5.豊饒の意味を考えてみよう
どこまで移動しても、主催者はおろか出口も見えてこない。次の部屋で彼らを待ち構えていたのは小柄な少年と、帽子を目深にかぶった青年の二人であった。
「クロト、待たせたな!俺が、お前のペアだ」
声高に叫んだ少年を見て、クロトが感情を露わに「ディノ!?」と驚く。
「お前も来ていたのか。部屋が違ったのは何故だ?」との疑問には「俺が知るわけないだろ」と生意気に返してきて、ディノが同行者を見渡した。
「なんで、こんな奴らと一緒に……まぁいいや。クロト、そんなことよりクリスマスって何の意味か知ってるか?」
知らないと首を振るクロトに、またまたディノは「知らないのか?なんだ、クロトにしては無知だな〜」と生意気が止まらない。
どうせ自分だって会場の奴らに聞いた又聞きだろうに、シッタカしてしまうのは少年ならではの悪い癖か。
「クリスマスってのは本来、豊穣を祝う祭りらしいぜ。だから、ごちそうを食べて神に感謝するってわけさ」
「神に感謝?俺が聞いた話だと、そんな内容は一切出てこなかったぞ」と首を傾げるクロトへディノが肩をすくめてみせる。
「近年じゃ、そこらへんは忘れ去られているらしいけどね」
ディノとクロトが話している間、「クッロットー!俺もいるぞ、俺も!」と叫ぶ青年は、すっかり存在を忘れ去られている。
彼の傍らには"ゾナ参上"だの"クロトの恋人、ここにあり!"だのと書かれたノボリが立っていて、余計に惨めだ。
気の毒に思ったのか、ジャンギが二人の会話に割り込んだ。
「……あちらの彼も知り合いかい?」
「知らない顔だ」とクロトは冷たく答え、ディノはゾナのほうなど見もせずクロトにだけ甘える。
「なぁ、クロト。ここで立ち話ばっかしているのもなんだし、一緒にクリスマスパーティを楽しもうぜぇ」
「ごちそうを食べてサンタにプレゼントをもらう一連の流れなら、もう見て来たぞ」との返事を聞いているのかいないのか、いや全然聞こえなかったふうにスルーして、ディノが部屋の奥を指さした。
「あっちでお楽しみのムフフが出来るって言われたんだ。俺、クロトとしたいなぁと思って!」
そこにはダブルベッド並みに巨大な真っ白ケーキが、でんと据え置かれており、ケーキの上にはマジパンで作られた枕とマシュマロを薄く伸ばした布団、それからティッシュペーパーの箱と怪しげな大人のオモチャ、コンドームの箱が一ダースほど見える。
やる気満々な設備に誘われたクロトは勿論、傍観者と化していたジャンギや原田もドン引きだ。
「……お楽しみのムフフって、お前。そういうのは嫌いなんじゃなかったのか?」
至極冷静なクロトのツッコミに、ディノは頬を染めて恥じらいの上目遣いを向けてくる。
「お前が他の奴とするのが嫌だったんだ。だって……俺が好きなのはクロトただ一人なんだからな?」
そこへ「待てーぃ!」とゾナが駆け寄ってきて、二人の間に無理やり割り込んだ。
「ディノ、お前は十八歳以下だろ!お楽しみのムフフは十八禁だッ!」
こんな異常部屋にいるにしては、真面目な指摘だ。
だが、その後が良くなかった。
「したがって!クロトは俺とムフフするように」とクロトへ振り返ったゾナは涎を口の端から垂らして、スケベ笑いを浮かべる。
「結構だ」
クロトの冷めきった目が、ゾナとディノの双方を睨みつける。
「これのどこが豊穣でクリスマスなんだ?ただのラブホテルじゃないか」
「なら、聞くけど」と、ディノ。
「豊穣の意味をクロトは知ってるのか?」
「馬鹿にするな。豊かな実り……だろう?作物の実りだ」
クロトは吐き捨てて、手持ちぶたさに鼻など穿っているサンタの側へ歩いていく。
「作物の豊作を神に祈る……なるほど、それなら納得のいく祭りだ。少なくとも、純粋な子供だのと制限をかけてプレゼントを渡す傲慢な祭りだと言われるよりは」
「あれ?俺へのアテツケっすか?言っとくけど、これって公式サンタが決めたルールっすよ」
鼻くそをピンと指で弾いてサンタが口を尖らせる。
「そうだ、豊穣は豊かな実り……つまり、子作りだよ!」と、素っ頓狂な結論に飛ばしたのは誰であろう。
涎を垂らしたゾナではなく、十八歳以下のディノであった。
「それ〜、ねちゃねちゃプロレスの始まりだーッ!」
「なっ……!」と身構える暇もない。
クロトはディノに強烈なタックルをくらい、巨大ケーキベッドの上に押し倒される。
表面の白いのは生クリームであった。
そいつが背中にねちょねちょくっついて、大層気持ち悪い。
身を起こそうにもディノが上に乗っかってきて、シャツをめくりあげられた。
「クロトってエッチだよね、色白だし華奢だし腰は細いし乳首はピンクだし」
胸やら腹やらにフンガフンガ鼻息を吹きかけられては、クロトもたまったものではない。
「俺の色白は生まれつきだし、細いのは太らない体質ってだけだ!それに乳首は大体どいつもピンクだろ!!」
ぐぐぐーっと力いっぱい押しのけようとしているのだが、苦しい体勢だけにディノを押し返せずにいる。
「そんなことない!乳首が黒い奴は、いっぱいいるぞ!」と叫んでゾナもケーキに、よじ登ってきた。
クロトのズボンをずるりと引きおろして、パンツも脱がそうと手をかける。
「クロトって黒が大好きだよな、名前にクロってつくから?パンツの中身も黒いのかな〜グヘヘ」
「名前と黒好きは関係ない……ッ」
二人がかりで押さえつけられているにしては、クロトは逐一口答えして割と余裕だ。
だが、さすがに乱暴されそうになっているのを放っておくのは後味が悪い。
原田とジャンギもケーキの上によじ登り、原田は手近に転がる電動バイブを思いっきりゾナの後頭部へ振り下ろす。
「やめろ、クロトは嫌がっているじゃないか!!」
殴った瞬間、かなり良い音がした。
たまらず頭を抱えて、ゾナがケーキから転がり落ちる。
原田に倣って、ジャンギも手近なグッズを武器に襲いかかった。
クロトの上に覆いかぶさって乳首を舐めまわすディノの肛門に、これでもかとばかりの勢いでオナホールをぶっ刺したのだ。
「はぐぅっ!!アダルトグッズは、使用方法を正しく、守って……!」
最後まで言い切れず、ディノがクロトの上を転がり落ちた。
お尻を押さえて丸まってしまったあたり、相当な激痛を与えたようだ。
しかし友達に悪質な嫌がらせをしていた以上、やりすぎたとは原田にもジャンギにも思えない。
「友達は選んだほうがいいぞ」
クロトを助け起こしながら、原田は一応お節介を焼いておく。
「そこの変態帽子は知らない奴だと言っているだろ」と吐き捨てたクロトは、ディノをも汚物を見るが如くの視線で眺める。
「ディノも……こんな奴じゃなかったんだがな、前は」
人は、いつか変わってしまうものだ。
ディノも一度死んでifで生き返った際、余計な知識を植えつけられてしまったのかもしれない。
――と、脳内で綺麗にまとめながら、クロトは改めて会場を見渡した。
この部屋にも、やはりクリスマスツリーが立っている。
ごちそうの代わりに置かれているのは、お菓子の山。
一つ一つ透き通った袋で梱包されており、袋の口を綺麗なリボンで結んであった。
他には火の灯った暖炉と、先ほどのケーキベッド。
それから背丈を遥かに越える巨大な人型クッキーが、壁に立てかけられていた。
「あのクッキーは恐らくトラップだ。触るなよ」とクロトに目線で命じられて、原田は素直に頷く。
テーブルと椅子は用意されていないが、集められたカップルは床に座って和気藹々、それなりに盛り上がっている。
そのうちの一組にジャンギは話しかけてみた。
「このクリスマスパーティが何時頃お開きになるか、知らないかい?」
返事は簡潔、知らないとのことで、カップルの片割れが、そういえばと付け足す。
「お菓子が全部なくなったら、会場を移動するようにって言っていたような」
誰に?との問いにも、名前は知らないけど黒髪の男性で、多分ここのスタッフじゃないかとカップルは笑顔で答えた。
何処へ移動すればいいのかというと、壁に案内板がでかでかと『奥の扉へお進みください』との指示付きで掲げられており、この部屋だけ妙に親切だ。
「食べ物がお菓子しかないなんて、喉が渇くじゃないですか」
不満を述べる原田に、ジャンギも同意する。
「親切なんだか不親切なんだか、はっきりしないパーティだよね」
「そんなことより」と、クロトが二人の雑談を遮った。
「菓子を食べている奴が、おかしくなっていない。ここは他の部屋と、だいぶ勝手が違うようだ」
冒頭のケーキベッド騒ぎは何だったんだってぐらい、菓子を食べて雑談で盛り上がるカップルは穏やかな雰囲気だ。
ここではプレゼントを配る予定がないのか、サンタは煙草を吹かして休憩タイムに入っている。
さっきクリスマスをお開きにするようなことも言っていたはずだが、まだパーティは続いているじゃないか。
どういうことだ。
サンタを問い詰めようとして、しかしクロトは考え直す。
このサンタは、きっと、ただの雇われバイトだ。命じられた以上の情報なんて知る由もない。
役立たずだが、こいつが役に立つ場面が一つだけある。
「おい、サンタ。今すぐ全部食え」
ぶしつけなクロトの命令に、サンタは「ハァ?」と眉間に皺を寄せて彼を睨みつけたのだが、間髪入れずグイグイお菓子を口の中に詰め込まれて、目を白黒させた。
「ちょ、ちょっとクロト!?無理強いはよくないよ」
止めに入るジャンギにも耳を貸さずにクロトは断言する。
「菓子がなくならないと奥の部屋には入れないんだろ?さっさと移動したいんだったら、菓子を消化するしかない」
それはそうなのだが、なんだってサンタ一人に全部押しつけようと思ったのだ。
ここにいる全員で食べればいいじゃないかと提案するジャンギに他のカップルも賛成とあっては、クロトも渋々妥協するしかない。
しばし食べるペースを速めて、全員で協力して、お菓子を全部食べ切った。
「美味しかったけど、ちょっと喉が渇いちゃったね」と苦笑しあうカップルや、「奥の部屋は何があるんだろ?」と瞳を輝かすカップルなどを引き連れて、原田は奥の扉を開けてみた。
そこで待ち受けていたものは――
部屋中に敷き詰められた黄金色のカーペット。
見渡す限り、稲穂の畑が広がっている。
部屋の中であるはずなのに、頭上にあるのは天井ではなく青空だ。
「すごーい、これ、全部映像!?」「ここって屋上なのかなぁ!」
他のカップルは無邪気に喜んでいるが、屋上にしても下へ降りる階段がなく、ここで行き止まりのようだ。
「映像じゃなさそうだ」と呟いたのは、しゃがんで水の流れに手を突っ込んだ青年だ。
えらくやせ細っており色黒で、肋骨が浮いている。
パーティと銘打たれた場所へ来るには不釣り合いなほど、ボロボロの衣服を纏っていた。
まぁ、彼も来たくてパーティに来たんじゃなかろうし、ここでファッションセンスを問うのは愚問であろう。
畑で流れる水は触ると冷たく、びしょびしょに濡れるからには映像の類ではない。
稲穂も手で触れられる。ざらっとした手触りだ。
よく見ると足元の地面には、ところどころ区切りがあり、薄い苗床を何枚も敷き詰めてあるのだと思われた。
「無駄に手が込んでいますね。これらを作ったのは、どなたなんでしょう?」
首を傾げる三つ編みおさげの少女に先ほどの痩せ細った青年が寄り添い、油断なく周囲を見渡した。
「俺達は、これまで何の疑問もなく菓子を食べて談笑していた……しかし、パーティ主催者は一度も姿を現していない。これだけの規模で開催したんだから挨拶の一つや二つ、するのが普通じゃないか?」とはツンツン頭の少年を連れた銀髪青年の言葉で、先ほどの部屋にいたカップルは随分のんびりした者ばかりだったようだ。
「俺達は主催者を探しに、別の部屋から来たんだ」と原田が告げる。
途端にカップルたちは「別の部屋?他にも部屋があったんだ」と驚きに包まれて、ちょっとした騒ぎの中、誰かがピョイッと間抜けな効果音を立てて飛び込んでくる。
「この部屋では豊穣をお祝いしているんだ。おぉっと、これは見事な豊穣発見!」
否、飛び込んできただけではなく、おさげの少女に背後から抱きついて、たわわな胸を両手で揉みしだく。
「きゃあぁ!!」
少女の悲鳴が響き渡り、複数名の男性による反撃が不埒者の全身に叩き込まれる。
「げぷぅ!」と叫んで鼻血を撒き散らしながら床へ倒れこんだ奴の顔にジャンギと原田、それからクロトも見覚えがあった。
「お前はデキシンズじゃないか。サンタクロースは、もうお役御免になったのか」
今のデキシンズは、上半身裸に加えて下半身は薄汚いズボンに素足と貧乏くさいファッションだ。
首に下げているのは角笛で、頭にも二本の角をつけている。
「今の俺は悪戯好きな半獣人だよ。豊穣をお祈りして馬鹿騒ぎを扇動するのが役目なのさ」
「馬鹿騒ぎを扇動?今のは、どうみてもタチの悪い痴漢だったぞ」
銀髪の青年がお説教モードに入りかけるも、デキシンズは右から左へ聞き流して、微笑んだ。
「豊穣とは豊かな実り。それは、おっぱいさ!俺は、たわわなおっぱいを皆で揉みしだく祭りだとクリスマスを解釈したんだ」
何を言っているのか全然分からない。
早々にデキシンズとの会話を諦めたジャンギは、皆を呼び寄せて相談する。
「あの痴漢が何処から入ってきたのか、見ていた人はいるかい?」
「あっちの壁が一回転して入ってきたんだ。奥に通路があるみたいだね」と、髪の毛を逆立てて白いバンダナを巻いた青年が横手の壁を指差す。
「なるほど……他に気づいたことは?何でもいい、教えてくれ」
ジャンギが誘いをかけると、カップルは口々に気になった点を報告した。
「真上の青空は映像みたいだよ。だってプロジェクターっぽい機械が、ちらっと見えたんだ」
「この畑に流れている水、さっきすくって飲んでみたら甘かった!」
「あの稲穂、見た目は本物っぽいけど匂いが全然違うよね。うーん、チョコ?匂いはチョコに似てるかも」
「さっきの部屋のおっきなクッキーね、後ろに扉があるみたいダッタ!」と叫んだのは、ぼろをまとった小柄な少女だ。
「クッキーは俺も気になっていた……が、触りたくないな」と、クロトが眉間に皺を寄せる。
「よし、じゃあ、やっぱりおっぱいを揉みしだこう!」
皆の会話に混ざってくるデキシンズは誰もが目を併せないよう無視し、気になった点を一つずつ調べてまわる。
まずは、デキシンズが出てきたという壁。
軽く押すと、くるりと回って細い通路が横一本に開かれる。
「ここは……前の部屋と繋がっているのかな?」
壁の向こうを覗き込むジャンギのお尻をさわさわ撫でて、デキシンズが頷いた。
「ビンゴだよ。ところで、君のお尻も豊穣だね。ナイス触り心地」
すかさず容赦ない勢いでデキシンズの手をぴしゃりと叩き、ジャンギを守る位置に立ったのは忍び装束に身を包んだ男だ。
「痴漢行為は慎んでもらおうか。出口を探す気がないなら、隅っこで大人しくしていてくれ」
真っ赤に晴れ上がった手を擦りながら、デキシンズは涙目で「判ったよぅ」と稲穂畑の中へ引っ込んだ。
デキシンズがやってきた通路では、外に出られないと判った。
次は前の部屋に戻って、クッキーの後ろを調べてみよう。
ジャンギは扉を開けようとしたのだが、押しても引いてもビクともしない。
鍵がかかっているようでもないのに開かないとは、どういった仕掛けなのか。
「一度出てしまったら、二度と戻れない部屋だったのか……」
映像プロジェクターは簡単に見つかった。
天井の四隅に一つずつ設置されており、それらが青空を映し出している。
しかし、それが判ったからといって次の道に繋がるヒントにもなりゃしない。
甘かったと評判の水を眺めながら、原田がポツリと呟く。
「この水、どこから流れてきているんだ?」
水の出どころを探ってみると、壁の向こうから流れ込んでいた。
ということは、この壁を壊せば道が開ける?
これで壁を壊す道具があれば完璧だが、ここにあるのは一面の稲穂畑だけ。
さっきの部屋にあった大人のオモチャ群を持ってくれば良かったと後悔しても、後の祭りである。
がっかりする皆をデキシンズが満面の笑顔で「ほぅら、おっぱいを揉みしだくしか、なくなってきただろう?」と煽ってきて、皆のイライラも倍増だ。
「そこまで言うなら、お前を揉んでやる!」
ついには無視しきれなくなったのか、ツンツン頭の少年がデキシンズに襲いかかる。
「だ、駄目だ、ソルト!そんな汚いものに触ったら、手が腐っちゃうぞ」と銀髪青年に引きはがされるまで、容赦なくデキシンズの金玉を揉みしだいてやった。
「あ、あふぅ〜ん、豊穣、イィッ」
だらしなく涎を床に垂れ流して半分白目でビクビク痙攣するデキシンズを全員で遠巻きに見守っていると、不意に壁の一部が派手な音を立てて倒れた。
ぽっかり開いた向こう側には通路が見える。今度こそ、次の部屋へ進む道のはずだ。
その場にいたカップル全員を引き連れて、原田たちは通路に潜り込む。