ユニオンの本部とされるのも民間の家であった。
表札には『Kusanagi』と書かれており、実家兼アジトとは勇馬の弁だ。
「真琴くんの救助要請を受けてから、俺達は人海戦術でバルファの居場所を探したんだ。そして、バルファのリーダーに近づくには繋ぎのメンバーを探せばいいという事まで突き止めた」
リビングの机の上に置かれたのは世界地図だ。
東西南北に一つずつ都市が浮び、北はヨーロピア、東がアジニア、南はニアイースト、西がノビスビルクと書かれている。
トントンと指でヨーロピアを突き、勇馬は結論づけた。
「それとネットの情報を駆使して判ったんだが、彼らの本拠地はヨーロピアにあると見て間違いない」
「まァ、ニアイーストはクヴェラの総本山があるっつーし、アジニアはアスラーダのお膝元だろ?んでココ、ノビスビルクは、お前らが見張ってるってなったら、消去法でヨーロピアしか残んねぇわな」
伊原が肩を竦める隣では鬼島が尋ねた。
「バルファのリーダー……誰なんですか?」
松田が答える。
「名前だけは判っているんだ。わりかし向こうじゃ有名らしくてな。ゼフォン=シセル=クロフォード。ま、本名かどうかも判らないんだが」
「本名ってこたねーんじゃね?」と伊原が言う側から、深雪も口を挟む。
「フルネームが割れているのに、居場所は割り出せなかったんですか?」
「そうなんだ」と、腕組みをして勇馬は頷く。
「これだけ珍しい名前なのに、ヨーロピア全域の住民票を見ても載っていない」
「なら、決まりだ。偽名だな」
伊原の結論に「住民登録していない、そんな可能性も捨てきれませんよ」と突っ込んだのは嵯峨だ。
どういうことかと鬼島に問われた彼が言うには、アジニアの一般領には登録未届けの住民が何割か存在する。
毎年調査を行っているのだが、彼らの存在は雲を掴むようで、未だに何人いるのかを正確に割り出せていない。
「え〜?軍の監視下を逃れて住んでいる奴がいるってのかよ、スラム以外にも!」と叫んで、伊原は全員の注目を浴びる。
「ということはスラムの未登録民を伊原さんは、ご存知なんですね?今度教えていただけますか」
夕凪に興味津々突っ込まれて、「あー昔の記憶だけどな」と伊原は目を逸らした。
スラムのことはさておき、今の嵯峨の発言は鬼島にも深雪にも初耳だった。
まさか一般領に未登録民がいたなんて。
何処へ行っても表札のある家しか見たことがないから、住民は全て登録していると信じて疑っていなかった。
「へぇ……アジニアでも、そうなのか」
意外だとばかりに勇馬は驚いた顔を見せ、もう一度地図に目を落とす。
「だが、その可能性は俺達も考えた。だから、繋ぎを見つけようという結論に至ったんだ」
「アジニアでも?ノビスビルクにもいるのかよ、未登録民」と伊原に混ぜっ返されて頷く。
「ここは自由と正義の都市だからな。住民登録は市民の意思に一任しているんだ」
「え?でも、それじゃ」との深雪の疑念を受け継ぎ、松田も重々しく頷いた。
「あぁ、ほとんどが情報開示できない住民で溢れかえっている。それも自由だって言われたら、そうなんだが」
ノビスビルクの管理は限りなく緩い。
だとすると、バルファがいるのはヨーロピアだけとは限らないのではあるまいか。
「ときに……バルファの総メンバー数は確認できているのですか?」と尋ねたのは陸奥だ。
鬼島から桜城までアスラーダ軍一行の顔を眺めた後、陸奥へ向き直り、勇馬が答える。
「総メンバーは判らないが、繋ぎの数は判明している。全部で十名だ。そして今、俺達は十人と同時交渉できる手数を得た!」
「え……?」
しばしの沈黙が部屋に訪れて――
すぐに、抗議の声が嵯峨の口を飛び出た。
「ちょっと待ってください?もしや、あなたは我々まで頭数に捉えていませんか!?」
「そ、そんなの無理ですよ!」と夕凪も悲鳴をあげる。
「何が無理だっていうんだ?ちょっと遠出して交渉するだけの簡単なお仕事だぞ」
松田に問われ、二人がかりで拒否の意を示した。
「私達はASURAのサポートスタッフです!彼らと同行しなければ、ここまで来た意味もありません」
「それに我々は非戦闘員です!そちらの人海戦術とやらに巻き込まれるのは想定していません!」
「こっちだって、メンバーの大半は非戦闘員なんだがなぁ」
顎をさすって松田が背後へ目をやった。
「まっ、軍人さんは融通がきかないようだし、なら最初の手筈通りに動くとしますか。君も、それでいいかい?真琴くん」
つられて鬼島も松田の背後を見やると、いつの間にか巫女姿の真琴が佇んでおり。
部屋にいたんなら、自分の父親救出に関して何か言えばいいのにと思いながら、確認を取った。
「川口さんですね。お父さんがアルファルファという組織に誘拐されたのは事実なんですか?」
「はい……」と俯きがちに頷き、真琴が詳しい事情を話し始める。
アスラーダ軍に身柄を拘束されている間、真琴は父とは違う部屋で監禁されていた。
一方の託麻は連日尋問責めに遭い、心身共に消耗している処へ例の襲撃があって、成すすべもなく親子揃って拉致される。
両手両足を縛られて目隠しをされた上で連れてこられたのは、やたら肌寒い場所であった。
二人の視力が戻ったのは建物の内部で、他にも誘拐されてきたと思わしき人々が凍えながら部屋のあちこちに蹲っていた。
部屋の壁には、真っ赤な布地に黄色い文字でアルファルファと書かれた旗が飾られていた。
食事は一日二回、味のしない汁が出る。
このままでは遅かれ早かれ、餓死するんじゃないかと真琴は考えた。
扉は一日に一回だけ開き、真っ黒な軍服に身を包んだ男たちが、抵抗できない者を無理やり引っ立てて何処かへ連れてゆく。
連れて行かれた者は二度と戻ってこず、残った人々には殺されたんじゃないかと噂されていた。
そして、自分の番が来た時。
真琴は一瞬の隙をつき、男たちの腕を逃れて走り出した。
事前に父と約束したのだ。もし連れ出される日が来たら、どんな手を使っても脱走しろ、と。
体力も腕力もない上、ずっと閉じ込められていたから運動不足な自分が逃げたって、すぐに捕まると思っていた。
だが意外なことに追ってくる者は一人もおらず、真琴は道なき雪の上を走り通し、船着き場まで到着した。
ノビスビルクへ向かう漁船に潜り込み、あとは誰も見ていないタイミングで船を抜け出して、街をさまよっているうちにユニオンのメンバーに保護されたという次第だ。
「何故、真琴さんだけ逃したんでしょう」
陸奥が当然の疑問を口にし、松田も思案する素振りで答える。
「判りません。しかし、敵は川口親子だと判った上で拉致しています。川口さんと繋がりのある人間を探し出すだろうと期待して、わざと真琴くんに案内させようとしている……というふうに考えられませんか?」
「誰かって?」
よく考えもしないで混ざってくる伊原には、ちらりと目をやり、松田が首を振る。
「託麻さんは民間に下ってギアの研究を行っていた。だから、そっち方面の、世間に知られていない研究者を芋づる式に捕らえるつもりだったのかもしれないと考えているわけですよ」
「誘拐軍団アルファルファと、バルファの繋がりは何処で知ったんです?」と、これは深雪の疑問で、答えたのは真琴本人だ。
「捕らえられていた人から聞きました。アルファルファのリーダーは、バルファのリーダーに深い恨みがあるんだと……どのような恨みかまでは、判りませんでしたが……」
「リーダーだけに恨みを持つのでしたら、思想ではなく個人的なものでしょうね」と、陸奥。
「或いは思想の違いで決別した、そう考えられませんか?だとすると、アルファルファはバルファと対極な組織なのかもしれません」
桜城の推測を後押しするかのように、勇馬が断言する。
「見知らぬ人々を強引に拉致する行動といい、この組織からは並々ならぬ悪意を感じる……彼らが力を付ける前に川口さんを救出しつつ潰しておく必要があると考えました!もちろん、アスラーダの皆さんは全面協力してくれますよね?ここまで来たからには!」
部下の誰かが何かを言うよりも先に陸奥が頷いた。
「勿論です。こちらとしても情報未明のバルファや新勢力の調査ができるのですから、願ったりかなったりです」
「で?具体的には、繋ぎを探すのが最初の一歩ってわけ?」
伊原の問いに力強く頷き、勇馬が場を取り仕切る。
「繋ぎだと噂されている人物は全部で十人います。内六人は、ここノビスビルク在住だというのも判明済みです。まずは噂が本当かを確かめるためにも、この六人に当たってみましょう!」
「噂?噂レベルだったんですか!?」だの「十人のうち六人もがアウェーにいるって、全空振りになる可能性もあるんじゃ!?」といった動揺がアスラーダ勢の間で一斉にあがったものの、勇馬は全く気にせず持論を締めた。
「えぇ、全空振りも想定にあります。しかし、人々の噂を馬鹿には出来ませんよ。噂されるというのは、何かしら怪しまれるような素振りを見せていたってことですからね。では、さっそく六チームに分かれて行動開始といきましょう!」
机の上にばらまかれたのは、それぞれ繋ぎとされる人物の氏名と住所及び電話番号の書かれた紙だ。
ユニオン勢は勇馬と松田と真琴で分散、アスラーダはギア適合者とスタッフでコンビを組んでの交渉となった。
アルファルファの手先と思わしき者と遭遇するなどのアクシデントがあった場合は、速やかに退却する。
相手は非武装を唱える組織のメンバーだ。こちらがギアで武装している件は、絶対に隠し通さねばなるまい。
到着早々、忙しい日程に決まった。
「大変な流れになっちゃいましたね」と夕凪が振ってくるのへ頷きながら、嵯峨が陸奥へ振る。
「我々は、どういったコンビで組むんですか?陸奥准士は待機するんですよね」
「そうだな……」
ちらりと夕凪を一瞥した後、陸奥は慎重案を唱えた。
「君と鬼島一士、桜城曹士と伊原一士、夕凪曹士と三森一士が一番ベストではないかと思うんだが、君の意見を聞きたい」
「いいですね!それでいいと思います」
ぱぁっと顔を輝かせたりして、伊原と夕凪が一緒ではないのが、そこまで嬉しいのか。
分かり易い男である。陸奥は思わず苦笑した。
こちらとしては夕凪と伊原を離した訳ではなく、深雪と夕凪は歳も近いし女性同士だから上手くやれると踏んだまでだ。
どこかチャラけてやる気の見えない伊原も、真面目な桜城で抑えておけば大丈夫だろう。
鬼島は適合者の中で一番の新人と聞いている。冷静な嵯峨なら、彼の精神面もサポートできるはずだ。
そこへ「ちょぉっと待ったぁ!」と手で制してきたのは、桜城だ。
「あの男と、か弱い女性である私を組ませるのは断固拒否させていただきたく!」
「あの男?」「か弱い女性って、誰がですか?」
陸奥と嵯峨が同時にハモり、眉間に皺をよせた桜城がコンビ構成に異議を申し立てた。
「コンビを組むというのは、寝食をともにするってことでしょう?か弱い女性をナンパ野郎と組ませるなんてのは、とても正気と言えません!嵯峨曹士が伊原一士と組むのが自然かと思いますが!?」
「あー……いや、鬼島一士も男性なんだが、そこは文句ないのか?」
陸奥の反論に「違います、あの男が男性だから嫌だと申しているのではありません」と桜城は真顔で返す。
「あの男は女性に見境なく手を出す輩だからこそ、危険視しているのです!」
スタッフの相談は当然、同じ部屋にいるギア適合者にも筒抜けで、深雪が伊原へ意地悪く言った。
「すっかり警戒されていますね、ナンパ男さん」
「ケッ。俺だって誰彼構わずじゃね〜っての。あんなオバハン、こっちが願い下げだってのよ」
小声で愚痴ったんならともかくも、意外や大声での反撃には鬼島も慌てさせられる。
「お、オバハンって!失礼だぞ、伊原!」
「聴きましたか!?あの女性蔑視発言を!」と桜城も声を張り上げて、陸奥に詰め寄った。
「あの男は女性の敵です!断固、女性を近づけてはなりません!私は勿論、夕凪曹士も危険ですッ」
「わ、わかった。君の意見を尊重しよう。そういうことでいいかな、嵯峨曹士も」
鼻息の荒さに気圧された陸奥と額に青筋を浮かべた桜城、双方の顔を見比べた上で、嵯峨も渋々といった体で頷く。
「了解です。なんとなく、こうなるんじゃないかといった予想もつきましたし」
渋々ではあるが、伊原のバディが夕凪じゃなければ許容範囲なのだろう。
嵯峨はキリッと真面目な表情を作って、伊原に一礼する。
「そういうことですので、自分があなたのサポートにつきます。よろしくお願いします」
「おー、ギアのメンテよろしくな」と伊原も手をひらひら振って、不真面目な返事で終わらせた。
「へへー。三森一士、私とは歳チカですよね?」
ちょこんと深雪の隣に陣取ってきたのは、夕凪だ。
「三森さんとお呼びしていいですか?それとも深雪さん?いっそミユキンって呼んじゃっていい?」
急激な距離ゼロには深雪も面食らったものの、無邪気に笑う夕凪からは悪意を感じない。
裏表のなさそうな、可愛らしい女性だ。伊原が手を出したのにも納得である。
「ミユキンは、ちょっと……三森で、お願いします」
「りょーかいです!三森さんは私のこと、夕凪さんでもユウちんでもコハちゃんでもいいですからネ」
「あ、じゃあ、夕凪さんで」
和気藹々な会話を横目に、鬼島の前で桜城がビシッと踵を併せて敬礼した。
「明日からの交渉作戦にて、あなたと同行致します。必ずや任務を完遂しましょう!」
「あ、はい」
桜城は真顔だ。ニコリとも笑わない。
それでいて本人曰く、か弱い女性だそうだから、こちらが極力気を遣ってあげなければいけない。
てっきり陸奥が同行してくれると思っていたので、鬼島は緊張する。
二人の間に流れる重くるしい空気を見て、陸奥も思案した。
冷静が真面目に変わっても大丈夫かと考えたが、挨拶でこの緊張感じゃ、あまり打ち解けられそうにない。
それに自称か弱い女性の主張を鑑みるに、女性と男性で組ませるのは確かに彼女の言う通り、間違いの起きる可能性が捨てきれない。
鬼島の第一印象は真面目な青年だが、反面、押しに弱そうにも見える。
桜城が純情な鬼島と寝食を共にした結果、色恋にトチ狂わない可能性は、けしてゼロではないのだ。
「……ふむ。そうだな、桜城曹士は待機で私が鬼島一士と同行しよう」
「え!?」と夕凪や嵯峨が驚愕する中、「私では鬼島一士をサポートしきれないと判断されたのですか!?心外ですッ!」と桜城も声を荒げてきたが、陸奥は首を真横に否定した。
「いや、鬼島一士は同性のほうが気楽なのではないかと考えたまでだ。そうじゃないですか?」
後半は自分に尋ねたんだと判り、鬼島は何度も頷く。
「は、はい!できましたら、その、俺も陸奥さんが来てくれたほうが……」
だが桜城の眉間に濃い皺を見留たのか次第に声は萎縮していき、まんざら推測はハズレじゃないと陸奥にも伝わる。
「では、決まりですね。桜城曹士には全体の連絡係を命じる。ユニオンの諸君らと仲良くやってくれ」
ギリィッと音が聞こえてきそうなほど歯を噛みしめた桜城が、ややあって返事を絞り出した。
「……ッ、了解いたしましたッ。ここに待機して連絡係に務めますッ!ではユニオン諸氏と具体的な仕事について相談してきますので、失礼します!!」
桜城はカツカツカツと勢いよく歩いていき、激しい音を立ててドアが閉まるのを最後として、嵐は過ぎ去った。
「やー大変だねぇ、あんたんとこも。我の強い奴ばっかでさ」
ポンポン伊原に肩を叩かれて、陸奥は苦笑で返す。
「いえ、こうしたやり取りは他部署でも日常茶飯事ですよ」
本を正せば伊原が此方の部下に手を出したのが争いの原因だろうに、いとも気安く言ってくれる。
伊原の相手は誰がやっても胃に穴が飽きそうだ。
夕凪を挟んで私怨を抱いている嵯峨を当てるのも正直な処、不安でしかないのだが、同性同士のよしみで乗り越えてもらうしかない。
夕凪と深雪は心配しなくていいだろう。あの様子なら、いいコンビになりそうだ。
残る鬼島は自分が手綱をとれば問題ない。命令には従順な若者だと、獅子塚が太鼓判を押していた。
「――では改めて宜しくお願いします、鬼島一士」
「は、はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
差し出された手を取り握手を交わすと、鬼島はペコリと素直に頭を下げた。
-つづく-
