夜の風

Chapter1-3 炎のエリー

エリーはフェイと同じく、孤児の身だ。
大昔に滅びたと言われている炎の一族の血を引く女が戦時中、見知らぬ男に乱暴されて産み落とされたのが彼女であった。
母親の顔なんか覚えていない。物心つく頃にはバームという国にいた。
そして、ある日。
食べ物を探して彷徨っていたら、見知らぬ男たちに囲まれて乱暴された。
奴らは獣のように襲いかかり、少女の腹を殴り、頭を打ち、為すすべもなく倒れ込んだ彼女の上に折り重なった。
凌辱された日の晩、エリーは同じ目に遭った女たちの元へ身を寄せる。
やがて彼女たちは手製の筏で海へ漕ぎ出し、名も判らぬ島に上陸した。
何もない島だが、食べ物に困ることはないように思えた。
周りは海で囲まれている。時々通る輸送船を襲えば、金だって手に入るはずだ。
月日が流れ、エリーたちは、いつしか近辺の商船から『バンデッド』と呼ばれ、恐れられるようになっていた。
そのバンデッドのテリトリーに、無謀にも入ってきた奴らがいる。
そいつらの一人、大人の男は彼女たちの気配を完全に読み取った。
突然大勢の男に襲われて手も足も出なかった、あの晩の記憶が蘇りそうになり、エリーは勇気を奮い立たせる。
そして同じ身の上と判明した少年を口実として、油断ならない相手をも仲間に引き入れた。


ヒョウの身の上話は本人が言う通り、全く面白いものではなかった。
彼の手が小刻みに震えているのに気付いたエリーは、思わず叫んでいた。
「も……もういい、もういいよッ!もうたくさんだッ。もうツライ話なんか、たくさんだよッ!辛いことを思い出すのも……もうやめようじゃないか……」
最後のほうは涙がこぼれて、言葉にならなかったけれど。
フェイの小さな手が、エリーの肩を優しくさすって慰めてくれる。
一同は、しんみりした気分で一夜を明かした。

翌日の早朝、槍を片手にエリーが浜辺へ向かってみると、そこにはヒョウがいた。
一人で突っ立って、沖を眺めている。
なんとなく声をかけづらくて、そっと立ち去ろうとするエリーの背中にヒョウが話しかけてきた。
「昨日の話……フェイが言っていた『アニュエラ』とか『バフォー』ってのは何なんだ?それと、あいつが俺の耳を『草原ワイルみたいだ』って言うんだが、そいつの正体も知りてぇな」
昨夜の身の上話とは掠りもしない雑談で、エリーの声は裏返る。
「知らないのかい!?こいつは、とんだ箱入りお坊ちゃんだね!アニュエラやバフォーは、あんたも昨日食べたじゃないか。ワイルってのは、ほら、あそこで跳ねている小さな茶色の毛むくじゃら、あれがそうだよ」
エリーの指差す方向をヒョウも振り返ると、草の上をピョンピョン跳ねていく小さな兎のような獣が見えた。
獣は二人の気配に気づいたのか、森の奥へと走り去っていった。
「俺は他所の星から来た漂流者なんだ。この星の生物なんぞ知るわけがねぇ」と肩を竦めるヒョウに、エリーが突っかかる。
「何わけわかんないこと言ってんだいッ。そりゃあザハドなんてぇ国は、あたしも知らないけどさッ。星ってなぁ突飛すぎるだろ!」
昨日ちゃんと身の上を明かしたというのに、この惑星内の出来事だと解釈された事実にヒョウも気づいて、呆気に取られた。
もっとはっきりした証拠を見せないと、異星人だと理解してもらえないのか。
そうだ、相手は宇宙船も知らないような文明レベルだったのだ。
どれだけ噛み砕いて説明しなきゃいけないのかと考えると、こちらの気も重くなってくる。
「エリー、俺は幾つに見える?」
「は?幾つって……」
じろじろ上から下までヒョウを眺めて、首を傾げたエリーが答える。
「そうさねぇ、二十歳前後かい?」
ヒョウの衣類は首都でも見かけない珍しい格好だ。
上下ともに真っ黒で、上は襟を重ねる形、下は足首が見える長さのズボンを履いている。
頭には緑色のバンタナを巻き、バンダナの隙間からは茶色くて細長いものが垂れ下がっている。
長く伸ばした髪も真っ黒、肌さえ黒い。
だが首都にも黒髪は大勢いるし、肌は漂流していた間に焼けたのであろう。
三白眼気味の目つきは多少険しいが、クールな印象を与える。
均整の取れた肉体といい、悪い部分は何一つない。
何を隠そう、最初襲おうとした理由は、彼の見た目の良さにあった。
美しい男は首都で高く売れる。女主人の性奴隷として。
「今年で三十六になる。そうは見えねぇだろ?ザハドの民は三十年を同じ姿で生きる。俺は二十年前から、ずっとこの姿だ」
「それがどうしたッてのさ!大体、あたしは二十年前のあんたなんか知らないよッ」
威勢よく噛みつかれて、ヒョウは下がり眉で説明した。
「あー、つまり、耳からもわかるように、俺とお前らの種族は違うと言いたかったんだ」
己の耳をバンダナから引っ張り出して、よく見えるようにしても、エリーの疑いは晴れそうにない。
「はぁ?それが耳?ただの頭飾りじゃないのかい!?どうにも胡散臭いねェ……証拠はあるのかい、証拠はッ。あんたが、あたしらと違う決定的な証拠ってやつをお見せ!」
耳以外の決定的な証拠か。ないこともない。
突然ずるっとズボンを下げたヒョウに「キャッ!」とエリーは可愛い悲鳴をあげて、手で両目を覆う。
「キャッて歳でもねぇだろうに……」と後ろを向いた格好で呆れるヒョウに、エリーも「うるさいなッ、あたしはまだ二十一だよッ。そ、それより何だいッ!?いきなり脱ぎだしたりなんかして」と頬を真っ赤に怒鳴り散らした。
「……これを見ても、まだ俺は、この星の住民だと思うのか?」
ヒョウの尻には、尾が生えていた。
耳と同じ茶色の毛で覆われた、ふさふさとした尻尾が。
その時、草むらがガサリと音を立てる。
同時に振り向いたヒョウとエリー、二人の目にうつったのは、小太りの男であった。
「な、何だい、あんたは!?」とエリーが叫ぶからには、彼女にも見覚えのない相手であろう。
小男は所在なく指をモジモジさせながら「あ……見つかってしもうた」と呟くばかりで、逃げも自己紹介も始めない。
「この島は、あたしらのテリトリーなのに、勝手に入ってんじゃないよ、そこのデブ!!」
だがエリーの啖呵には、しっかり反応した。
「ふむ、デブというのは儂の事かのう?この島……月明かりの島は、お前さんらのテリトリーじゃない。月明かりの島はミディアの地じゃ。お前さんらこそ、ここで何をしている?なにもんじゃ」
小男は、とぼけた表情で顎に汚く生え散らかした無精髭を弄っている。
その態度がエリーの導火線を早く燃え尽きさせ、「この野郎ォッ!エリー様をナメんじゃないよッ!」と飛びかかろうとするのは、ヒョウが止めた。
「まぁ、落ちつけ。話を聞く限りじゃ、あいつの方が先住民らしい」
「落ちつけだって!?これが落ち着いてなんか――」
勢いでヒョウを振り返った彼女は、「キャーーーッ!?」と甲高い悲鳴をあげた。


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