夜の風

Chapter1-4 大地のエデン


嵐の翌日には、魚がよく捕れる。
だから、彼は漁に出た。
浜辺で見つけた若い男女は、女のほうにだけ見覚えがあった。
何年か前に数人の仲間と筏でやってきて、そのまま島へ住み着いてしまった奴だ。
近郊の船乗りには『バンデッド』なる大層な異名をつけられているが、首都によくいる強盗と大差ない。
船を襲うより、この島で狩猟をしたほうが遥かに効率がいいのに。
だが彼は、あえて教えなかった。
強盗を生業とするような輩には、あまり島の奥深くまで入り込んでほしくなかったから。

男のほうは初めて見る顔だ。
パッと見で目につくのは、頭に巻いたバンダナと長く垂れ下がった奇妙な形の耳か。
困ったように頭をかいているが、股の間にご立派なものがぶら下がっているんじゃ、若い女が悲鳴をあげるのも当然であろう。
それに、先程盗み聞き――いや、盗み聞くつもりはなかったのだが聞こえてしまった会話によれば、彼は恐らく、この星、ホワイトアイルの住民ではない。
ひとまず「ズボンを履き直してはどうじゃ?」と指摘して、その場を収めると、ずんぐりむっくりの小男は己の身を立てた。
自分は怪しいものではない。
この島で産まれ、ずっとミディアと二人で暮らしている。
嘘だと思うなら、ミディアの元へ案内するとまで付け加えたのに、エリーの眉間からは疑いの皺が取れそうにない。
「で、あんたはミディアって奴と昔っから住んでたって言い張るつもりなんだね?」
「言い張るとはひどいのぅ。ミディアに会ってみれば全てがわかると言っておろうが」
「ふん、あたしはねェ……ブ男の誘いは受けない事にしてんのさ!」
初対面だというのに、エリーの辛辣な言い分が小男の心にグサグサ突き刺さる。
わざとおどけて「そんなに儂はブ男かのぉ?」と言ってみれば、「一度水面に自分の顔を映してみな!」と返ってきて、取り付く島もない。
二人のやり取りを黙って聞いていたヒョウが、不意に後ろを振り返る。
「こいつがブ男かどうかはともかくとして、だ。どうする?フェイ。ミディアって奴に会ってみるか?」
「エ?」と初めて気がついたかのようにエリーも振り返り、背後にフェイがいるのを確認した。
小男も然り、いつ少年が近づいてきたのかも気が付かなかった。
フェイはゆっくりした足取りでヒョウの隣まで歩いてくると、にっこり微笑んだ。
「と〜ぜん!会いに行くに決まってんじゃんっ。ヒョウもエリーも一緒に行くよな?なっ?」
「えっ?……う、ま、まぁ、フェイが行くって言うなら行ってやってもいいけど……」と、渋々エリーが頷き、ヒョウも「ってワケだ。おっさん、道案内頼むぜ」と小男を促した。
「おっさん……おっさんとは酷いのぅ。儂はエデン、大地のエデンと呼ばれておる」
エデンの名乗りに、エリーが驚愕の表情を浮かべる。
「大地の?あんた、大地の部族かいッ。あの、とうに滅びたって言われてる」
「勝手に滅ぼされても困るがのぅ。そういうお嬢ちゃん、あんたは炎の一族の血をついでいなさるな。炎の一族の伝承は忘れちゃおるまい?あまりそいつといちゃいちゃせんように」
そいつとヒョウを指さされ、瞬く間にエリーの頬が赤く染まった。
「なっ……!!」と叫んだっきり硬直する彼女を、フェイが不思議そうに覗き込む。
「どうしたの?エリー」
ヒョウはヒョウで、直球な冷やかしを全くの無視。
「おっさん、道案内するのかしねぇのか?」
「してやるわい、そうせかすな」
淡白な反応は期待していなかったのか、舌打ちでもしそうな顔で吐き捨てるエデンに、フェイが笑いかける。
「その前にっと、俺はフェイランド=クー。へへっ、呼ぶ時はフェイって呼んでね!そんでもって、こっちがエリーでこっちはヒョウ。ほら、名前わかんないと呼びにくいだろ?」
「おぉ、そうじゃった。そう言われてみれば、お前さん達の名前を聞くのを忘れておったわい」
名乗りを上げられずとも、さっきから仲間内でエリーだのフェイだのヒョウだのと呼び合っていたから、エデンも彼らの名前は把握済みである。
それでも一応少年の顔を立ててやり、改めて森の奥へ三人を誘う。
強盗の仲間は招き入れたくなくても、エリーだけなら大丈夫だろう。
それに間近で眺めて、初めて彼女が炎の一族だと気がついた。
知った以上はミディアに見せて、お伺いを立てねばなるまい。
あの伝承が起こりえるのは、今なのか否かを調べるためにも――


森を歩く間、それとなくエデンはエリーを盗み見る。
見れば見るほど成熟した身体に、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。
月明かりの島で産まれたと言っても、島の外を知らないわけじゃない。
たまの頻度で島にないものを買いに、近郊の街へ出かけたりもしていた。
だが、どの街の女と比べてもエリーは段違いに美しい。
ミディアも美しい少女だが、手を出していい存在ではないし、そもそも手を出す自体、考えたこともなかった。
ミディアと比べたら、エリーは手を出せる範囲の女だ。
「じろじろ見てんじゃないよッ!」
視線に気づいたエリーには険しい表情で睨まれて、そのように険悪な皺を寄せたりしたら美女が台無しだ。
「気になるかのぅ?儂の視線が」
「あぁ、スケベそうな目で、じろじろ見られたんじゃ気になってしょうがないよっ!」
ヒョウとフェイは、ひょいひょいと身軽に枝から枝へ飛び移り、それでいて地上の二人と同じ速度でついてきている。
あの高さからでは、地上の会話も聞こえまい。
「ホッホッホ。お前さん、あの男と知り合って、どれぐらいじゃ?」
あの男とヒョウを指さされて、エリーの顔が、ますます険悪を増す。
「知り合って、まだ二日目だよ」
「ほっほう、そいつは好都合。エリー。儂は一人暮らしが長くてのぅ。どうじゃろう?今晩にでも、いやさ今すぐに」
両手をワキワキさせて躙り寄っただけで、エリーは怯えの色を見せて後ずさる。
「ちょっと!?何にじり寄ってんのさッ!」
「何、痛くはせん、痛くはせんよ。ちょっと味見させてもらうだけじゃ」
ジュルリと顎を伝う涎を腕で拭い取るエデンに、エリーの脳裏で嫌な記憶が次々蘇る。
あの日、自分を凌辱した男たちが向けてきた、狂った瞳と獣の息。
あの時、何も抵抗出来ずに、されるがままだった弱い自分……
「やっ……やめろってんだィ、このエロデブ!」
本気で嫌がっているってのにエデンの動きは止まらず、本気で襲いかかるつもりと知って、恐怖のあまりエリーは絶叫した。
「ヒョウ、フェイッッ!!」
さすがに木の上の二人にも届いたか、フェイは「ん?どーしたの、エリー?」と足元を見下ろし、ヒョウも「蛇にでも噛まれたか?」と呑気な反応を示す。
「なぁに、心配はいらんよ。儂とエリーは、ここで乳くりあうからの。ちょっと向こうで待っておれ」
笑顔で答えるエデンに、ヒョウが呆れる。
「乳くりあうだぁ?こんなとこでか?物好きだねぇ、おっさん」
止める気ゼロな彼には、エリーが慌てた。
「ちょっとヒョウッ、あんたコイツを何とかしてよ!」
泣きついても、ヒョウの反応は鈍い。
「何とかって言われてもなぁ……フェイ、どうする?」
何をするにも逐一フェイのお伺いを立てる彼には、エリーのイライラが増すばかりだ。
「とりあえず降りようよ。二人とも首が疲れちゃうからね」
地上へ降りてきたものの、やはり二人はエリーとエデン、双方を見比べて困惑を示す。
「しかしまぁ、降りたところで、なんだ?特に話すこともねぇんだよな」
「そう言わず!一緒に歩いておくれよぉっ」と涙目のエリーに掴みかかられたって、エデンを止めるという方向にヒョウの思考は動かないらしい。
昨夜、悲惨な身の上話をしたってのに、一ミリも同情心が浮かばなかったんだとしたら、人の心が理解できない相当のド外道か、或いは凌辱行為そのものを知らないド純粋のどちらかだ。
「うーん……ねーエデン、ホントに後から、ちゃんと案内してくれるんだよね?」と、フェイ。
「当たり前じゃ。だからのぉ、早く二人きりにしてくれんかの?」
ニコニコ笑うエデンは、今からやろうとしている行為さえ気にしなきゃ全くの善人ヅラだ。
「よっしゃ、約束だかんなっ!ヒョウ、ちょっと進んだトコで待ってよ〜ぜ」
「ん」と頷いて木の上へ飛び乗ろうとするヒョウへ、エリーが再度掴みかかる。
「って、待てぇぇぇぇいっ!!あんたら、マジであたしを見捨てる気!?」
「そんなに嫌うこともねぇだろ。おっさん、顔は悪いがガタイは悪かねぇぜ」
性行為が理解できていないのかと思いきや、理解した上での見放し宣言にエリーの堪忍袋は大爆発。
「そういう問題じゃないだろッ!フェイッ、あんたならわかるよね!?あたしが昔、男にどんな目に遭わされたか」
「あー、あの、男の人にオ、カ・サ・レた……とかいうやつのこと?」
首を傾げて、ぽつぽつ話すフェイはド純粋の類だ。
過去のエリーに何が起きたのか、全く理解できなかったと見える。
それでも必死の形相で、エリーはフェイを引き止める。
「そうさ、だから、こういうのって好きじゃないんだッ」
フェイさえ残ってくれれば、ヒョウも残るはずだ。
彼は何をするにもフェイの判断を基軸にしているんだし。
「犯すとは人聞きが悪いのぅ。ちょっとキスして乳を揉ませてもらうだけじゃ」
「やかましいッ、このデブ!あたしは……あたしはアンタみたいなビヤダルにゃ興味ないんだよッ!!」
どれだけ振り払ってもエデンは諦めを知らず、ついには背後から伸びてきた手がエリーの胸を掴んで揉み始めるではないか。
「そう言わんと、な?優しくしてやるでのぉ」
そればかりじゃない。舌が、生暖かくて気持ちの悪い感触が首筋を往復する。
「やめ、ろぉっ……」
商船相手なら引けを取らないほど強くなったとしても、極近接で男に触られるだけでエリーの体は思うように動かなくなる。
過去に植え付けられた恐怖は、体を鍛えた程度じゃ忘れ去ることなど出来ない。
エデンに組み敷かれたエリーは抵抗もままならず、草の上で苦悶の呻きをあげるしかない。
動けないのを幸いとし、エデンの手は、舌は、今や遠慮なくエリーの身体全体を弄っていた。
そんな二人を、フェイとヒョウは木の上から眺める。
「おいおい、始めちまったぜ?」
「いいなー……なんか母ちゃんを思い出しちゃった」とフェイがするのは、エリーの胸にしゃぶりつくエデンを見ての感想だ。
「なんだお前、マザコンだったのかよ」
さっそくヒョウはフェイをからかうが、フェイの反応はない。
不思議に思って顔を見やると、またも目を閉じていた。
例の、風と話すとか何とか言っていたのを、またやっているのか。今、このタイミングで?
そう思っていたら、フェイが目を開けて「今、なんか聞こえなかった?ヤメテって」と尋ねてくるもんだから、ヒョウは首をふる。
「いや?」
フェイの問答と同時に、地上でもエデンが身を起こして呟いた。
「ミディアか……なんじゃ、今はお楽しみだというに」

「ヤメナサイ」

――今度こそ、その場にいた全員の耳に声が響いた。


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