10.海、それは心が開放的になる場所……!
ほあぁぁぁ……ほぁぁあああああぁぁぁ……
小野山くんの裸体、鍛えられた胸筋を間近で見てしまった……!
運動音痴には憂鬱でしかなかった臨海学校だけど、あたしの気分は今や最高潮。
坂下さんと大弓さんには感謝しかないわ!特に大弓さん。
あたし達、誰も小野山くんに声かけられなくて、どうしようってなったんだけど、彼女が代表を買って出てくれたのよね。
『一度声をかけてみたら、するする言葉が出た』っていうんだから、大弓さんのアドリブ力高ぁい。
なんで小野山くんに水泳指導役を頼んだかってーと、坂下さんの推薦だったの。
小野山くんがカナヅチだとは、あたし達は誰も思わなかったし、なるほど!って納得したんだけど、本当は坂下さんが、あたし達インドア派女子に泳ぎを教えてくれる約束だったのよね。
なんか彼女、手を怪我しちゃったらしくて、包帯は臨海学校開始までに取れなかったみたい。
泳げなくてポツンと一人、砂浜で体育座りしている……なんてことは全くなく、うちのクラスのヤンキーが頻りに構ってあげていた。
彼女、望月さんのグループに仲間入りしたのよね。だから、もう、ボッチじゃないってワケ。
だったら、そっちの子達と遊ぶ約束すりゃ〜いいのに、大弓さんの頼み事を引き受けたりするから、突然の怪我でボッチに戻るんじゃないかとハラハラしたじゃない。
良かった、望月さんが空気の読める子で。
あっちはあっちで楽しくやっていたみたいだからヨシとして、あたし達の興奮は夜になっても収まらない。
夕飯前までの短い時間にも、部屋で昼間の水泳について語り合ったわ。
「いや〜、もう、先生より教えるの上手いんじゃない?上手かったんじゃない?あたし、今年の目標は一メートルに伸ばす!小野山師匠、見ててくださいっす!」と缶ジュース片手に騒いでいるのは、影谷さん。
あたしと同じ美術部部員で、隠れオタクの漫画描き。
趣味バレした途端、あたし達は一気に仲良くなって、今度の夏コミも一緒に行こうねって約束してる。
彼女は今日、水の中で背筋を伸ばす練習をしていた。
小野山くんが言うには、背筋を伸ばすと体が浮くんだって。
あたしは、まだ意識がそこまで向いていないからって、小野山くんが手を差し出してくれて、キャーッ、手をぎゅっと握ってくれて、キャーッ!
おっきくて温かい手が、あたしの手を包みこんで……キャー、キャーキャーッ!
もう駄目。間近で小野山くんの肉体を感じちゃった。昨日までのあたしに戻れないわ。
「祐実ちゃんも頑張ってたよね、水に長く潜れるようになったじゃない」
「う、うん……これ、あげる。大弓さん、ありがとう」
大弓さんに褒められて、小川さんが差し出したのは薄桃色に光る貝殻だった。
水に潜る練習中に見つけたのね。すっごく綺麗……形がちゃんと残っているのは珍しいんじゃないかしら。
「わっ、嬉しい!ありがと祐実ちゃん!」
「へぇ、貝殻あったんだ〜。砂浜探したけど、全然見つからなかったよ」と大弓さんの手元を覗き込んで、森山さんが言う。
いつの間に貝殻なんて探していたの?彼女は後藤とかいう男子に水泳を教えてもらっていたはずなんだけど。
そう、あたし達は人数が多いからって理由で二班に分かれて水泳を教わったの。
あたしと小川さんと影谷さんが選ばれし小野山師匠の弟子になれたのよ、おーっほっほっ!
ってか、そうなったのは、ほんの偶然だったんだけどね。
後藤とかいう男子が空気の読めない冷やかしを飛ばしてくるもんだから、大弓さんが得意のアドリブで彼も巻き込んで、スイカを押しつける代わりに水泳を教えさせたってわけ。
「そういや、そっちは、どうだったんす?あのアホ、ちゃんと教えてくれた?」と、影谷さん。
「あー、一応はね。雑だったけど」と首をフリフリ森山さんが答える。
「あれだったら先生にマンツーマンで教わったほうがマシじゃないかな。だもんだから、途中からは貝殻を探すのに没頭していたよ」
ろくに教えもしなかったくせに、しっかり大弓さんにはスイカを奢ってもらったのね……図々しい男子だわ。
「あとねー、なんかちょっとエッチだった!」
えっ!?
「ウチらのこと、ずっとジロジロ見てんの。胸とか足とか」とは芦田さん談。
「ね、体を支えてやる!とか恩着せがましく言ってきてね。もちろん断ったけど」と相槌を打って、森山さんも笑う。
うわ、やだ。気持ち悪い。小野山くん組に振り分けられて、つくづくラッキーだったわ。
小野山くんは、あたし達のことジロジロ見たりしなかったもんね。超真面目。さすが硬派だわ。
小野山くんはスイカを辞退したんだけど、お礼だからって言い張って大弓さんは彼にもスイカを押しつけていた。
んで、そのスイカは二つとも一緒に割って皆で食べて、そこで解散したんだけど、スイカを食す小野山くんを間近で見られて、夏・満喫……
顎に滴るスイカの汁をハンカチで拭き取ってあげたかったー!でも無理ー!見つめるだけで精一杯!!
時折、森山さんや大弓さんのギャグにも微かに反応して、わずかに開いた口の隙間から見える歯が白く光って、はぁん。
彼、あたしに水泳を教えてくれている時も笑顔を見せてくれたのよね。一生のメモリアルだわ。
いいえ、結婚したら毎日あの笑顔で微笑まれるんでしょう?マイダーリン、高校を卒業したら結婚しましょう!
「エマッち、いっちゃん丁寧にレクチャーされてたっすよね。どう?ちったぁ浮けるようになった?」
いきなり影谷さんに話題を振られて、妄想に入りかけていたあたしは慌てて答えた。
「た、たぶん?」
「あはは、何それー!ははーん、さては小野山師匠の肉体美に見とれてたっすなー?」
ちょ、ちょっとやめてよ。
あたしが小野山くんを好きなこと、なんでか影谷さんには一発でバレたんだけど、他の子には内緒なんだからね!
「筋肉……すごかった」
小川さんがポツンと呟き、大弓さんも乗ってくる。
「ムッキムキだったよね!あれなら何やっても、どのスポーツでも一番になれそう!」
筋肉がありゃいいってもんじゃないだろうけど、でも、その感想には全面同意よ大弓さん!
あたしの脳内では、オリンピックで全種目制覇する小野山くんが金メダルを何十個もぶら下げているんだからッ。
「噂には聞いていたけど、間近で見たらホント肉体美、おまけに顔までいいし。望月さん達がキャーキャー言うのも判るよ」
森山さんは、何度もウンウン頷いている。
フッ、小野山くんは遠目に見たってイケメン肉体美なのよ、判っていないわね。
「イケメンでスポーツ万能とか、どんだけ周りの男子とのハードルあげちゃうの!?って感じっすよね!はぁー堪能、堪能。今日はホントありがとっす、大弓ちん!大弓ちんがいなかったら、あたしら全員海で泳げなかったっすよーマジ!」
皆で大弓さんに頭を下げると、大弓さんはテレたように手を振って謙遜してきた。
「いいって〜、もう。お礼は全部坂下さんに言ってあげて」
確かに小野山くんを紹介したのは坂下さんだけど、でも何て言ってお礼しよう?
怪我してくれてありがとうってのも、なんか変よね。嫌味っぽいし。
ま、いっか。それとなく、夏休み明けにお礼を言っとこ。
『表坂高校の皆さまへご連絡いたします。お夕食の用意が出来ましたので、食堂のほうへお越しください』
不意に館内放送が鳴り響き、あたし達の雑談もお開きに。
「夕飯なんだろーねー?」「海藻サラダあるといいなぁ」なんて、他愛のないことを話しながら廊下を歩いていった。
食堂は自由着席だった。
あたしの目は迷わず小野山くんを探し出し、はぁん、ご飯食べているだけでもカッコイイわ。
って、隣に座ってんのは望月グループの面々じゃない。
しっかりちゃっかり小野山くんの周りをキープたぁ、やるわねヤンキーども。
坂下さんは小野山くんの真正面。望月さんを差し置いて真正面を取ったのね……あとで揉めなきゃいいけど。
あたし達は小野山くんが遠目に見えて、且つ誰かの体で隠れない位置に着席。
ご飯を食べながら先生の話を聴く小野山くんに、あたしの視線は釘付けよ。
先生は海の怖さや、いざという時の緊急避難方法を熱く語っているけど、そんなのはネットを調べりゃ出てくるし今更な知識よね。
隣で振ってくる影谷さんのオタ話も半分流し聞きだわ。
だって、だってー、小野山くんが先生のほうを見るのやめて、坂下さんと何か話しているんだもん!
ここからじゃ何を話しているのかも判らないし、坂下さんは後ろ姿だから、どんな顔で聞いているのかも判んない。
小野山くんがお茶碗を机に置いて坂下さんへ手を伸ばしたら、その手を勢いよくバシッと払い除けたりして、なんなの坂下さんってば感じ悪ぅい。
望月さんも眉間にシワをよせて坂下さんに何か言っているけど、周りのざわめきと先生の大音量マイクでの話し声のせいで聞き取れない。
そのうちに、坂下さんが椅子を蹴ったおして立ち上がる。
勢いよく椅子が後ろに倒れてガターン!と大きな音がなったせいで、先生の話も一旦途切れた。
『こらー、そこ!うるさいぞ、食事中に席を立つんじゃない。それともトイレか?トイレなら食堂を出て右に』
先生の注意に「うっせーよ!お先にゴチソウサマ!!」と怒鳴り返して坂下さんは大股に食堂を出ていく。
え、えっ?なんなの一体。
『うるさいとは何だァ!?勝手に食事を終わりにするんじゃない、まだ座学は終わってないぞ!』
先生がマイクでがなりたてようと、坂下さんが戻ってくる様子もなく、望月さんがハイッ!と手をあげた。
「坂下さんは、お腹が痛くて部屋で寝ていたいそうです!」
どう見ても、そんなふうには見えない退場だったんだけど。見え見えの仮病ね。
でも先生も、それ以上坂下さんを引き止める気はなかったのか、座学は再開。
周りも雑談を再開して、食堂はざわざわ賑やかに戻る。
ただ一人、小野山くんだけは様子が違った。
望月さんの慰めを無視して、ずっと俯いている。きっと坂下さんに酷いことを言われたに違いないわ。
可哀想な小野山くん……隣に座り直して慰めてあげたい。
けど森山さんや芦田さんが、ひっきりなしに海の思い出やら明日の予定やらを振ってくるから、席を立つに立てない。
と、思っていたら、小野山くんもガタン!と勢いよく席を立った。
『こら、そこ!またか!?まだ座学は――』
「センセー、小野山くんは気分が悪いので部屋に戻りたいそうです!」
お説教を遮って望月さんが、また手をあげる。
やっぱり小野山くんの視線は下向き、だけど片手で目を覆っている。
待って、頬に光るのは、涙……?泣いている、の!?
「待って、部屋に戻るなら僕が送っていきます!」
一列向こうの席に座っていた細っこい男子が立ち上がって、小野山くんにつきそっていく。
二人が食堂を立ち去ろうとする中、あちこちで「私もお腹いたーい!」だの「あぁー、気分悪ーい。夕飯にあたったかもー」だのと、ヤンキー女子が一斉に座学を放り投げようとして、食堂は一気に騒がしくなった。
『なんなんだ、お前ら!真面目に座学を受ける気ないのか!?』
先生は呆れ顔だけど、あたしもついでに、ぶん投げたい。
だって退屈な座学を聞いているよりも、小野山くんの様子が気になるんだもん。
「……あれ、絶対泣いてたよね」
ぽつりと森山さんが呟く。
「うん、たぶん……何があったんだろ?」
大弓さんも頷いて、小野山くんが出ていったドアを心配そうに見ている。
何があったもクソも原因は判りきっているじゃないの。
坂下さんよ。彼女が何か傷つくようなことを言って、小野山くんは泣いちゃったんだわ!
許せない。けど、はっきりそうと決まったわけでもないし、もしかしたら犯人は望月さんかもしれないし?
彼女が無神経なヤンキー魂でもって坂下さんを怒らせちゃって、それで小野山くんまで落ち込ませた――なんてのも、ありえるわよね。
あたしはモヤモヤしながら、残りの夕飯をモソモソ食べた。眠たい座学を最後まで聞きながら。