Eastern Continent Expedition
アンタレス大地を後にした妖精同盟軍は、その船足で東大陸へ向かう。目的はマギ軍に占領されたと思わしき機械都市とジパンの解放にあった。
「この中で土地勘のある奴が一人もいないってのは厳しいね……」
甲板でポツリと呟いたアーリアの肩を抱き、デューンは根拠なく励ました。
「大丈夫、なにも東の民と交渉しようというんじゃない。俺達がなすべきはマギ軍の追放だぞ」
だが東の民から見れば、西の軍勢はマギ軍だろうと妖精軍だろうと区別つくまい。
アーリアの杞憂は、誤解からの要らぬ戦いが現地民との間で始まってしまうことにあった。
「魔族と戦う前に、現地の民を誤解させるんじゃないかと心配しているんだ」
「え?」
きょとんとする我が恋人に溜息を吐き出し、アーリアは更に深く突っ込む。
「赤だの緋だのカラフルな髪の毛の奴らが上陸するんだよ?赤だの青だのといったカラフルな肌の魔族との違いを、どうやって説明するんだい。現地の民にさ」
「なら、交渉は私達にお任せ下さい」
にこやかに割って入ったのはファインド騎士団所属の娘、ディーナだ。
「は?」
デューンとアーリアは、揃って目が点になる。
「きみ達が船旅を楽しんでいる間に、俺達は東の言語を大体マスターした」とはイワンの弁だが、そういった問題ではない。
こんな見るからに耳が尖っていて肌は透けるように白い、異種族丸出しのハイエルフが交渉に当たるだって?
エルフよりは同じ種族のロイス人で交渉したほうが、警戒心を抱かせずに済むのではないか。
東大陸へ到着するには、まだ時間がある。今からだって東の言語は習得できるはずだ。
そうは思うも、肝心の教本が手元にない。エルフは、どうやって東の言語を学んだのであろう。
ちらりとアーリアに視線で尋ねられて、ディーナが微笑む。
「空を飛ぶ、あの白い鳥。あの子に尋ねました。東の地で使われる言葉を」
「……は?」
再びポカンとなる二人を横目に、イワンが手近な机へ置いたのは皺くちゃになった紙だ。
よく見ると細長い紙にはズラズラと何事か書き連ねてあり、その全てがアーリアにも覚えのない文字だった。
「あの鳥が拾ってきた紙だ。東の言語で書かれている」
これをゼロから読み解いたというのか、エルフ達は。
しかも自信たっぷり言うからには、全員、会話ができるまでの理解に達しているのであろう。
だが、そうとするには一つ二つの疑問が沸いてくる。
「え、いや、なんで、これが東の言語だと断言できるんだ?」
「鳥にこっちの言葉が理解できるのかい?」
二人揃っての疑問へ頷き、ディーナが答えた。
「えぇ、私達エルフは小動物や草木とお話が出来ますのよ。それで鳥に頼みましたの、言語が判るものを取ってきてほしいと」
「……はぁ!?」
何でもないことのように微笑まれ、本日三回目の奇声をあげたデューンとアーリアの二人であった。
知らなかった。全くの初耳だ。
十年近く一緒にいるのに、そうした特技があると何故教えてくれなかったんだとデューンが詰め寄ると、イワンの答えは簡潔で「聞かれなかったから言わなかった。大した特技でもないしな」と返ってくる。
草木や小動物と意思疎通できない人間から見たら、とんでもない便利特技じゃないか。
「次からは何が出来るのか教えといてくれよ。何が何処で役に立つのかも判らないんだから、この戦いは」
ぷりぷり怒るデューンを見、イワンは少し考える仕草を取った後、ポツリと呟く。
「その様子だと、俺達があえて人語を話しているのにも気づいていなかったのか」
「あえて、人語?えっ、ちょ、ちょっと待ってくれ。もしかして君たちと会話ができていたのも」
慌てふためく様子を面白げに見やり、イワンがデューンの耳元で何事かを囁いた。
綺麗ながらも聴き慣れない音の組み合わせが耳の中を通り抜け、「え?は?」となる彼へイワンは悪戯っぽく微笑む。
「今のが俺達エルフ本来の言語だ。一般には精霊語と呼ばれている」
まさかエルフ達が、こちらに気を使って言語を併せてくれていたなんて。
土地だけではなく種族によっても言語が異なるというのを、今日始めて知ったデューンであった。
「ならハーピィがギャアギャア鳴いていたのも、もしかして」
「そうだ、あれは魔界語だ。ほとんどが殺せだの許さないだのといった、聞き取れなくとも問題のない罵倒ばかりだったが」
「あっ、それなら獣人にも本来の言語があったりするのか?」
次第に好奇心で瞳をキラキラ輝かせる友を手で制し、イワンが断る。
「ファインドの図書館には、一通りの言語辞典がある。大抵は子どものうちに学んでおくんだ。将来のために」
東の民の言語は図書館にも収録されていなかったが、西の民の言語と照らし合わせてみれば解読は難しくなかったと言われ、デューンは今一度、例の紙を眺めてみる。
……うーん、駄目だ。何度見ても奇妙な記号の羅列にしか見えない。
眉間に幾筋もの縦皺を寄せるデューンを見て、わずかに苦笑した後。
「読み解くにはコツがあるんだ。きみなら、すぐに会得できると思うぞ」
助け舟を出したイワンは、一応アーリアも部屋へ呼んでおく。
万一デューンに会得出来なかったとしても、アーリアなら出来るかもしれない。毎日本を読み解いていた彼女なら。
東大陸の南部は高い壁に阻まれて上陸できず、妖精同盟軍を乗せた船は北部へ到着する。
上陸と同時にマギ魔族連合砂漠部隊に奇襲されて劣勢を迎えるも、東の民による援護を受けて窮地を切り抜けた。
ディーナやアーリアによるカタコトの通訳を頼りに得たのは、魔族にジパンが占拠されて以降、反撃の狼煙をあげるべくニンジャと呼ばれる者たちが密かに牙を研いていたといった情報であった。
なにも妖精軍が解放へ向かわずとも、この地の住民には反旗を翻す戦力が充分あったのだ。
それでも東の民は感謝していると言う。
「我らに戦いのきっかけを与えたのが、そちらの上陸だった。一目見て、すぐに判った。奴らと敵対する組織だというのは」
「ワタシたち、魔族やっつけにきたヨォ。まかせる、ガッツね!ちから併せてガッツ、ガッツだヨォー」
ぐっと両手を握りしめて、にっこり笑ったディーナにつられるようにして、黒い衣類に身を包んだ東の民たちも目で微笑んだ。
「……本当に通じてるんでちゅか?あの通訳」
遠目に見守りながらアイルが首を傾げるのへは、正直に言うとデューンやロイス騎士の面々も同感だ。
言葉の意味は判らずとも、先程から同じ単語を繰り返しているだけのように聴こえる。
「向こうさんは、あたし達とマギ軍の見分けが最初からついていたらしいよ」
アーリアの通訳によると東の民は好意的な返事をしているようなので、通じているんだと思うしかない。
「そりゃあ海を挟んでドンパチやっていれば、バカでも敵対していると気づくだろうさ」
アーリアの横に立ったイワンが毒を吐く。
さっきから通訳は全部ディーナにお任せしていて、彼は一言も東の民と話していない。
さてはジパン語の全マスターとやらは大ボラだったのか?とデューンが疑いの視線を向けてみると、イワンも横目でデューンを一瞥してから肩をすくめた。
「交渉はディーナに一任しようと決まったんだ、ファインド騎士団の会議で。きみにも見せたかったぐらいの満場一致だったぞ。俺に任せたら余計なことを言うんじゃないかと危惧されたようだ」
まぁ確かに、こうやって味方相手に毒を吐いているようじゃ、交渉に失敗するんじゃないかと彼の部下が予想するのも尤もである。
アーリアは東の言語を聞き取れるけど、会話できるまでには達していない。
消去法で考えても、エルフの中で一番人当たりのよいディーナに通訳をやってもらうしかなかったのだ。
「――それにしても、だ。きみ達ロイス人は、もう少し学を積むべきだな。アーリア以外、語学全滅なんてのは恥の極みだぞ。特に、そこのバカ王子は成人しているんだろう?どうして文字の一つも書けないんだ」
面と向かってのバカ呼ばわりに「バカとは何でちゅか!」とブチキレるアイルを背に庇い、デューンが必死の言い訳を並べる。
「お、王子は、これまで勉学を必要としていなかっただけなんだ!一から学べば、そのうち覚えられるはずだ!?」
残念ながら必死の言い訳は一言も聞き届けてもらえず、イワンにはアイルもろとも侮蔑の眼差しを向けられるに終わった。
「いずれ王位を引き継ぐ者が、自国の文字すら書けないんだぞ?きみも騎士団を束ねる団長としての危機感を持て」
アイルの背後では部下たちが「……ま、仕方ないよな。ヒュプス様の言い分は全面的に正しい」なんて小声で納得しあっているしで、デューンの立場がこれっぽっちもない。
戦争の始まりでは十代の少年だった王子も今や二十歳を越えて、もうすぐ三十にも手が届く年齢に達した。
それなのに自国の文字が書けないんじゃ、博学のダークエルフから馬鹿と罵られても反論のしようがない。
戦争中とはいえ時間が全く取れないわけじゃないのに勉学をしなかったのは、王子がそういった意思表示を見せなかったせいだ。
教師をつけても頑として学ばない勉強嫌いだったのを、迂闊にも忘れていたデューンの大ポカだ。
「王子。今日から毎晩、言語の勉強をしましょう……俺の部屋で」
はぁと大きく溜息を漏らしての決意に、アイルはグリッと人差し指と中指の間に親指を差し込んで答える。
「ベッドの上でってんだったら、いつでも大歓迎でちゅ!」
子どもの頃と全く同じバカ発言を二十歳越えた今でも繰り出してきやがって、ここは王宮の中庭じゃないんだぞ、ほら、イワンだってポカンとしているじゃないかと頭を抱えるデューンの袖をアーリアが引っ張ってくる。
「何だ?」と促してやれば、彼女は真顔で東の民の言葉を伝えた。
「アイルは、あんたのお稚児さんなのかってさ。皆かわいいねって言っているよ、アイルのこと。ま、顔だけなら可愛いよね。頭の中身がカラッポでも顔がかわいきゃいいんだね、東の民ってのは」
「は?お稚児さんって何だ?」
言われた意味が判らずデューンが東の民を見やると、どの顔もニヤけてアイルをガン見しているではないか。
中にはモロに前かがみで股間を押さえている者までいて、頭痛が二倍激しくなってきたデューンであった……
東大陸へ上陸した妖精同盟軍は現地人の協力を得て、僅か四年でマギ連合軍を追い出すのに成功する。
そして砂漠部隊の捕虜を尋問して判ったのは、こちらが東を攻めている間にマギ軍がファルゾファーム海底に要塞を作ったという最悪の情報であった。
ファルゾファーム島は海底王国の支配下にあったはずだ。
海底王国の危機を救うべく、妖精同盟軍は海路を南西へ取る――

