Un-known

14話

ぺたんと床に座り込んだカルキが、うつろな瞳で呟く。
「そんな……嘘よ、調味料が特定の誰か一人を好きになるなんてありえない。だって、そんな知能植えつけていないんだもの。嘘よ、こんなの嘘」
呟くうちに、だんだんと瞳には強い光が戻ってきて、彼女はキッと睨みつける。
誰をって、しゅういちをだ。
ソルトが、失敗作がおかしくなったのは、こいつが何かしたに決まっている。
「あなた!一体、私達の商品に何してくれたの!?」
カルキにキーキー怒鳴られたって、しゅういちにも判るわけがない。
いや、それに答えるどころではなかった。
いきなりキスされたのには驚いたが、もっと驚いたのは口の中に広がる味だ。
蜂蜜を水に溶かして口当たりまろやかにしたような甘味であった。
人間の唾液が、このような味であるはずもない。
――つまりカルキの言っていることは、全部本当だったのだ!
ソルトがカルキの世界で生み出された、人型調味料だというのが。
心の奥では彼女の言葉を疑っていたしゅういちは、愕然とする。
はじめて好きになった相手は亜種族でも人間でもなく、生き物でもなかった。
人の手で作られた永久機関の調味料、しかもカルキの弁で言えば失敗作であった。
「ちょっと!聞いているの!?」
カルキの金切り声が、どこか遠くに聞こえる。
呆然と見おろしてくるしゅういちに、ソルトが尋ねた。
「しゅういち、俺はしゅういちが大好きだ。しゅういちは、どうなんだ?俺を好きなのか、嫌いなのか……それとも、人間でも亜種族でもないやつなんて好きになれないか……?」
瞳が悲しみに彩られているような気がして、しゅういちはハッとなる。
そうだ。
俺はソルトが人間だから、好きになったんじゃない。
しゅういちの瞳にも活力が戻り、彼は力強く頷いた。
「ソルト。俺も、君が好きだ。君が何者であろうと、関係ない。俺は"君"という一人の個体、その人柄を好きになったんだ」
「なっ」と叫んだのはソルトではない。座り込んでいたカルキだ。
「そいつは調味料なのよ?生き物ですらない!」
殊更大きな声で、しゅういちが遮った。
「そんなの関係ないと言っただろう!」
「かっ、関係ない、ですって!?けど、あなたがどんなに愛したって、そいつは子を成すことも出来ないし使用期限が過ぎたら動かなくなっちゃうのよ!それでも、あなたは」
カルキのほうを見もせずに、しゅういちは朗々と語る。
「そんなのは関係ない。ソルトが今、一緒にいてくれる――それが一番大事なんだ。子供もいらないし、たとえソルトが先に寿命を終えたとしても、俺は後悔しない!」
言い切った後にソルトへ向けたのは、穏やかな表情であった。
「ソルト、俺も君が大好きだ。君を船に誘った時から君が好きだったんだ。君がよければ、これからも俺の側にいてほしい」
「しゅういち……!」
たちまちソルトの両目は喜びの涙に溢れ、ぎゅぅっとしゅういちにしがみつく。
しゅういちもまた、ソルトを優しく抱きしめた。
「しゅういち、約束だぞ。ずっと一緒にいるって」
「あぁ」
といった、仲むつまじい様子を目の当たりにして。
「い……」
一瞬の絶句を置いて、カルキの口からは絶叫が飛び出した。
イヤァァァーーーーッ!調味料に真顔で愛を語るとか、信じらんない!気持ち悪い!変態、変態ッ!おまけに失敗作まで特定個人に愛を語っているし、何なのッこの世界!変態と野蛮人しかいないとか、もう耐えられない、やってらんない!おうち帰るーッ!」
しゅういちが呼び止める暇も与えず、ベソをかいた彼女の姿は掻き消えてしまった。
「え、ちょっ」
周囲を見渡しても、カルキの姿は、もう何処にも見あたらない。
かわりに頭上からは、別の甲高い声が降り注いできた。
「やっと帰ったの、よかった。あいつを追い返してくれて、ありがとう」
しまった。
カルキに気を取られている間に、もう一つの赤い点が、ここまで接近していたとは。
しゅういちが慌てて頭上へ目をやると、崩れかけた石段に一人の少女が腰掛けている。
薄い青色の髪の毛に、細い手足。
上は簡素なジャケットを羽織い、下はショートパンツと軽装だ。
吊り気味の瞳が、ソルトとしゅういちの二人を見下ろしている。
海賊の類には見えないが、今いる場所は華奢な少女が一人で来るにも適さない。
「せっかく自由になれたんだもん。あんな世界へ戻るのは、こりごり」
「君は、誰だ?」
穏やかに問いかけてきたしゅういちへ好奇の目を向け、少女が素直に名乗りを上げる。
「私?私はソルト。本来、ソルトってのは私みたいなのを指すの。そっちのソルトはシュガーに変異した失敗作だから、姿もシュガーになっちゃったの」
人工調味料のソルト、成功作は少女の姿をしていたようだ。
シュガーが少年型だとすると、残りのペッパーは、どんな姿なのだろうか。
「先ほどの女性は、サンミと失敗作――ここにいるソルトが奪われたと言っていた。君が、サンミのうちの一人なのか?」
しゅういちの質問へ、少女がコクリと頷く。
「えぇ。けど、一緒にきたシュガーとペッパーは死んじゃった」
なんでもないことのように、あっさりと衝撃的な告白をされて、ソルトとしゅういちはポカンとなる。
「シュガーは酷使されすぎて、賞味期限が来るより前に死んじゃった。ホントは永久に使えるはずなんだけど、二十四時間排出してたんじゃ補充する暇もないよね。ペッパーは、この世界の住民のおくちには、合わなかったみたい。まずい!って言われてバキッと殴られて、それっきり。使う間もなく死んじゃった」
どこの誰が召喚したのか、恐らくは商人だろうが酷い真似をするものだ。
呼び出したからには大事にするか、可愛がってやればいいものを。
憂いの眼差しで、しゅういちが尋ねた。
「君は、どうして無事だったんだ?」
「私?私は捨てられたの。塩水みたいにしょっぱいから、いらないって言われて」
バキッと殴られることなく、不幸から逃れられたようだ。
彼女だけでも生き残ったのは幸いだが、元の世界に帰りたくないのは何故だろう。
しゅういちがそれを問い質すと、意外な答えが返ってきた。
「この世界って不思議。人間と、そうじゃないのが一緒に暮らしている。そればかりか、そうじゃないのを排除しようともしない。素敵な世界だと思った。だから、もう少し、ここにいたいの。ここでなら、調味料じゃない生き方が出来るかも」
「塩水みたいにしょっぱいって言われても?」と尋ねたのは、ソルトだ。
少女は頷き、微笑んだ。
「舐めさせなければ、私が調味料だとは気づかれない。そうでしょ?」
そうだ。
キスしなければ、しゅういちにだってソルトが調味料だとは判らなかった。
今こうして眺めてみても、少女やソルトが幻の調味料だとは到底思えない。
街で遊んでいる人間の子供と大差ない姿形だ。
「私達の中ではね、シュガーが一番人気作なの。ほら、私、匂わないでしょ?」
石段から飛び降りてきた少女に、ぴとっと体をすり寄せられて、しゅういちはガラにもなく、たじろいだ。
真横ではソルトがムッとしているし、居心地が悪いったらない。
少女はソルトの嫉妬も、しゅういちの動揺も何処吹く風で、すぐに身を離す。
「けどシュガーは近くに寄っただけでも、ぷんぷん匂うの。そこの失敗作みたいに、甘い香りが。だからみんな、シュガーが好きになる」
「俺、匂わないぞ!」
間髪入れずに怒鳴るソルトをチラリと睨みつけ、少女は肩をすくめる。
「匂いはね、私達自身には感じられないように作られているの。そこのあなたに聞いてみましょうか。この子、すごく匂ったでしょ?」
「すごくってほどじゃないけど」
一応はソルトに気を遣いながら、しゅういちが答える。
「近寄ると、不思議な香りがするのには気づいていたよ。俺の鼻がおかしくなったのかとも思っていたけど、本当に匂っていたのか……」
大好きなしゅういちにも断言され、ガーンとショックを受けるソルトを横目に少女は、じっとしゅういちを見上げて、にっこり笑う。
「ここも身を隠すのに適さない場所になっちゃった。海賊が、いっぱい押し寄せてきたみたいだし。きっと誰かが情報を流したのね。あいつを外へ燻り出すために」
あいつとは、カルキのことか。
何故カルキを燻り出す必要があるのか。
少し考え、しゅういちは結論に至る。
彼女は異世界人だ。生きたサンプルで、異世界の情報にも詳しい。
情報を拡散したのは彼女を捕まえたがっている商人か、或いは噂を聞きつけた海賊の仕業であろう。
「これから、どうするんだ?」と尋ねるしゅういちに、少女も質問で返す。
「あなたの船に乗せてもらえない?」
ここに残っていても、いずれは野蛮な海賊に捕まってしまう。
乱暴に消耗させられるぐらいだったら、自分の船で保護してやったほうがいい。
協力してあげられなかったカルキへの贖罪にもなるだろうと、しゅういちは考えをまとめる。
「それはいいけど、君のことは何と呼べば」
「そうね」と再びソルトをチラ見して、少女が微笑む。
「ソルトが二人じゃ紛らわしいから、私はシュガーと名乗ることにする」
ソルトは甘くて、シュガーがしょっぱい。
本来の言葉の意味とは逆転しているが、情報を攪乱させるにはアリかもしれない。
「よし、それじゃ」
「戻ろう、俺達の船に!」
元気よくソルトが号令をかけて、しゅういちが彼の手を握る。
すると反対側にまわったシュガーも、しゅういちの手を握ってきた。
「いきましょ、しゅういち。私達の船に!」
「こら、しゅういちにベタベタするな!しゅういちは、俺のだぞ」
反対側のソルトが怒れば、ますますシュガーは調子に乗って、しゅういちに体をすり寄せる。
「しゅういちの船に乗った人は、全員しゅういちの子分なんでしょ。だったらソルト一人のしゅういちじゃなくて、私のしゅういちでもあるよね?」
「え、えーと」
困惑する本人など、そっちのけで、ソルトとシュガーの二人はぎゃんぎゃん言い合う。
と言っても騒いでいるのはソルトだけで、シュガーは余裕綽々だ。
「違う!しゅういちが好きなのは俺なんだから、俺のしゅういちだ!」
「恋人はソルト一人だとしても、船長のしゅういちは皆のしゅういちでいいじゃない。ねっ?しゅういち♪」
「お前が気安く、しゅういちって呼ぶな!マスターって呼べ!」
二人に両手を握られながら、しゅういちは遺跡を後にしたのであった……


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