけられた感触すら覚えがない。
「んふふ。逃がさないわよ、あたしのペットちゃん。それに、おじさん?お兄さんの間違いじゃないの」
意地悪な笑みを浮かべて、少女が鎖を引っ張ってくる。
そんなにぐいぐいされると、首が締まって苦しいじゃないか。
「ぺ、ペット虐待は感心しないぞ」と長田も抵抗し、両手で首輪を掴んで隙間を空ける。
「ペットが口答えするんじゃないわよ。そうね、ペットが服を着ているのも、おかしいわ」
「そうでもないんじゃないかな。今時のペットは服を着ているよ」
押し問答している間に周辺には人垣ができてきて、しかし少女を諫める勇気ある見物人もおらず。
面倒くさいが、このまま晒しものになるぐらいだったら、この子の相手をしてやるしかなさそうだ。
「きみは、どうして俺をペットにしたいのかな」
「あら、野暮ねぇ。それを聞いちゃうの?いいわよ、教えてあ・げ・る。イケメンをペットにしたら、毎日アハンウフンで気持ちいいコトが出来るでしょォ?」
えらくマセた返事が来て、なおもグイグイ鎖を引っ張られる。
今度は抵抗せず、引っ張られるがままに少女の側へと近づくと、彼女も鎖を引っ張るのをやめた。
「従順なペットは好きよ。ご褒美に、あたしの名前を教えてあげるわ。あたしはビルゾアラノクタール!」
どこで切るのか、何人なのか。
やたら長い名前で目を丸くする長田へ、少女が断りを入れてくる。
「あ、長いからビアノって呼んでちょうだい。んで、ペットちゃん。あなたの名前はなんていうの?」
てっきり変な名前をつけてくるかと思いきや、生まれつきの名前を聞いてくるのか。
長田も正直に答えた。
「長田厚志だよ。それで、次はお散歩にでも行ってみるかい?」
「いいわね、それ。それじゃ、いきましょ」
二人並んで歩き出した途中に電信柱を見つけて、ビアノが指をさす。
「ほら、どうしたの?電信柱にマーキングしないと」
「え?」
冗談で言っているのかとビアノを見るが、彼女の目は真剣だ。
「雄のペットは皆、するもんなんでしょ?縄張りにしとかないと」
長田は慌てて「い、いや、俺は室内飼いのペットだからね。縄張りなんていらないよ」と断ったら、ビアノは眦を吊り上げて「ペットが室内か室外を決めるなんて、聞いたことないわ。あなたはトーゼン、外飼いよ。ほら、さっさと、おしっこシャーしなさいよ!」と、長田のズボンを降ろそうと掴みかかってくる。
冗談ではない。
見物人に取り囲まれた場所で、立ちションなどしてたまるか。
しかも長田は警察官、そういったものを注意する側だ。
「じっ、実は俺は去勢済みなんだ。このあたりに住む野良嫌いの人が手術を施してくれて……!」
苦し紛れの設定をぶちかます長田に、口答えしてくるかと思いきや。
ビアノは、あっさり「そうなの?最近の人間界は、野生動物に厳しいのね」と納得し、マーキングを免除してくれた。
危なかった。うっかり散歩など持ち掛けるのではなかった。
百貨店からも遠ざかり、買い物するのは明日回しだ。
広瀬へのプレゼントは何にしよう。何も既製品じゃなくてもいい、手作り料理でごちそうするか?
もりもり料理を平らげる彼を想像して、長田はフッと笑みを浮かべる。
そこをビアノに見止められ、「な〜に、ニヤニヤ笑ってんのよぉ。ほら、次は公園で水浴びよ!」と命じられて我に返った。
水浴び?
公園で??
待て待て、今は冬だぞ。
本物のペットだって、こんな寒空で冷水を浴びせられたら病気になってしまう。
ペットごっこを強制してくる割に、ビアノはペットの飼い方を、まるでご存じないようだ。
「体を洗うなら家に帰って温かいお湯でやってくれるんじゃないと、風邪をひいてしまうよ……」
下がり眉の長田へ、気持ち悪い色目を飛ばしてビアノがねっとり囁く。
「あら、あたしと二人でお風呂に入って、洗いっこを希望するのね。いいわよ、隅々まできっちりむっちり洗ってあげるから」
勿論、本当に洗ってもらう気は長田にはなく、彼女の家へ到着する前に逃げ出すつもりだ。
問題は、どうやって首に嵌められた首輪を外すか、だが……
先ほどから引っ張ったり、留め具を弄ってみているのだが、一向に外れる気配がない。
「そうそう、散歩中にブラッシングしてあげるわ。そこで四つん這いになりなさい?」
どこから取り出したのか、手にブラシを持ってニヤつく少女には、至極まっとうな突っ込みを入れる。
「散歩中は散歩に集中しよう」
「もぉ〜、それじゃただのお散歩じゃない」と、ふくれっつらになるビアノの手を握り、長田は駅へ誘導する。
とにかく駅まで辿り着いてしまえば、こちらのものだ。いざとなったら首輪をつけたまま逃走しよう。
「あァン、あたしの家は、そっちじゃないのよぉ〜」と駄々をこねられても、「こっちから良い匂いがするんだ」と言い張り、少女を引っ張っていく。
「良い匂いって何?ハッ!まさか雌とあいびきするつもりなのね!?駄目よ、駄目、あんたは去勢済ペットなんだから、色気づくなんて一億年早いのよぉ〜」
駅までの道のりでもビアノは、なんやかんやと騒いでいて、そのつど、すれ違う人々に二度見されるのは居たたまれない。
だが、このまま彼女の家に連れ込まれて、全身ブラッシングされたり洗われるのだけは断固として拒否したい。
顔は可愛いが、言っている内容はスケベセクハラオヤジみたいで、まともな思考の少女ではない。
歩きだったのが次第に早足となり、ついには駆け足で駅の階段を駆け上がり、懐から定期券を取り出した長田はビアノの手を離すと、勢いで改札口を突破する。
続けて駆け抜けようとしたビアノは切符を持っていないのだから、激しく警告音を鳴り響かせて、バタンと閉まったドアに激突した。
「ぐぎゃあ!」
その悲鳴が、あまりにも潰れた蛙みたいな断末魔で、何事かと周辺の人々が振り返る。
長田も正直しまったと思った。
自分の背丈で考えていたから、ビアノがドアで足止めされるとしても問題ないと踏んでいた。
少女は、ずっとずっと背が低かったのだ。ちょうど、改札のドアが顔の部分にくるぐらいには。
「す、すまない、大丈夫だったか?」
振り返って見てみれば、ドアに挟まれた格好でビアノが、くたっとノビている。
このまま少女を放置して電車に飛び乗れば、多少後味が悪くともペットごっこを終わりに出来る。
しかし、そうするには長田の性根は優しすぎた。
かくして駅員に協力を仰いでビアノを救い出した後、彼の取った行動とは――
「う、うーん……?」
顔面激打のショックから立ち直り、ビアノは唸りながら身を起こす。
頭上には星が瞬いている。
気を失っている間に夜になってしまったようだ。
「気がついたかい?」と柔らかい声が聞こえてきて、ハッとなって真横を見やると長田が座っているではないか。
ビアノは長田と二人、公園のベンチに腰かけていたのだった。
てっきり駅で振り切られたとばかり思っていたのに、どうして逃げなかったのか。
「ペットごっこにつきあう余裕がなくて、ごめんな。でも、あそこまで酷い扱いをするつもりも、なかったんだ……お詫びと言ってはなんだけど、これ」と差し出されたのは、ホッカホカの焼き芋だ。
「駅前で売っているんだ。良い匂いだろ?」
かぶりついてみると、ちょうどいい塩梅に温かい。
「なんで……」
ハフハフ食べているうち、不意にじわっと涙が浮かび、ビアノは小さく呟いた。
「なんで、あんたが謝っているのよぅ。あたしが無理やりペットごっこを強制したってのに」
「うーん、俺のほうがオジサンだから、かな?」
ぽむぽむと優しく頭を撫でられて、ますます視界が涙で滲む。
こんなふうに、人間から優しくされたのは初めてだ。
いつも危険人物扱いで、まともに相手をしてくれる者など、ほとんどいなかったというのに。
半分以上が言動による自業自得だろ、と言ってしまうと身も蓋もないのだが。
何がオジサン、よ。あたしより、何万年も後に生まれたくせして。
ビアノが焼き芋を食べ終える前に、長田は立ちあがる。
「それじゃ、家まで送るよ。反対側と言っていたけど、どこに住んでいるんだ?」
家なんて、ここらへんにはない。
ここではない、別の世界から、やってきたのだから。
ビアノは芋にかじりついたまま涙目でブンブン首を振る。
否定の意と取って、長田も苦笑した。
「……そうか。それじゃ、ここでお別れだ。気をつけて帰るんだよ」
去っていく背中を眺めて、ビアノは想う。
人間と一口に言ってもピンキリだ。
今回のイケメンは超アタリだった。
次に来る時には、改札口を無傷で突破できる方法を考えておこう。
そして次こそは今日出会ったイケメン、長田厚志をペットにするんだから!
手持ちのメモ帳に長田の名前を書き込みながら、ビアノは一人、ほくそ笑むのであった……