11.喧嘩するのは仲良しの証っていうけれど

待ちに待った臨海学校が始まった。
クラスごとに部屋を分けるのかと思いきや、学級フリーという大胆な部屋分けが許されて、僕と小野山くんは同じ部屋になれたんだけど……
初日の夕食で、さっそくのアクシデント発生だ。
坂下さんが大声で飛び出していったかと思えば、次は小野山くんが無言の退場で、僕は彼につきそって部屋へ戻る。
頬には涙が光っていたし、座学の途中で立ち上がるなんて、どう見たって只事じゃない。
小野山くんは敷かれた布団の上に座り込み、先ほどから嗚咽を漏らして身じろぎ一つしない。
彼の背中を優しく撫でながら、僕は、そっと尋ねた。
「……どうしたの?誰かに嫌なことでも言われたの?」
小野山くんの震える唇から、ようやく言葉らしきものが漏れてきた。
「……っ、とも……っだち、に……」
「え?」
「……きら、われ……たら……っ」
嗚咽に混じってポツポツ紡ぎ出された言葉を繋ぎ合わせると、こうだ。

最近、桜丘さんが小野山くんと友達になった。
で、桜丘さんは世間一般で見ると美少女に当てはまるらしいんだ。
それで……坂下さんがキレちゃって?一方的に嫌われた?とか?
とにかく、いきなり怒られて、でも小野山くんには全然理由が思い当たらない。
けど嫌われたと思った途端、涙が止まらなくなったので、こうして部屋に戻ってきたという次第だ。
友達になったのは桜丘さんよりも坂下さんのほうが先だったから、もしかしたら嫉妬しているんじゃないかな。
自分よりも桜丘さんのほうが、小野山くんと仲良しに見えて。うん、もちろん坂下さん視点での仮説だけど。
僕から見た場合、桜丘さんよりも坂下さんのほうが断然、小野山くんとの距離が近い。
下手したら後藤くんや木村さんよりも、十年来の親友の如し距離感だ。
馬が合うのか、或いは凸凹コンビとでもいうのかな。おとなしい小野山くんと、騒がしい坂下さんで。

で、結局さっきの夕飯時に何があったのかっていうと。
手の怪我や今日の様子を心配する小野山くんに対して、坂下さんが「イチイチうぜぇんだよ、お前は俺のおっかさんか!?それにな、俺なんかに構うほど暇じゃねーだろ、お前はッ。美少女とイチャイチャラブラブハイスクールライフを送ってるくせによ!」って吐き捨てたんだって。
心配しただけで邪険にされて、見当違い甚だしい罵倒を浴びせられたんじゃ、そりゃあ泣きたくもなるよねぇ……
でも、それだけじゃない。「俺は、お前なんか必要としてねーよ!」というようなことまで言われたらしくて。
酷いよね。せっかくの臨海学校なのに泳げなくてイライラするのは判るけどさ。だからって小野山くんに当たるのは筋違いだよ。
今日は気が立っているだろうから明日にでも、彼女をとっ捕まえて謝らせなきゃ駄目だ。
小野山くんにしても、ずっと部屋でウジウジしていたんじゃ、気が晴れないよね。
ちょっと早いけど、お風呂に行っちゃおうか。実をいうと、皆と一緒に行くのは気が引けていたんだよね……
二人っきりなら大丈夫。小野山くんなら、僕のアレを見ても黙っていてくれる確信があった。
僕のアレ……そう、僕にも悩みはあるんだ。人に言えないレベルの。
「小野山くん、お風呂に入って気分を変えよう。泣いてばかりじゃ、どんどん悪い方向に考えがいっちゃうよ」
無言でコクリと頷いた彼を支えて、立ち上がらせる。
まだ涙が止まらないみたいだったけど、急いでお風呂に入っちゃおうと思って廊下に出たんだ。
「――あっ」
直後、ばったり坂下さんと出会う。
なんで、ここにいるんだ?
だが何かを尋ねる暇もなく、僕の手を振り切って小野山くんが身を翻すもんだから驚いた。
「お、小野山くん!?」
「小野山っ!」と叫んだのは坂下さんもだ。
逃げる小野山くんを走って追いかけながら、僕は真横を走る坂下さんに尋ねた。
「さ、坂下さんっ、どうしてここに?」
「さっき、あいつに言い過ぎちまってよ、謝りにきたんだっ!」
言い過ぎた罪悪感はあったんだ、彼女にも。有耶無耶にしないで謝りに来るのは偉いなぁ。
足は僕より坂下さんのほうが速い。だが、それにも増して小野山くんの足の速いこと。
廊下を疾走して階段を駆け登り、登って登って、一体何階まで登るつもりなんだ!
次第に僕の足はもつれ、あぁ、運動不足かな……いや、午前中に沢山泳いだせいだ、きっと。
本音を言うと、今日はお風呂に入って、さっさと寝たかったんだ。それでも彼を放っておくなんて出来ない。
ゼーハー息を切らせて、坂下さんの背中を追いかけた。
途中でエレベーターが僕の脳裏に浮かんだけれど、行き過ぎても困るし、見失うのは、もっと困る。
やがて前方でバアァン!と大きな音、これは多分、屋上へ出る扉を小野山くんが開けた音に違いない。
僕らは三階からスタートした追いかけっこで、とうとう屋上まで到着してしまったんだ。
屋上の扉に鍵がかかっていなかったのにも驚愕だ。誰か、うちの学校の先生が開けておいたんだろうか?
泣きながら屋上に出るなんて、猛烈に嫌な予感がする。
「お、小野山ぁっ!」と聴こえてくる悲痛な叫び、これは坂下さんじゃないか。
最後の階段を駆け昇る僕の後ろをバタバタ走って追いかけてきたのは二組の担任、山倉先生だ。
「おい、お前!廊下を走っちゃ駄目だろうがっ。それと、小野山は何処だ!?」
いきなりの質問で、僕は咄嗟に答えが出てこない。
どうして先生が、僕らの走っていた理由を知っているんだ?
先生はポカンとする僕の肩を掴んで、怒鳴りつけてくる。
「電話があったんだ、小野山が逃げたってな!それで、お前らは追いかけていたんだろ!?」
坂下さん――なのか?先生に電話したのって。追いかけっこの間に?
そんな機転、僕は全然回らなかった。思いつきもしなかった。
「おく、屋上、に」とだけ言うのが精一杯、僕を放りだした山倉先生が屋上へ飛び出していった。
少し遅れて屋上へ出た僕が見たものは、手すりに足をかけて半分身を乗り出した小野山くんと、その手前に立つ坂下さんだった。
山倉先生は坂下さんの背後に立って、必死の形相で呼びかけていた。
「小野山!やめるんだ、こんな高さから飛び降りたら痛いぞ!?」
もうちょっと気の利いたことを言えばいいのに、先生なんだから。
とは言え、僕も、うまい言葉が思いつかない。
飛び降り自殺の現場なんて初めて出くわしたんだ。何を言えば止められるっていうんだ?
「小野山ァ!俺が悪かった、だから死なないでくれェ!!」
坂下さんも絶叫している。彼女が涙ぐんでいるのは、絶対に僕の見間違いじゃない。
けれど小野山くんは先生も坂下さんも見ずに、手すりの向こうを見下ろした格好で小さく呟いた。
「坂下は、俺を必要としていないんだろ」
「だ、だから、それは言い過ぎたって!悪ィ、このとおりだ!思いとどまってくれェ、小野山!」
屋上の床に手をついて土下座する坂下さんを、なおも見ようとせずに小野山くんはボソボソと呟く。
「誰の役にも立てない俺なんか、生きていたって意味がない」
…………。
いやいや、ちょっと待って?
今日の喧嘩が原因で、坂下さんに見捨てられたと思っているのか?小野山くんは。
たった一回、八つ当たりされただけで?
あんな罵倒程度で逐一絶望して死んでいたら、あと何百回死ぬ羽目になるの?
そもそもの八つ当たり、美少女とイチャイチャしているっていう難癖も、百パー坂下さんの思い込みでしょ?
僕が覚えている限りじゃ小野山くんが女子とイチャイチャラブシーンを繰り広げた日は、一日たりとてなかったはず。
妄想なら妄想だと言い返せばいいし、それでも坂下さんが信じてくれなかったら絶交もアリだろう。
友達は坂下さんだけじゃない。林くんや僕だって、君の友達だぞ。
なのに、坂下さんに邪険にされた程度で自分を役立たずだと決めつけちゃうって、それもどうなんだ。
「――君は、役立たずなんかじゃない!」
僕は、自分でも意識しないうちに大声で叫んでいた。
「君の価値を決めるのは君じゃないよ、小野山くん!周りの人間が、どう受け止めるかだ!」
坂下さんや先生にもポカンとした顔で見つめられながら、僕は最後まで言いきった。
「僕は、僕らは必要としているんだ、君を!だから、君は断じて役立たずなんかじゃない!!」
言い終えた、そのタイミングを見計らったかのように背後からはワァーッと歓声が上がり、僕は慌てて振り返る。
いつの間にか大勢の生徒が屋上に出てきていて、僕らの追いかけっこは意外や多くの人目に触れていたようだ。
「小野山くん、なにがあったのかサッパリわかんないけど、死んじゃ駄目だよ!」
「小野山ー!ヤなことがあったんだったら風呂入って、さっぱりしちまおうぜ!」
僕の知っている子や知らない子、小野山くんを知る子達が、それぞれに声をかけて屋上は賑やかになる。
手すりを乗り越えかけていた足を戻した小野山くんに、坂下さんが勢いよく抱きついた。
「バカヤロー、小野山!心配かけさせんじゃねーよっ」
小野山くんが自分のことを役立たずだの必要ないだのと考えてしまったのも、本を正せば坂下さんの暴言が原因だったはずだ。
けど、そんな彼女を見つめる小野山くんの目は優しい。この際、野暮なことは言わないでおこう。
背中をバァン!と勢いよく叩いてくる手があって、僕は思わずよろける。
振り返ると満面の笑顔を浮かべた後藤くんと目があった。
「さすが帰国子女ヤマナシ、見事な説得だったぜ!」
褒められたのは素直に照れくさい。帰国子女は全然関係ないけど、ね。
「よっしゃー、俺らの友情を記念して風呂行こうぜ風呂!小野山も来るよなっ!?」
後藤くんの暑苦しい勢いに押されるようにして小野山くんがコクリと頷き、僕は「あっ、僕は後でいいよ」と遠慮したんだけども。
「何いってんだ、お前も一緒に決まっているだろ、殊勲者が!」
何の殊勲者だか、林くんにはガッチリ腕を掴まれて、風呂場へ連行する気満々だ。
あぁぁぁ、待ってぇ。このまま皆と風呂に入ってしまったら、僕のアレが、秘密がバレてしまう……!
「風呂だ風呂だー!」と騒ぐ男子をかき分けて、僕の腕を掴んだ人が、もう一人。
「待て、月見里。お前と坂下には事情を訊かせてもらうぞ。残りの皆は解散!売店に寄り道しないで、さっさと風呂へ入って寝るように」
山倉先生だ。やった、これで僕の秘密も守られる。
僕は喜々として、そして坂下さんは口を尖らせて不服そうな顔で、山倉先生の後に続いた。

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