恋香の家で遊ぼう
やばい、やばい、ヤバイヤバイヤバイィィィッ!小野山くんの後をつけていったら坂下さんに見つかって、行きがかり上、彼女の家へ半ば強制で連れて行かれたんだけど……
うちのクラスのイジメが、小野山くんにバレちゃう!
違うクラスにバレるのは致命的。どこで誰に吹聴されるか判らないもん。
いえ、小野山くんが噂を吹聴する人間だとは思っていないんだけど!でも、万が一ってあるし!
あぁぁぁ、誰か助けてぇ。イジメに加担していた陰湿な女だって小野山くんに思われちゃう。
あたしは別に坂下さんが嫌いなんじゃない。
ただ、口が悪くて目つきも悪くてヤンキーと真っ向から渡り合う女なんて、怖いじゃない?
もし彼女が問題を起こしたりしたら、あたしにまで余波が来るかもって考えたら、とても友達になりたくない。
……あれ?これって結局、嫌いってことなのかな。
まぁ、いいや。それよりも、坂下さんちに到着しちゃったんだけど!
二人がかりで尋問されて、泣きながらイジメを認める自分の未来像が脳裏に浮かび、あたしは目の前が暗くなる。
小野山くん、どうか、あたしを嫌いにならないでください。お願いします、土下座。
坂下さんちは、よくある小ぢんまりした一軒家だった。
「たっだいま〜!」
勢いよくキックで玄関の扉を開ける坂下さんに、あたしは思わず目が点になる。
こんな開け方する女子、初めて見たんだけど。望月さんだって、扉を足で蹴ったりしないし。
女子は大抵、男子の前じゃ大人しくするもんだしね。
小野山くんの視線が気にならない神経のぶっとさは驚愕もんだわ。
「こらー、恋香!また蹴っ飛ばして開けてー。扉が壊れるって、なんべん言ったら判るの!?」
甲高い声と共にキッチンを飛び出してきたのは、坂下さんのお母さん?
一見若々しいけど、目元には、きっちり年齢が刻まれている。
坂下さんがVサインを突き出して、「母ちゃん、やったぜ!転校一週間目でダチができた!」と報告するや否や、お母さんらしき女性は「まぁ!まぁまぁまぁ、お友達?わぁ、やっとお友達を、うちに連れてきてくれたのね!やだ、あの紅茶まだあったかしら?」とかいった独り言を大声で騒ぎながら、出てきたばかりのキッチンへ走っていった。
年甲斐なく、騒がしい感じのおばさんね。
坂下さんのお母さんらしいっちゃ、らしいけど。
小野山くんがポツリと呟く。
「……綺麗な家だ」
綺麗?まぁ、確かに掃除はしてあるみたいだけど、普通じゃない?
うちも毎日お母さんが廊下を掃除しているしね。あたしも時々手伝っているから綺麗なもんよ。
あぁん、こんな家じゃなくて、あたしんちへ小野山くんを招待したい。
お母さんに「カレシが出来た!」って報告して、二人の門出をお祝いするのよ。
「佐藤さんもソファに座ってくれよ」
ヒッ!
い、いきなり声をかけないでよ、ビックリするじゃない。
坂下さんの視線は小野山くんの隣を示していたけど、あたしは斜め向かい、彼の横顔が見える場所へ腰掛けた。
真正面は無理。小野山くんと見つめ合うなんて、まだ心の準備が出来てない。
坂下さんは小野山くんの真正面に座り、じろじろ彼を見ていたかと思うと、今度はあたしを睨んでくるもんだから、あたしは下を向いて縮こまる。
あぁ……そろそろ始まるのかしら、尋問が。
「なぁ、お前らに訊きたいんだけど、お前ら、なんか部活やってんのか?このガッコ、部活がいっぱいあって、どれに入ったらいいのか全然わかんねーんだよなー。オススメ部活があったら教えてくれや!」
ヒィッ!?
急に大きな声を出さないでよ、ほんっと空気の読めない猫娘ねぇ。
……って、今、なんて言った?
イジメじゃなくて部活?は?どういうこと?
聞き返したいけど、顔を上げたら、また睨まれるんじゃないかと気が気じゃない。
斜め向かいから小野山くんの声がする。
「空手部に入った」
「空手!なるほど、お前でっけぇもんなー。先輩を一発でノしちまったし、やっぱ試合でも強ェんだろー?」
え?小野山くんが先輩を倒した?
今日のいつ、そんな乱闘騒ぎがあったのよ。
あたしが坂下さんの姿を見なかったのは、休み時間と昼休みを除けば、教室移動の時ぐらいかしら。
さっさと移動しちゃったから見失ったのよね。そうそう、彼女は他のヤンキーと一緒に遅刻してきたんだった。
「……まだ試合には出ていない。高校の試合には」
「高校の試合には?ってこたー、小学中学の試合にゃ出たってか」
小野山くんは坂下さんと話が弾んでいる。
ちょっとちょっと、今日友達になったばっかりにしては、随分距離が近いじゃないの。
そっと目線を上げて小野山くんを見てみたら、最っ高のイケメンスマイルが目に入っちゃった、キュンッ。
「坂下は、なにが好きだ?それによって勧められる部活も変わる」
小野山くんの逆質問に、坂下さんが元気良く答える。
「俺の趣味?そーだなー、今一番ハマッてんのはスケボーだ!」
……ハ?スケボー?
スケボーってスケートボード?
そんなもん、もっと偏差値の高いセレブ高校でもない限り、部活に存在しないでしょ。
うちは一応私立だけど、バカ学校よ?部活は数こそ多いけど、ほとんどが趣味の同好会レベルだし。
小野山くんが言葉に詰まっている間に、紅茶が運ばれてきた。
坂下さんのお母さんはテーブルに三人分のカップを並べた後、小野山くんの隣へ腰掛ける。
え?お茶を出すのは当然として、立ち去らないの?
まさか混ざる気じゃないでしょうね、このおばさん。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、お二人とも恋香のお友達?いえ、遊びにいらしたんですから、お友達ですよね、うふふふっ。こちら、おっきぃわねぇ〜。しかも男の子!?いえね、この子ったら昔から女の子の友達ばかりで、いえ、女の子だから女の子の友達が多いのは当たり前なんですけど、まぁ〜、高校生になって初めての男友達だなんてねぇ!ね?あなた、お名前なんておっしゃるのかしら。よかったら、おばさんに教えてくださる?」
ちょっとぉ!距離近すぎでしょ!?
息がかかる範囲まで小野山くんに接近していいと誰が許可したァ、この若作りババア!
「おい母ちゃん!」
坂下さんも見過ごせなかったのか声を荒げるけど、おばさんは聞いていない。
「それにしても背がお高いわねぇ〜、うちの人より大きな高校生って初めて見るわぁ。ね、あなた、何かスポーツやっていらっしゃるの?恋香とお友達になるからには、やっぱりスケボー関連かしら!あなたほどの好体格なら、きっと青空にも映えるでしょうね!今度あの子とやっているとこ見せてくださる?」
小野山くんがスケボー?やだ、格好いい!
あたしの脳裏では、早くもトリックプレイを決める小野山くんヴィジョンが浮かび上がる。
表彰台で優勝カップを掲げる彼は満面の笑みで、あたしにウィンクしてくれるのよー!キャー!
「い……いえ……スケートボードは、やっていません」
あたしの脳内妄想をぶち壊すかのように、バカ正直に答える小野山くん。
「あら〜、ごめんなさいね、勝手に決めつけちゃって。じゃあ、そうね、バスケでしょう!どう、当たった?この身長ならダンクシュートも映えるでしょうね!」
いいわね、バスケ部の小野山くんも。
ドリブル、パス、一つ一つの動作をとっても、これほどサマになる高校生は他にいないんじゃないかしら。
豪快なダンクシュートを決めた瞬間、体育館は皆の焚いたフラッシュで真っ白に染まるの。
「い、え……その……」
「あらあら、違った?うーん、難しいわねぇ。でも、この子とお友達になるぐらいだから、絶対スポーツ系だとおばさん思うんだけど。あっ、判った!今度は絶対自信あるわ、柔道か空手でしょう!見るからに腕っぷしが強そうですものねぇ」
そんなの、一番最初に思いつくでしょ。にぶいオバハンねぇ。
ごらんなさいよ、服の上からでも判る、あの逞しい胸板!
あぁん、いつか何かのタイミングで彼の胸元に飛び込んだら、両手で抱きしめてっ。
「は、はい……空手、です……」
小野山くんは、ひたすら視線をそらして目一杯迷惑ですって気持ちを表してんのに、おばさんは全然気づいていない。
「わぁ、やったぁ!大当たり!うふふっ、それにしては大人しい方ねぇ。恋香、うるさくってごめんなさいね。でも悪い子じゃないんですよ、私が言うのもなんですけど、優しいところもあるんです。この間だって雨に濡れて病気になりそうだった子猫を拾ってきてねぇ〜、うちじゃ飼えないからっていうんで飼ってくれる人を夜まで探し回ったりしたんですよ」
おばさんが、突然坂下さんの『ちょっといい話』を始めるもんだから、あたしも小野山くんもポカーンよ、ポカーン。
え、別に知りたくないし、どうでもいいわ、それ。
それに坂下さんが、うるさい?確かに声はでかいけど、あんたほどには、うるさくないでしょ。
「ねね、この子、学校ではどうですか?真面目に授業を受けていますか?もしサボッていたり爆睡していたら、遠慮なく手刀を首筋に叩き込んで起こしてやってくださいねぇ。大丈夫、ちょっとやそっとじゃ怪我しないぐらい頑丈な子ですから!あ、でも、あなた、えぇと、お名前なんでしたっけ?あなたの席は恋香と近いのかしら。うふふふ、本当に大きい……うちの恋香と並ぶと凸凹コンビって感じ!ねぇ、あなたから見て恋香は」
ちょ、マテコラ、おばはん視線じゃ小野山x坂下でカップリング成立なわけェ!?
ジョーダンじゃないわ!小野山くんとラブラブになるのは、あたしなんですからね!
「母ちゃん!母ちゃんがまくしたてるから、小野山、全然喋れねーだろ!」
娘本人の割り込みでも、おばさんの勢いは止まらない。
「あら〜小野山さんとおっしゃるの!小野山、何さん?」
「小野山 育だよ!紅茶ありがとう、ほら、出てった出てった!俺達これから一緒に遊ぶんだよ、母ちゃんは邪魔邪魔!」
「あーん、私にも小野山くんと喋らせてぇ〜」
坂下さんにグイグイ押し出されて、おばさんは台所へ消えた。
やっっかましい母親ねー……毎日あんなんなのかしら。
あたしだったら、軽くノイローゼになりそう。
「……あれが、お前の母か」
ボソッと呟いた小野山くんに、坂下さんが下がり眉で頷く。
「おう。うるさくてごめんなー?二人ともビックリしただろ」
あたしも一応「はい」と答えておく。
坂下さんは今にも泣きそうな顔だ。
やっぱ、ちょっとは慰めたほうがいいのかな……でも、何も思いつかないや。
ほんの少し間が空いたあと、坂下さんが話題を変える。
「なぁ、今日はこのまま勉強会と洒落込もうぜ!ほら、宿題出てんだろ?わかんねぇとこあったら、お互いに教えあおうじゃねーの」
……は?
「宿……」「……題?」
あたしと小野山くんは、思わずハモる。
今、この猫娘、なんつった?
勉強会?
そんなの、ゲームや漫画小説の世界でしか存在しないかと思ってたわー。
本当にやる人って、いるのね。
そこまで考えて、ふと、あたしの脳裏に坂下さんが初めてクラスへ来た時の様子が、ありありと蘇る。
先生は名前の他に、彼女が前に通っていた学校も言っていた。
あたしは一応確認しておく。
「そういえば、天馬高校でしたよね、坂下さんが前いた学校って」
天馬高校は、うちの近所にある公立校で、偏差値は50から55ぐらいだったと思う。
あまりにもレベルが高すぎて眼中になかった学校だけど、そこの生徒が何でウチに来たの?と、不思議に思ったんだった。
「勉強、教えてくれるんですか?」
勉強会というのがイマイチどんなものか想像できなくて、本人に直接尋ねてみた。
坂下さんは力強く胸を叩いて笑う。
「おう!何でも聞いてくれよ、教えられるとこは全部教えてやっから!で、どこがわかんねぇんだ?小野山、お前も遠慮なく聞いていいぞ」
うっ……自信満々ね。
偏差値55にもなると、先生役ができちゃうんだ。
見た目すごくバカッぽいのに頭がいいなんて、ギャップありすぎじゃないかしら、この女。
小野山くんは鞄から数学の教科書を取り出すと、ボソッと答える。
「全部判らん」
判るぅ。
けど、坂下さんは判らなかったみたいで「は?」と生返事を返した。
小野山くんは教科書に目を落とし、何がどう判らないのかを詳しく話す。
「何が書かれているのか、どういう意味なのか、最初から最後まで読んだが何から何まで理解できない」
そうそう、そうなのよ〜!
教科書って、なんでわざわざ小難しい言葉で説明すんのかしら。
中学までは優しい書き方だったのに、高校でいきなり難解度が五百万倍は跳ね上がるって感じ。
あたしも中学までは、なんとか英語についていけていた。
でも、高校に入ってからは単語が何とか判るぐらいまで落ち込んで、も〜勉強をやる気がゼロになった。
今じゃ、すっかり勉強嫌いになっちゃって、宿題もすっぽかすようになった。
出さなくても何のペナルティーもないしね。皆そうよ。出す人のほうが稀っていうか。
目で坂下さんに促されているように感じたから、あたしも英語の教科書を取り出した。
「単語は判るんですけど文章に繋げようとすると、順番がわからなくなって。すみません」
しばしキョトンとしていた坂下さんは、ややあって饒舌に語りだす。
「まずは理解しようとすんじゃなくて覚えるんだ。数学や科学なら定義を、古典や英語なら文章の形式をさ」
え?待って待って、何の話?
「何故こうなるか?は、後でじっくり考えりゃいい。お前らは、まだ一歩も踏み出しちゃいねーんだ。勉強の第一歩は形を覚えることから始まるんだよ。なんだってそうだろ?やり方が判んなきゃ、出来るもんもできねーんだ」
えーっと、つまり……小学校から中学までの授業みたいなものを、高校でもやれってこと?
「ノート見せてみろ、小野山」
坂下さんが突然、小野山くんの鞄を奪い取る。
「ま、待った!」と慌てる彼の手をかいくぐり、鞄からノートを取り出して机の上に広げた。
「うわー、きったねぇ字だな!」と、坂下さんが叫ぶ。
あたしも好奇心に駆られて、横目で覗き見た。
うん、まぁ、確かにパッと見、何が書いてあるんだか判らないノートだけど、授業内容を書き込んでいるだけマシじゃない?
あたしなんて文字すら書いていないし。絵ばっか描いてる、主にエチエチ腐妄想をっ!
横からの視線に気づいて坂下さんを見ると、彼女もこっちを睨んでいる。
駄目よ、駄目!鞄は絶対に渡さないわ!
あたしは自分の鞄をぎゅっと抱きかかえ、鉄壁のガードで死守した。
「ノートってな、あとで読み返すためのメモだぜ?こんなきったねぇ字で書いてちゃ、困るのは自分だぞ」
坂下さんのお説教に、小野山くんは下を向いて反省中。
あぁん、しょんぼりする小野山くんも可愛いわ。
しばらくして、顔を上げた小野山くんが坂下さんへ尋ねた。
「それで……俺はまず、何を覚えるべきなんだ?」
「そうさな、基本の計算式を全部。けど一気にやったら頭がパンクすっから、少しずつ覚えていこうぜ」
きゃぁぁーー!キターーーー!小野山くんの、はにかみスマイル!
もぉーだめぇー、可愛すぎて萌え死んじゃうぅぅ〜〜。
「ほら、佐藤さんも!佐藤さんは英語だったな、単語は判るみてぇだから基本の文法を覚えてこーぜ」
ヒッ!
妄想中に、いきなり声かけるのは禁止だってばァ。
「あ、あのっ、た、単語も暗記は必要ですよね?」
あたしの質問に、笑顔で答える坂下さん。
「おう。ガッコのテストってやつはなぁ、生徒の記憶力を試すモンなんだ。求められてんのは解じゃねぇんだ、暗記なんだよ。ちなみに出そうな範囲は先生が授業でヒントをチラチラ出してっから、見逃さないようにな!」
またしても意味不明なことを言われて、あたしの脳内はハテナでいっぱいになる。
「か、解?解って解答ですよね?」
違う違うと頭を振って、坂下さんが言い直す。
「解ってのは問題を解くまでの途中経過だよ。何故、この答えになるのかってのを試行錯誤するっつー。ホントは勉強すんなら解を理解しなきゃ意味ねーんだが、テストに絞って言うなら、そこは捨て去っていい。こうなったらこうなるってのを暗記するんだ。佐藤さんの場合は英文だったな、んなら文法における単語の順番を覚えていこうぜ」
ごめん、言い直されても、やっぱわかんないわ。
とりあえず、わけのわかんない話は終わりにして、宿題を始めましょ。
「暗記すればいいんですね」
「そうそう」
あたし達は机の上に、それぞれの教科書とノートを広げて、宿題に取り掛かる。
坂下さんがノートを広げた途端、小野山くんが身を乗り出して、何を見ているのかと思ったら、あぁ、坂下さんのノートをチェックしているのね。
さっき、思いっきり字が汚いって罵倒されていたもんねぇ。言い返したい気持ち、判るわ。
ノートを眺める小野山くんに、坂下さんが突然ドスい声で喧嘩を売った。
「なんなんだよ、顔に似合わねぇ字だって言いてーのか?」
え?なんで怒るの?ちょっと見ただけじゃない。
っていうか自分だって許可なく小野山くんのノートを見たくせに、自分のは許さないの?
超ヤンキー様こっわぁ……
小野山くんは臆することなく首を真横に振って言い返す。
「いや。繊細で美しい字だと思ったまでだ」
え?綺麗なんだ、坂下さんの字。
っていうか、繊細で美しい??ブッ、似合わなぁ〜。
あたしの字と、どっちが綺麗なのかしら。ちょっと見てみたいけど、喧嘩を売られちゃたまんない。
坂下さんは、それ以上の文句を言わずノートを書き始める。
小野山くんも宿題を始めたし、あたしもやらなきゃ。
え〜っとぉ……
う〜んとぉ……
あー、駄目っ!さっぱり頭に入ってこない。
大体さぁ、英語なんてのは海外へ行かなきゃ必要ないよねぇ。
それに坂下さん、さっき教えてくれるって言ったのに、全然教えてくれないし。
まずは自分の宿題を終えてからじゃないと駄目なの?ケチィー。
脳内で文句を垂れるあたしの耳に、突如甲高い声が響き渡る。
「あら〜、静かになったと思ったら、お勉強会を始めたの?勉強熱心なのね〜、おばさん感心しちゃう!うふふふっ。あっ、これ、お菓子だけど皆で食べてちょうだい」
ギャー!ババア、何戻ってきてんの!?
お盆に紅茶と、それから小袋入りのクッキーを乗せてきたのは、きっと居座るための口実ね。
坂下さんのお母さんは小野山くんの隣が自分の場所だと言わんばかりに腰を下ろし、小野山くんの宿題をやり始めた。
相変わらず、あれやこれや、とりとめのない雑談を彼に振りながら。
いいなぁ〜。あたしの宿題も、ついでにやってくんないかしら。
「なぁ、佐藤さん。宿題でわかんないトコあったら教えるぜ?」
気づけば、あたしの横でも坂下さんが距離を詰めてきていて、あたしは仕方なく答える。
「えっと、問題がすでに何を言っているのか判んなくて……」
問題ぐらいは日本語で書いてほしいのよね。あたし、日本人なんだし。
「オッケ、問題さえ判りゃ選択肢を選ぶのも簡単だよな」と坂下さんは笑い、自分のノートに問題の日本語訳を書き込んでゆく。
あら、本当に綺麗な字……しかも書くスピードの早いこと。
本当に、この訳、あっているんでしょうね?偏差値55の人が書いた翻訳だから、信じるしかないけど。
「ほら、これで問題が判っただろ?どれを選べばいいのか、単語を知ってる佐藤さんなら判るよな!」
単語で?
ヤマ勘で答えていいんなら「これ、かな?」と、あたしの選択した答えを見て、坂下さんがグッと指を突き出す。
「いい勘してんぜ、さっすが佐藤さん。大正解だ!」
やったぁ。
宿題が急に、ただの三択クイズに見えてきた。
これも坂下さんが問題を判りやすく日本語に直してくれたおかげよね。
選択肢も英語なんだけど、単語さえ判れば文章全体を翻訳しなくても何とかなりそう。
正解を出すたびに坂下さんは大喜びして、間違った時には答えを日本語に訳して説明してくれる。
はーん、こりゃ便利。一家に一台欲しいわね、坂下翻訳機。
あたしがやっているとは思えないスピードで宿題が片付き、あたしは坂下さんへお礼を言った。
「終わりました、ありがとうございました!」
「いやいや、なんのなんの。可愛い女の子に教えるんだったら、いくらでもカテキョしちゃうぜ」
は?
同性に可愛いとか言われても、ごめん、どんな反応すればいいのか判らないわ。
今の社交辞令は聴かなかったことにして、あたしは帰り支度を始める。
玄関へ向かうと小野山くんも立ち上がり、「お、おじゃましました!」と言い捨てて慌ただしく駆け寄ってきた。
「あぁん、もう帰っちゃうの?最後に、もう一つ!うちの恋香って、どう?あなたから見て可愛いかしら?それとも子供っぽいかしらねぇ」
戯言を撒き散らして追いかけてくるババアは、娘の坂下さんが「やめろ母ちゃん!二人とも、もう帰るんだから!」と全身で食い止め、最後までババアは例の甲高い声で「また遊びに来てちょうだいね!待っているわー!」と騒いでいた。
あー……最後の最後で疲れた。
けど、今日はスペシャルラッキーデーだったんじゃないかしら。
宿題は片付いたし、小野山くんのイケメンスマイルをガン見しちゃったし、イジメの件は一度も出なかったし!
「勉強会、次もやろう」
ぽつりと呟いた小野山くんに、坂下さんは不必要なほど「へっ!?」と驚く。
ここ、そんなに驚く場面だった?
こうも簡単に宿題が終わるんだったら、あたしだって次回やってほしいわよ。
なので「坂下さんのご都合が良ければ、また、よろしくお願いします」と、あたしも頭を下げる。
坂下さんは感極まった声で「おう!お前らの都合に併せて、やろうぜ勉強会!」と叫び、満面の笑顔になる。
うんうん、素直でよろしい。
また全部やっちゃってちょうだいね、あたしの宿題!