夜の風

Chapter1-2 霧のヒョウ

島の奥へ進んだ二人を待ち構えていたのは、黒くぽっかりと口を開いた自然洞窟であった。
「おい、見ろよ。お誂え向きに洞窟があるぜ。フェイ、今日はここで野宿といこうや」
「ホントだ……すごいっ、中はどうなってんだろ!?」
「あ、おいっ!待て!!」とヒョウが止めたって、興奮に逸る少年の足を止めるには及ばない。
舌打ち一つ、ヒョウが洞窟の中へ入ると、すぐにフェイとは再会できた。
入ってすぐ急な坂道になっていて、駆け下りた終点で尻もちをついた彼と鉢合わせる。
「ヒョウ〜、滑って転んじゃったァ〜。ひーっ、痛ぇ〜っ」
一体どういうふうに転んだのか、さては坂道を転がり落ちていったのか、フェイは頭からつま先まで泥だらけのビッチョビチョだ。
マヌケなさまを眺めるうちにヒョウの口元はヒクヒクと痙攣し、やがて笑いが飛び出した。
大爆笑は洞窟中に響き渡り、フェイの頬を真っ赤に染め上げるには充分で。
「何だよぅ、何がおかしいんだよぅ」
不貞腐れる少年を「さぁ、な。先を急ごうぜ?」と促すと、「うぅ〜。ケツ痛いから、おぶってくんない?」などと甘えた返事をよこしてくる。
「甘ッたれんなよ。冒険したいんだったら、テメェの足で歩かなきゃな」
フェイは泥まみれってだけで、どこにも怪我を負っていない。
背負ってやる義理もないと突き放した直後、ヒョウは背筋に悪寒を感じて身構えた。
驚いたのは、フェイもだ。
彼がナイフを取り出す場面、フェイには全く見えなかった。
まるで虚空から突如ナイフが現れたように感じられた。
「そのナイフ、どっから出したんだ?」
小声で尋ねても、ヒョウは「間抜けな質問してる場合じゃねぇぜ」とフェイの質問を封じ、ナイフを構えた姿勢のまま闇の奥へ叫ぶ。
「おい、隠れている奴……殺気が見え見えだ、出てこいよ!」
彼の呼びかけに応えたのは、一人ではなかった。
にゅっと逞しい足が暗闇から出てきたかと思うと、次々に似たような大根足、もとい女が大勢、姿を現す。
どいつもこいつも薄汚い衣服に身を包み、ギラギラと殺気立った目で、こちらを睨んでいる。
この島を根城にしている野盗の類と思われた。
変わっているのは、女しかいない点だ。その中でもリーダー格らしき女は、群を抜いた麗しい容姿であった。
真っ赤な髪の毛に、大きく張り出した胸。腰は細く括れて、それでいて尻は張りがある。
美しいのは身体だけじゃない。
燃えるような赤い瞳に、どこか色気を漂わせている唇は、パッと見で人目を惹く。
こんな処で野盗をやるよりも恵まれた生活が出来そうな姿に産まれたのに、何をどうして落ちぶれてしまったのやら。
「エリー親分、こいつら、どっからきやがったんでしょう?身ぐるみ這いじまいますか?」
顎の尖った子分の問いに「おだまり、そいつを今から訊くんだッ。その上で……バールから来た奴らなら、あんた達の好きにしな」と真っ赤な髪を掻き上げ、女リーダーは偉そうに鼻で笑う。
「バール?あ、そこ俺の出身地!でもね、飛び出してきちゃったんだけど」
突然、空気を読まない発言がフェイの口を飛び出し、「やっぱりこいつら……!」と子分どもがざわめく中、女リーダーがフェイに尋ね返す。
「飛び出してきたぁ?ぼうや、それはどういう意味だい」
「え?だって俺、孤児だもん!なんていうかさぁ……皆は優しくしてくれるけど、ツライんだよね。皆が優しくしてくれるのが、ツライんだ。俺が孤児だから?だから優しいのかなって。それに……俺は皆に優しくしてもらってるのに、俺は皆に何もしてやれないのもツライよ」
孤児だったのか。
道理で子ども一人で筏の旅を始めても、誰にも止められなかったわけだ。
見れば、シュンとなったフェイにつられてか、野盗たちまでシュンとしているではないか。
「孤児……そう、ぼうやも孤児なのか。可哀想に、苦労してきたんだろうね」
なんと、女リーダーは鼻をすすって貰い泣きだ。
「ま、ね」と頷くフェイを抱きしめて、彼女は声高に宣言する。
「それじゃあ、ぼうや。今日から、あんたもあたしの仲間になりな!歓迎するよッ」
「おーっ♪」と元気よく片手をあげて和気藹々なフェイと野盗たちを、ヒョウは呆然と見守った。
なんなんだ。
何なんだ、こいつらは。
孤児ってだけで簡単に信用する女野盗たち。
そして、ついさっきまで敵対していたというのに、何の躊躇いもなく仲間に入るフェイ……
他惑星から漂流してきたヒョウの理解を越える思考回路だ、この惑星の住民は。
呆れていると、女リーダーがクルリと振り向いた。
「で、残ったのは、あんただ。あんたは、この子の何なんだい?」
「…………あ?」
「あ?じゃないよ、あんたの素性を聞いてんのさッ」
苛立つ彼女に答えたのは本人じゃない。フェイだ。
「ヒョウのこと?ヒョウはねー、俺が海で拾ったんだよ」
「えっ?」となる女野盗団に、重ねて言った。
「海で遭難してたから、一緒に旅しようって誘ったんだ!」
「へぇ、そうだったのかい」と彼女らも納得したようだし、もう、そういうことにしておこう。
ここで実は他の惑星から来たんだと話を混ぜっ返したら、面倒な状況に戻ってしまう。
皆々に確認を取られて、ヒョウは曖昧な笑顔で受け流した。

その晩の宴で、ヒョウはフェイに尋ねてみる。
バールというのは、どんな街なのか。そして、この星全体についての詳しい情報を。
「バールってのはねぇ、他の国と比べて、ずーっとずーっと大きいんだぜ!アニュエラやバフォーもたくさんいてさぁ、狩りに困った日は一日もなかったな」
「資源が豊かな分、人の心が腐っちまってる国さ」と女リーダー、名はエリーの横槍が入り、たちまちフェイは膨れっ面になる。
「そんなことないやい!俺のいた地区は、皆、優しかったよ!?」
「ぼうやはツイてたんだよ。あたしは……あたしのいた所は、酷いもんだった。孤児ってだけで……このあたしに……あんな屈辱を与えてくれたんだからねッ!」
体を震わせ、怒りを吐き出す彼女にフェイが問う。
「へー、どんなこと?」
「数人がかりで、あたしを押し倒して、無理矢理犯したんだよ……まだあたしが小さかった頃の話さ」
聞く方が聞く方なら、言う方も言う方だ。
案の定フェイは、よく判らないといった表情を浮かべている。
エリーの話を聞く限りじゃ、幼女だろうとお構いなしに性暴行される、えらく治安の悪そうな都市だ。
そこに不時着しなくて良かった。
「顔しかめちゃって、何だい?あんた、こういう話は苦手なのかい」
エリーに絡まれて「別に」と短く答えたヒョウは彼女から距離を置こうとするも「ふん何だいッ、スカしちゃってさ!だいたい、あんたは漂流していた以外、何も話していないじゃないか。フェイも、あたしも昔を話した!今度はあんたの番だよッ」と酔っ払った息を吹きかけてきて、逃れられそうにない。
「何勝手なこと抜かしやがる。過去を話してくれって、俺がいつ頼んだ?」
眉間に皺を寄せて思いっきりエリーを突き放したら、今度はフェイに絡まれた。
「いいじゃん、ヒョウ!俺もヒョウの昔話が聞きたいし」
「……あんま面白いもんじゃねぇぞ?」と前置きした上で、ヒョウは渋々始めた。
全く面白くない、己の身の上話を。


「母さん、もう疲れちゃったわ。あなたが何をしたいのか、全然わからないんですもの」
俺をこの世に送り出した女は、そう言うと目元の涙を拭った。
もう泣いていない、その瞳は、すっかり乾ききっているようにさえ見えた。
――ザハド。それが俺の故郷の名前だ。
『母親』の耳が小刻みに震えている。
怖いのだ、俺が自分の生き方を見つけていないと周囲に悟られるのが。
『支配者』に見つかれば、どういう目に遭わされるのか……それを恐れているのだ。

「自分の方向性が判らない奴に生きる資格は与えられぬ。それを生み出した者にも同様の罪があるのだ」
スクリーンに映し出された『支配者』は、そんな事を言っていた。
ザハドを治める支配者ソレッド。
住民の命全てが奴の支配下にあった。
自分の方向性――すなわち、それは将来の夢だとか目標だとかいった陳腐な言葉で片づけられる、『生きる目的』ってやつだ。
俺は十年以上生きてきたが、まだ見つけられずにいた。
「方向性のない奴は死人だ!死者に生きる資格などない。死者は与えられた地へ赴くがよかろう」
二十歳になるまでに人生を見つけられない奴は、全て殺される。問答無用の死刑だ。
俺は今年で三十六歳を迎えた。『両親』が周囲を気にして怯えるのも無理なかろう。

『母親』の鼻をかむ音が、俺を現実に引き戻した。
だが、いくら泣かれても俺の人生……そう、人の生きざまを人生と呼ぶが、それは見つかりそうにない。
腕組みして壁に寄りかかっていた『父親』が、不意に口を開いた。
「ヒョウ、旅に出てみてはどうだ?」
「旅……?」
「そうだ。何か見つけようとするには、家に居るだけでは駄目だ。もっと遠い、この星より遠くへ出かけねばならん」
「だけど……親父、あんたは、この星で見つけられたんだろう?だったら俺だって」
「そう言って三十六年……お前は見つけることができたのか?」
……できなかった。
黙って俯く俺に『親父』が言葉を投げかける。
「遠い惑星に行けば、ソレッドの追求からも逃れられるやもしれん」
「……親父。俺を厄介払いするつもりなのか?」
「そうではない」と首を振り、だが、とも『親父』は続ける。
「お前が生きる目的を見つけ、さらに処刑されなければ越したことはないと思わんか」
言っているのだ、出て行けと。
この星から出て行けと言っているのだ、この男は。
お前さえいなければ、自分たちも穏便に暮らせると……処罰されないと言っているのだ。
俺は心を決めた。
二度と、ここへは戻るまい。

「もう帰ってこなくていいぞ。母さんも、それを望んでおる……」

その言葉は今まで過ごしてきた時間の中で、一番深く俺の心を切り裂いた。


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