そして、ゆきが

しんしんと。
そう形容してもいいほど、雪は静かに降りつもる。
明日の朝は路面が凍って滑りやすくなるかもしれない。
だが、男はそこまで考えて気がついた。
明日の朝を考える必要など、自分にはないことに。

真っ暗な時間だというのに、雪のおかげで路面は明るい。
薄暗い中、青く輝く雪の上を男が歩いていく。
――彼はもう目が覚めただろうか。
不意にそんな思いが浮かび、足を止める。
狭いアパートの一室で、男は別の男と同居していた。
横に自分がいないことに気がついただろうか。
いや、彼のことだ。
気がついても捜さないに違いない。
それに……
男は軽くかぶりを振り、そしてまた進み始める。
死に繋がる道を。

道久。
彼とは五年のつきあいだっただろうか。
アパートの家賃は、二人で出し合った。
裏手に溝川が流れているという悪環境ではあったが、道久と男が仕事をするにあたり大変便利な場所に建っていた。
文京区。
デザイナーの道久とカメラマンの彼にとって、この街は、なくてはならない街だった。
そう。
夢を追いかけて上京してきた彼らにとっては。
お互い一流になろう。
君はデザイナーとして、俺はフリーのカメラマンとして。
そう励まし合って、多少高いが無理して借りたアパートだ。
だが、今そこに彼の居場所はない。
二人で同居していたアパートには今、別の女がいる。
道久の彼女だ。
あの女が来てから全ては終わったように思う。
道久は変わってしまった。
そして、自分も。


考えるのはやめよう。
再び止まってしまった足を重たげに前へと進める。
今日というこの日ほど、歩くのが億劫に感じられた時はない。
それでも男は歩き続ける。
立ち止まることは許されないのだ。
今頃、あのアパートで目が覚めた道久は異変に気づいているだろう。
いくら鈍感な彼といえど、あれで気づかないはずはない。
彼は起きたら必ずシャワーを浴びるクセがある。
浴槽に入れば気がつくはずだ。
いつもとは違う匂いが浴槽に蔓延しているということに。
もしかしたら、それでも寝ぼけて足を踏み入れてしまうかもしれない。
だが足の裏にぬるりと張りつく赤い液体を見れば、目も覚めるに違いない。
そして彼の口からは叫びが漏れるだろう。
普段聞いたこともないような、深い悲しみを帯びた叫び声が。

道の終わりに到着した。
もう思い残すことはない。
今は悲しみが覆い尽くしたとしても、時が経てば彼も忘れるだろう。
あの女のことなど忘れ、一流を目指して駆け上がるのだ。
彼が一流のデザイナーになってくれれば、こちらとしても本望だ。
男は再び歩き出す。
そこから先は道がなかった。
暗い、深い穴が、口を広げて男の落下を待ち受けていた。


しんしんと雪が降りつもる。
男がアパートからつけてきた足跡すらも、かき消して。



-おしまい-