ハリィ&グレイグ
エリックや斬は、何かを為し得ないと出ることは出来ないのではないかと予想していた。しかし何かをするにしても、ハリィは既に、この世界に飽き始めていた。
何かにランクインしたわけではない。
そこへ到達する前に飽きた。
何しろ単調である。
何でもできると笹川は豪語していたが、実際には日常の延長線だ。
最初の頃こそ様々な人種や出来事に目を奪われていたけれど、季節が一周もすれば慣れてしまった。
グレイグは、きっとハリィが一緒であれば、どんな環境でも良いのだろう。
一時は反抗期が吹き荒れていたものの、今では穏やかなものだ。
二人だけのハウスで住むようになり、邪魔者が来なくなったおかげであろう。
「グレイ」
ある朝、ハリィは尋ねてみた。
「この世界を抜ける方法なんだが――」
「あぁ、それなら既に見つけた」
何でもないことのように、あっさり言われて、ハリィは次の言葉が出てこなくなる。
やっと出てきたのは「え?」という、何の捻りもない反応であった。
「ただ、見つけたのはいいが、必ず出られる確証がなかった……」
ぼそぼそと俯き加減に告白するグレイグの双肩を掴みあげ、ハリィは再度問い質す。
「出られる方法を見つけただって!?一体いつ、どこで!」
「あぁ……割と町の中では噂になっていたんだが」
グレイグ曰く、天気の良い日は一人で散歩に出る時もあるのだという。
そして散歩途中で耳にした会話が、『ログアウトの手順が変更された』という内容だった。
そのやり方とは、
1.プロフィール画面を開きます
2.設定画面を開きます
3.一番下までスクロールし、ログアウトを選択します
というものである。
グレイグも試してみたら、なるほど確かにプロフ設定内にはログアウトの文字があった。
ここへ来たばかりの頃、設定を弄くった時にはなかったようにも思うから、最近の変更なのであろう。
「その話、誰がしていたんだ?」
「あちこちで聞いたぞ。だから、誰と特定することはできない」
「いや、そうじゃなく」とハリィは言い直す。
「俺達のような奴だったか、それともログアウトが普段から出来る奴だったのかと」
だが聞き途中で考えを改めた。
そんなの、グレイに見分けがつくはずもないじゃないか。
「あぁ、すまん。なんでもない。今のは忘れてくれ」
ハリィが覚えている限り、自分に見える範囲では一度もログアウトの文字を見た事がない。
それが何故、今になって見えるようになったのか。
心境の変化か?
ハリィがちらりとグレイグを見やると、グレイグも心配そうにこちらを見つめている。
「グレイ、君はこれまでに一度でもいいからログアウトしたいと考えたことは」
「君が一人でふらついている間は、毎日思っていた……」
即座に暗い目で返されてハリィは多少言葉に詰まったものの、聞きたかったことを尋ねる。
「その件は本当に済まなかったな。それで、出たいと思っていた頃に"ログアウト"の文字を見たことは?」
「いや。今回が初めてだ」
言われて改めて不思議に思ったのか、グレイグも肩肘をついて考え込む。
「俺は毎日ゲームの世界を抜け出したいと思っていた。それは真実だ。だが同時に、君と一緒でなくては嫌だ――とも思っていた。それが原因で"ログアウト"の文字が出なかったとは、考えられないだろうか?」
尋ねられても、こちらは飽きるまで一度も出たいと思わなかったハリィである。
エリックや斬から出る方法を相談されても、あの時点では、まだ飽きていなかった。
そういや彼らは、どうしているのだろう。
最後にランキング入りを目指そうという話をしてから、もう長いこと会っていない。
久々に連絡を取ってみようか。
だがトークレシーバーを取り出すのをグレイグが暗い目で見ているのに気づき、ハリィは止めた。
この親友は独占欲が強く、ハリィが誰か他の人と話すだけでも機嫌を損ねてしまうから困りものだ。
ログアウトの文字か。
自分の設定画面にも出ているのか。
――あった。
ハリィのプロフィールの設定画面にも、燦然と輝くログアウトの文字。
「これを指で示せばログアウト、つまりゲームの世界から出られるんだな?」
ハリィが念を押すとグレイグは、こくりと頷く。
「恐らく」
「試さなかったのか?」とも尋ねると、彼はぶるぶると首を真横に振った。
本当に出られたとしても戻れなかったら、ハリィにこの事実を伝えることもできなくなってしまう。
君と一緒に試してみたかったんだと涙ぐんで言われ、ハリィは重々納得した。
「よし、それじゃ一緒に押してみよう」
こくんと頷き、グレイグもハリィに習って指を天へ掲げる。
ほぼ同時にログアウトの文字に触れた瞬間、二人とも目の前が真っ暗になった。
目を開けているにも関わらず、視界が真っ黒一色で覆われた。
ハリィが気がついたのは野外に建てられたテントの中で、側にグレイグの姿はない。
かわりに寝ていたのはボブやバージなど、いつもの傭兵仲間だけだ。
まさか、グレイグだけ出られなかったんじゃ!?
青ざめるハリィの手元で、ピピピと小さく電子音が鳴り響く。
無我夢中で通信に出た。
「グレイ!グレイなのかッ!?」
通信機の向こうでは安堵の溜息が聞こえ、続けてハリィのよく知る声が受け応える。
『あぁ……良かった、ハリィ。君も無事に出られて』
グレイグだ。
彼も別の場所で目覚めたらしい。
見たか?と彼に問われ何がと尋ね返すと、グレイグは言った。
『今日の日付だ。俺達が一番最初にゲームの中へ囚われた日になっている』
通信機に表示される日付へ目をやると、かなり前の月日が表示されている。
いや、かなり前なのではない。
ゲームの中で一年を過ごしたと感じた、この感覚のほうがおかしかったのだ。
日付をじっと見つめているうちに、次第に視界がぼやけてくる。
自分で思っている以上に、疲れているようだ。
頭がズキズキする。
通信機の向こうでも体調変化が訪れたのか、グレイグの断る声が聞こえた。
『……すまない、強烈な眠気が襲ってきた。また後で話そう』
それすらも最後まで聞くことが叶わず、ハリィはボブの真横で意識を失う。
そして再び目覚める頃にはゲーム世界の記憶など、彼の脳裏からは一切消えていた……