FES

ジパン狂乱

参の陣:キョウ編

巻きつけた手ぬぐいは、何やらすえた匂いがする。
しかし何かを考えるよりも早く、オーギュは物陰へ飛び込んだ。
背中に見回り組と書かれた羽織を着込んだ連中が、そこかしこを歩いているではないか。
これでは、ろくに聞き込みもできやしない。
もう一度、手ぬぐいの匂いを嗅いでから、オーギュは意を決した。
臭いだの何だのと言っていられない。
瞳を見られれば異国の民だと一発で判ってしまうし、かといって顔を隠せる道具もない。
一旦手ぬぐいを解くと、顔を覆い隠すように巻き直した。
「……ぐへ。畜生、これだから行き当たりばったりな潜入捜査ってやつぁ」
ぶつぶつ文句を言いながら、表の気配を伺う。
気配が一つ、二つと去っていくのを待った。
やがて一つも気配がなくなったところで通りへ出た直後、息切れする声に呼び止められる。
「そこの、お前……お前はジパン人じゃないな?」
聞き覚えのある声に、オーギュは思わず「グリフィ!?」と叫んでいた。
息を切らせて追いかけてきたのは非常に見覚えのある馬男……ではなく、ケンタウロスであった。
獅子奮迅の勢いで見回り組を蹴散らしてきた後、ここまで逃走してきたものらしい。
あちこちから血を流しているが、一応、元気といえば元気だ。
「オーギュ!?どうして、そんな格好を」
「後で説明する!それよか今は此処を離れるんだ、急げ!」
今は誰もいない通りだが、いつ何時、例の羽織軍団が現れるとも限るまい。
「判った!早く乗れッ」と叫んだグリフィルスの背後では「見つけたぞ、あそこだ!」等と言った声が飛び、しまった、もう見つかったのか。
「飛ばすぞ!しっかりしがみついていろッ」
言うが早いか蹄が大地を蹴り上げる。
周りの景色が飛ぶように流れていき――不意に馬男が速度を緩める。
どうしたのかと聞くまでもない。
抜き身の刀を手にした侍が、何者かと向き合っているのが見えた。
「あいつ……」と呟くグリフィに「知っているのか?」とオーギュも小声で尋ねる。
「あぁ。あの虎男、テトラじゃねぇか」
手前の侍ではなく、地にへたり込んだワータイガーのほうに見覚えがあったようだ。
突然、そのワータイガーが力の限りに叫んできた。
「たっ、助けてくんろぉぉーーーー!
思わず「げっ」とたじろぐオーギュへグリフィルスが囁く。
「お前は喋るな。ここは俺に任せておけ」
だが。
振り向いた侍が驚愕の眼差しで「馬……?いや、馬と……人、か?」と呟いた直後、聖騎士の理性は思いっきり吹き飛んだ。
「誰が馬だ!」
額に青筋を浮かべているというのに、侍ときたら鼻で笑う余裕っぷり。
刀の背で己の肩を叩き、さらなる侮辱を飛ばしてくる。
「ほぅ……話す馬か。百鬼夜行には刻が早いぞ、物の怪どもが。まとめて牢へぶち込んでくれるわ」
「だから俺は馬じゃねぇって言っているだろうが!!」
「お、おい、落ち着けって」とオーギュが小声で宥めても、収まるものではない。
ブチキレケンタウロスにも全く畏怖を示さないばかりか、侍はテトラの首筋に刀を押し当てる。
「大人しくついてこぬ、というのであれば……虎の首が落ちるぞ」
「ひぃっ」と短く悲鳴をあげるテトラを一瞥し、グリフィルスは首を軽く振った。
「誰もついていかないとは言っていないだろ。俺達を監禁できるもんなら、監禁してみるといいさ」
あの虎男が斬り殺されるのを見るのは寝覚めが悪い。
それに牢屋へぶち込まれるんだったら、もっけの幸い。労せず城内へ潜り込めるチャンスだ。
刀を鞘に収めた侍が、顎で虎男を示す。
「その威勢の良さ、いつまで続くか試してやろう……牢の中で、な。あぁ、こいつも乗せていけ」
グリフィルスはテトラをオーギュの後ろへ乗せると、侍の後を大人しくついていった。

城に連行されたオーギュ達は、それぞれ別の檻へ入れられる。
オーギュは三つある檻の一番奥、グリフィルスは真ん中に入れられた。
各々の武具は取り上げられたが、オーギュの布だけは取り上げられなかった。
布は埃だらけの汚れまみれだったので、見回り組の連中も触れたくなかったと見える。
通路とオーギュ達を隔てるのは木材で作られた格子だ。
壁は石造り、殴ったぐらいでは壊せない。
薄暗く黴臭い檻の中には、トイレらしき穴が空いている。
薄汚れた布団も隅に敷かれていた。
彼らを連行してきた侍とは、地下牢へ入る前に別れたっきりだ。
見張りは三人いた。
階段に腰を下ろす一人、残り二人は近くに置かれた椅子へ腰掛けている。
もちろん、全員が見回り組の隊員だ。
一見逃げ場なしの監禁状態に見えるが、抜け道は幾らでもある。
オーギュは見張りへ話しかけてみた。
「おーい、見張りの皆さんよ。こんな汚い部屋に俺達を閉じ込めて、どうしようってんだ?」
すぐに見張りの一人が早足に寄ってきて、柵を刀の鞘で叩く。
「うるせぇぞ、黙っていろ。黙らねば斬る」
なおも人懐っこさを装って話しかけた。
「そう怖い顔すんなよ。俺はあんたらと敵対する気なんか、これっぽちもないんだ。なぁ、ここを出してくれたら、俺んチにある秘蔵の酒をご馳走してやってもいいんだぜ?」
見張りはチッと舌打ちを漏らして戻っていった。
斬ると言いつつ斬らないのは、恐らく上の奴から斬るなと命令されているのだろう。
何故、妖かしだのと呼んで恐れるような相手を生かしておく必要があるのか。
向こうも何らかの情報を欲している。きっと、妖かしに関するものだろう。
なら、もっと大胆に行動したっていいわけだ。例えば、脱獄を唆す――といった。
「なぁ、グリフィ。捕まっちまったが、どうする?」
少しばかり声を大きく仲間へ話しかけただけで、また侍が柵を叩いてきた。
「貴様っまだ騒ぐか!」
今度は叩くだけじゃない。柵の隙間からオーギュを鞘で突いてきた。
だが、オーギュは慌てず騒がず「おっと、いいのか?」とおどけてみせる。
「いいのかとは、何がだ」と尋ね返してくる見張りへ、顔の布を引っ張りながら「俺を突っついてよ」と繋げた。
「俺ァよ、疫病にかかってんだぜ?お前のエモノにも、俺の病原菌がべったりくっついちまったかもなぁ~」
「な……っ何、だと……!?」
慌てて刀を戻して後退する相手を見据え、なおも顔の布を引っ張る真似をする。
「さっきから、ずっと痒くてたまんねぇや。外しっちまおうかなぁ~、この布」
「や、やめよ!くそ、おい、外すんじゃないぞ!外したら貴様を斬るッ!」
見張りは、あからさまにたじろいでいる。そして、疫病宣言に驚いたのは彼らだけではなかった。
「オーギュ!お前、どうして……待っていろ、すぐに治してやる!」
隣で鬼気迫る決意が聴こえてきたかと思う暇なく、激しい破壊音が牢屋中に響き渡る。
音の大きさからして、ケンタウロスの脚力が柵をぶっ壊したに違いない。
それこそオーギュが「えっ?」と状況を把握する前に、見張り全員が激昂した。
手前にいた見張りは勿論、椅子に腰掛けていた二人も血相変えて隣の檻へ詰め寄る。
当然のように全員抜刀して。
「貴様ァ!!我らの前で堂々脱走とは、なめるのも大概にしろ!」
「うるせぇ!俺の邪魔をする気なら容赦しねぇッ」
見回り組に負けない迫力で、グリフィルスもカツンカツンと蹄を鳴らす。
「や、え、ちょ、ちょっと待てよグリフィ!」
何が彼の逆鱗に触れたのか。
いや、絶対さっきの嘘を頭っから信じている。なんて素直な男だ!
この馬男が素直なのは知っていたつもりだが、こんな場面でまでそうだとは思ってもみず、オーギュは頭を抱える。
隣の檻では大乱闘が始まった。
「三人程度が俺に勝てると思うな!」
怒りの前足キックで見張りの一人を蹴り上げて、勢いよく壁に叩きつける。
「ぐっはぁ!」と叫んで気を失うのを見届けもせずに、今度は後ろ足で背後に回り込んだ奴を蹴っ飛ばしてやった。
侍は「げうっ」と苦しそうな声を漏らし、腹を押さえて後退する。
耐えきれず、げぇげぇと吐いた後、前のめりに倒れ込んで昏倒した。
こんな奴等、槍がなくたってグリフィルスの敵ではない。
今は一刻も早くオーギュの治療に当たらねば。
何の病気だか判らなくても問題はない。
神聖魔法の『キュアー』は如何なる異常でも、たちどころに癒やす。善神ゼファー様のご加護で。
残り一人は劣勢と見たか、「く、くそっ!」と叫んで身を翻す。
応援なんか呼ばせない。
軽く助走をつけて走り出したグリフィルスは勢いよく飛んで、最後の一人を踏んづけてやった。
「うぁっちゃぁ……」
あまりの惨事にオーギュはもう、言葉も出てこない。
呆れる彼の目の前で柵は木っ端微塵に叩き壊され、下がり眉のケンタウロスが膝を折る。
「しっかりしろ、オーギュ……今、癒やしてやるからな」
掌に温かな光を灯す友に、とりあえず断っておいた。
「あ、あのな?疫病ってのは嘘だぞ、嘘」
「……何?」と怪訝な表情を浮かべるグリフィルスへ重ねて言う。
「んな即効性でかかる病気なんざねぇっつーか、疫病にかかっていたら、こんなに元気なわけないだろが」
「お前……っ、ろくでもない嘘を」と声の大きくなる友を「しぃっ!」と制してから、改めて策を授けた。
「それよか、せっかく脱獄したんだ。城を探るチャンスだぜ」
「わ、判っている。お前が無事なら、それでいいんだ」
どこか照れた様子で視線を外すと、白目を剥いて昏倒する見張りどもを跨いでテトラのいる檻も破壊する。
「おろ?」と呟いて身を起こす虎男を促した。
「お前も来い。城を滅茶苦茶にかき回してやろうぜ」
キョウ城には今、降魔の生き残りが忍び込んでいるはずだ。
こちらが騒ぐことで、少しでも彼らの手助けになるといいのだが……
オーギュは、ちらりとグリフィルスを見る。
戦うのに夢中になりすぎて、こいつが上へ登ろうとしたりしなきゃいいんだが。
「馬ぁ、おいらも助けてくれるだか。ありがてぇこっちゃ」
喜んで背にまたがるテトラを、グリフィルスは「今度、馬って言ってみろ。お前だけ振り落として帰ってやる」と威嚇してから、じっと自分を見つめる友の視線にも気づいて促した。
「お前も乗れよ。一気に行く」
頭上で響く足音は、一つや二つではない。
早くも一人が階段を降りてきて「貴様ら!」と叫ぶ顔面へ蹄が襲いかかり、それ以上の言葉を発せないまま転がり落ちた。
ぼーっと見とれていたら、置き去りにされそうだ。
足元に落ちていた刀を手に取ると、オーギュもケンタウロスの背へ飛び乗って「駆け抜けろ!」と叫んだ。
「おうッ!」
元気の良い返事と共に、馬の脚力で階段を駆け上がる。
一階に集まった隊員の数は、ざっと見て十五人。
襲いかかる暇すら与えず、怒涛のタックルで侍を二、三人まとめて吹っ飛ばす。
馬男の背から飛び降りたオーギュは刀を引き抜いた。
一度も使ったことのない武器だが、これだけ刃面が光っているのだ、さぞ切れ味は良かろう。
「お、おいら手ぶらだぁよ!ど、どうすりゃ」と言いかけるテトラは勢いよく振り落とされて、尻もちをつく。
「あいたっ!」
「適当に武器を奪え!」と叫んでグリフィルスは人の群れへ突っ込んでゆく。
刃物を恐れない行動には見回り組も完全に振り回されており、闇雲に斬り掛かっては蹴りで跳ね飛ばされた。
この分なら、オーギュが刀で威嚇する必要もなさそうだ。
ちらっと上に登るルートを確認しておく。
ニ階とは、かなりの段差がある。上へ登るには垂直に立てかけられた梯子を登るしかない。
これなら大丈夫だ。グリフィルスが必要以上に登っていって忍者の邪魔をしたりすまい――
といったオーギュの予想を跳ね飛ばすかの如く、パカパカ蹄の音を響かせたケンタウロスが勢いよく廊下を走っていく。
誰の目にも、はっきり段差を目指しているのが丸わかりだ。
「まっ、待てぇ!グリフィ、上に行くんじゃない!外へ出るんだ!!」
泡食って止めたのはオーギュだけではない。
抜刀した侍も「行かせるかぁっ!」と刀で斬りかかり、馬の尻から流血させるも止められず。
助走をつけて大ジャンプからの二階着地を許してしまった。
「待てよ、俺達はどうすりゃいいんだ!?」との悲鳴に振り返り、グリフィが叫び返す。
「今のうちに逃げろ!俺は最上階まで行ってみるっ」
「駄目だろ、お前も一緒に来いって!」と、どれだけオーギュが止めても無駄だ。
友の目はまっすぐ次の段差へ向かっているし、早くもニ階にいた隊員にぐるり一周を囲まれてしまった。
オーギュは「くそぉっ!」と叫んで、刀を振り回しながら突進する。
「うお、危ねぇっ」「やめんかぁ!」と騒ぐ隊員たちの横を走り抜け、振り返りざまに斬りつけた。
飛び散る流血。腕を押さえて、隊員が刀を取り落とす。
「ぐ、おぉぉっ!き、貴様ぁ、抵抗するっちゃぁが」
――その間、テトラが何をしていたかというと。
さっさと踵を返して、外へ駆け出していったのであった。

グリフィルスとオーギュが脱獄するよりも前――
降魔忍は首尾良く最上階へと忍び込んでいた。
キョウの殿様は最上階に囚われの身となっていたのだ。
さすがに無傷とはいかず、着ている物はズタズタに裂かれ、露わになった上半身には無数の切り傷がつけられている。
刀で斬られた、拷問の跡だ。
両手を縄できつく縛られ、天井の梁から吊り下げられていた。
「おのれ、壬生め……!よくも殿を、このような目にッ」
頼智は瞼を閉じていた。
かろうじて胸が上下しているから、まだ生きているのだと判る。
くないで縄を斬ろうとした時、飛鳥を止める手が伸びた。同じく降魔の月影だ。
「何故止める……?」
「罠だ。縄を斬れば梁が落ちてくる……柱が全て倒れる。生き埋めになるぞ」
「馬鹿な、柱が倒れれば城とて無事には済まぬ。我らのみならず、配下までが生き埋めになるではないか!」
月影が見上げたので、飛鳥もつられて目線をあげた。
殿の両手を縛る縄は梁に一巻きした後、柱から柱へと複雑に張り巡らされている。
月影の言う通り、どれか一本でも切れば天井の崩壊は免れない。
飛鳥はチッと舌打ちした。
「小賢しい真似を……!だが、我らが気づかず斬るという可能性は考えていないのか?」
「城と一心同体の人質だ。手放すぐらいならば敵と道連れに殺し、城も土へと還す」
「馬鹿なッ。ここにいる多くの味方を道連れにしていいわけがない!」
憤りのあまり声が高くなる飛鳥を手で制し、月影は低く呟く。
彼とて焦りがないわけではない。
こうしている間にも時は流れ、いつ見張りが戻ってくるかも判らない。
「一国一城の殿だ、三下侍の命とは訳が違う。奴ならば、そう考えるはず……」
「……返す返すも、壬生め……それで、どうする?この罠」
「地道に縄をほどく他あるまい。時間はかかるが確実だ」
二人の忍びは頷きあうと、一人は音もなく柱をつたい天井へと回り縄を押さえる。
そして、もう一人は頼智の両手を縛り上げている縄をほどきにかかった。


オーギュと別れたシェスカは、キョウの路地裏に迷い込んでいた。
大通りは絶えず見回り組が歩き回っていたため、彼らを避けるうちに裏道へ入ってしまったのだ。
「くそ……このままじゃ情報収集すら出来ないぞ」
脳裏に壁の札剥がしでの無様な自分が蘇る。
降魔忍の役に立てなかったからこそ、情報戦で巻き返そうと思ったのに、それすらままならないとは。
足音が近づいてきて、シェスカは息を潜める。
そして、考えた。
こうも見張りが多いんじゃ、住民を探すどころではない。
だが、何も人に尋ねるだけが情報収集手段ではあるまい。
考えろ。自分にもできる……いや、自分にしか出来ない方法を。
己の身を包む布を一旦ほどき、プレートメイルを脱ぎ捨てた。
途端に人の形を保てなくなり、黒いアメーバのようなものが、ずるずると溝の中を這いずってゆく。
頭上では、小声で話す住民の声が聴こえた。
「なんだか騒がしくなかったか?」
「そうさなァ……また検問で無茶する馬鹿が現れたんと違うか」
「無茶するったってよ、どこの誰が無茶するってんだい」
「わがんねぇ」
――しばしの沈黙。
ややあって、訛りを残す男の声が想いを吐き出す。
「あれなぁ、竜魔様だったらえぇなって思うんやんな」
「竜魔様ぁ?けど、忍びさは城が落ちてバラッバラになりよったんやろ……」
「なんかよ、そろそろ戻ってきてくれる……ちゅう期待があったんやけど」
「無理やろ……殿様もどっか行きよったいうし」
最後は溜息で終わったが、キョウの住民は、今でも城仕えの忍びが戻ってきてくれると微かに期待しているようだ。
ずりずりと溝の中を移動しながら、シェスカは尚も周囲の声に耳を澄ます。
次に聴こえてきたのは、先ほどよりもクリアな声だった。
「医者だ!医者は早く、こいつらの傷の手当てを!」
大勢の足音が建物に駆け込んでいく。
傷の手当を魔法ではなく医者がする。
ということは、この国には神聖魔法の使い手がいないのか?
では、降魔を阻む札を作ったのは誰なのか。
そういった札を作る専門職がいるのか、或いは善神信徒とは別口で聖なる術を使える者がいるのかもしれない。
さらに溝の中を前進していくと、遥か頭上でギャーとかワーとかいう騒音が聴こえてくる。
そればかりか、凛とした一喝まで響いてきた。
「てめぇらごときのナマクラ剣で、俺を倒せると思うんじゃねぇ!!」
この声はケンタウロス族の気高き聖騎士、グリフィルスではないか。
町の外にいたはずなのに、いつの間にか中へ入っていたようだ。
駆けつけて助太刀してやりたい気持ちを抑えつつ、シェスカはずりずりと、その場を離れる。
喧騒が届かない場所まで戻ってきて、しばし思案する。
これからどうしよう。
降魔忍群の現在地が判らない上、オーギュやグリフィルスとの合流も出来ない。
ふと、頭上で「宿を取るに相応しい時間になったでござる」と誰かの呟きが聴こえた。
この辺りには宿屋があったのか。
シェスカは悩んだ後、結局はグリフィルスとの合流をせんが為、彼の声が聴こえた方角へと戻っていった。

黒いアメーバことシェスカは城の外壁をよじ登り、最上階へと辿り着く。
この姿で聖騎士と合流するのは躊躇いがあったのだが、いつまでも溝に潜んでいたって意味がない。
そろっと窓枠を乗り越えて、部屋内を見渡してみた。
至るところに袴姿の男たちが転がっている。例の羽織を着ているから、見回り組の連中であろう。
中央にはグリフィルスの他に、降魔忍者やオーギュもいる。
全員揃っているなら好都合だ。
もう一度あたりを見渡したシェスカは手頃な木箱へ潜り込むと、バキバキっと手足を突き出した。
音に気づいて皆が振り返る。
間一髪、どうにか人のナリを取って合流できた。
「え?シェスカ、お前いつの間に……ってか、何だぁ?その格好!」
オーギュに指をさされて驚かれてしまうのも無理はない。
今のシェスカの格好ときたら、木箱で大事な部分を隠しているような有り様だったのだから。
「こ、この格好は気にしないでくれ!それよりも、その人は」
シェスカの問いに飛鳥が頷く。
「あぁ、そうだ。我らが殿の昴 頼智だ」
紹介された殿様は、まだ若者と呼んでいい年齢だ。
全身傷だらけで拷問の跡が痛々しい。手首にも縄で縛られた跡がある。
いかにも敗戦の将らしい扱いだが、殺されなかった点だけにはシェスカも胸を撫で下ろす。
「我らは壁をつたい、窓より侵入した。下へ降りれば追っ手に捕まろう。よって帰りも壁をつたい逃げるつもりだ」
怪訝な表情で飛鳥を見やり、グリフィが問う。
「殿様を担いで、か?」
「そうだ。騎士殿には無理だろうが、我らにとっては造作もないこと」
壁を上り下りなど、ケンタウロスじゃなくても真似しようとは思わないだろう。
窓から下を覗き見て、オーギュは焦りを覚える。
壁の表面はデコボコしており、かなりの急斜面だ。
早めに撤退方法を提案しておかないと、自分も此処をつたって降りなきゃいけなくなる。
「また俺が囮になるしかないか……いいだろ、お前らが逃げる間の時間稼ぎをやってやる。これも騎士の務めだ」
なにやら決意した友人に「待った!」と叫んで、オーギュは帰り道を提案した。
「俺には無理だぞ、こんな処を降りるってなぁ。お前と一緒にいくってのが一番、俺の身の安全でもあるんだよ」
真剣な眼差しで訴える。
けして運動能力が鈍いわけではないが、あの傾斜を見た後だと恐怖心が先に立つ。
うっかり滑り落ちたら一巻の終わりだ。
「そ、そうか……判った。じゃあ、一緒に行くか」
友は気恥ずかしげに答えると、再び背中へ乗せてくれた。
「では下で落ち合おう。一階まで降りたら城の裏へ回れ」
飛鳥が殿を背負い、もう一人の忍びも手慣れた動きで壁を降りてゆく。
グリフィルスも身を翻し、二人へ号令をかけた。
「シェスカも乗れ!一気に駆け下るぞ」
「い、いいのか?私が乗っても」と躊躇する彼女を再度促した。
「いいのかっていいに決まっているだろ、何を遠慮しているんだ?いいから、さっさと乗れ!」
もたもたしていたら増援に囲まれる。
グリフィの焦りを感じ取り、シェスカはオーギュの後ろに跨った。
「す、すまない」
「いくぞ!」
帰りは行きより簡単だった。
パカンパカンと気持ちの良い音を立てて、軽快に段差を降りてゆく。
梯子がかかっているのだから、かなりの高さがあるというのに、ケンタウロスの動きに躊躇は一切ない。
「怪我一つ、負わなかったんだな……さすがだ」と呟くシェスカには「いや、怪我は癒せるんだよ、こいつ。聖騎士だからな」とオーギュが突っ込む。
「えっ?そうなのか」と今更ながらな驚きには、本人も「聖騎士は皆、善神ゼファー様のご加護を受けているんだ。回復なら任せてくれ」と、どこか自慢げに応えた。
シェスカは闇の眷属だから、神聖魔法をかけられたら回復どころか致命傷を負うだろう。
だが、それを言い出す前に「……お前には、かけられんが」と小さく呟いて、グリフィルスが雑談を終わらせた。
遠目に近づいてくるのは見回り組の羽織軍団だ。
囲まれる前にグリフィは城の裏手へ回り、降魔忍と合流する。
「すぐに逃げるぞ。林に身を隠そう。奥には里の入口がある」
一同は林を目指して走っていった。

キョウ城から少し離れた場所に、雑木林が広がる。
さらに奥へ進めば降魔の里があった。
グリフィルスたちは異郷の隠れ里へ案内され、腰を落ち着ける。
里には多くの流民がいた。
家も財産も無くしてしまった、城下町の住民だ。
飛鳥が入って来るや否や、忍びが一斉に駆け寄ってくる。
仲間に殿の介護を指示した後、飛鳥は改めて仕切りだす。
「キョウ城奪還は思った以上に厄介だ。援軍を阻む方法を考えよう」
「あぁ、俺も実際に戦ってみて判ったぜ。少数精鋭なんてぇんじゃ、どうにもならねぇってのがな」とオーギュも頷き、腕を組んだ。
「立ち話もなんだし、続きはお館様の屋敷で話さないかい?」と忍者に誘われて、一同は大きな屋敷へ足を運ぶ。
居間には手当を受けた殿様がいて、布団の上で養生していた。
「奥で寝かさなくていいのか?」と気遣うグリフィルスには、殿様本人が手で制する。
「ここでよい。それよりも城奪還に向けて、お主たちの意見を訊かせてほしい」
少し考え、オーギュは尋ねた。
「まず、どうして城は落ちたんだ?今まで残っていた点から考えても、実力は互角だったんだろ?」
「互角なわけあるか!我らの実力を侮るなッ」と怒鳴ってきたのは名も知らない忍びだが、飛鳥が制して頷いた。
「奴等の手口は卑怯だった……聖なる術で我らの動きを完全に封じた上で、攻撃を仕掛けてきたのだ」
降魔忍群は邪教信仰、ゆえに神聖属性を弱点とする。
降魔は闇に心を捧げ、身体に魔の力を降ろす。心身ともに闇に染まった人間の集まりだ。
「神聖魔法の使い手が参戦したのは、突入時だけじゃなかったのか……」
さも嫌そうに吐き捨てたのは言うまでもない、聖騎士であるグリフィルスだ。
そこへ「神聖魔法ではない」と断ってきたのは殿様だ。
「ジパンには古来より神道と呼ばれる宗派があってな。奴等は法術を唱える。法術も聖なる魔法の一つだ……この戦い、オオエドの大地神社が見回り組に味方しているのだ」
「大地神社?」と驚いたのはオーギュたちだけではない。
降魔忍群も驚愕しており、殿様へ詰め寄った。
「あの襲撃には大地 神太郎が関わっていたと申されるのですか!?では、オオエドはナゴヤと組んで」
「そうではない」と首を振り、頼智の澄んだ目が皆々を捉える。
「大地殿は単独で見回り組の味方についたと、これは隊員の言い分なのだが……しかしながらオオエドがナゴヤと同盟を結ぶとは、俺にも思えぬ。大地殿の単独行動、それは間違いあるまい」
身内だけで納得していて、グリフィルスたちは、すっかり蚊帳の外だ。
「おい、大地ってのは誰なんだ?」
オーギュが小声で飛鳥に尋ねると、すぐに答えが返ってきた。
「オオエドに神社を構える法術の使い手だ。かなりの高齢と聞いていたが、参戦してくるとは油断がならぬ」
「それで、この後はどう動けばいいんだ?待機しろってんなら、俺は別行動を取らせてもらう」
突然の宣言に、誰もが驚いて聖騎士を見た。
「待て!勝手な行動を取るな」と怒る忍びの憤りは尤もだが、グリフィルスもまた、進展しない状況に焦れていた。
奪還したいなら、同志を募って攻めればいい。
ここで時間を潰せば潰すほど城の守りも固くなり、攻め落とすのが容易ではなくなるだろう。
「ひとまず、そうだな、検問の様子を見てこよう!」
先走る友人を止めようと、オーギュまで妙な提案を出してきた。
「検問とは何処の?」とシェスカが問えば、彼は即座に「そりゃあ勿論、オオエド側のだよ」と答え、全員の顔を見渡した。
「その大地ってやつはオオエドの住民なんだろ?だったら住民に尋ねて、もっと詳しい情報を集めよう。ついでに同志も探せば言う事なしだ。手勢と情報、一挙両得だろ」
「オオエドで同志を?」と訝しげな忍び達には、重ねて言う。
「オオエドにだって義に駆られる奴ぐらい、いるんじゃないか?ここは武士の国だろうが」
まだ降魔忍は納得しかねる様子であったが、頼智がGOサインをだした。
「相分かった。刻は待ってくれぬ、迅速に動く必要があろう。すまないが、異国の民よ。検問の様子を探ってきてもらえるか」
「いえ、そう命じてくださる方が、こちらとしても動きやすくあります」と姿勢を正して、聖騎士が応える。
「私も行くよ」と忍びが一人、立ち上がった。
彼女は志摩と名乗り、箪笥から長槍と脇差し、小手を取り出す。
「手ぶらじゃ心細いだろ?この槍は騎士様、あんたが使うといい。そっちのヒゲ男、お前は脇差しだ。刀を振り回すよりは当て易かろうよ。武器を使うのは最終手段にしておきたいけどね」
「髭男って」とぼやき、改めてオーギュも名乗りをあげる。
「俺はオーギュってんだ、よろしくな。降魔でご一緒するのは、あんただけかい?」
「……俺もいこう」
オーギュを遥かに越える背丈の男が、すっと立ち上がる。
「飛鳥は此処に残りて、殿を守れ」とするのには、飛鳥本人が否定した。
「いや、私もいく。ここの守りは必要ない」
「どうしてだ?」と不思議がるシェスカには、短く答えた。
「この里の場所を知る者は降魔のみ。入口には結界もある。いかな法術師とて、我らの結界を破れはせぬ。その身に穢れを受ける覚悟でもない限り」
そんな穢れた結界が入口にかけられていたとは、全然気づかなかった。
ぶるんぶるんと不快げに尻尾を振るケンタウロスを、オーギュはそっと慰める。
「この戦いが終わったらさ、禊ぎを受けてこいよ」
「あぁ、そうする」と低く答え、さっさと出ていこうとするのへは志摩の「待ちなよ、先に私達が出て様子見する」と制止を受けて、ますます不機嫌になりながら降魔の里を出ていった。


-肆の陣へ続く-